第4話 別れの理由

 

 

 二週間後。

 佑月は恋人との別れを光一に打ち明けた。一限目の開始時刻まで三十分以上あるためか、登校してきているクラスメイトはまだ数名しかいなかった。

 教室で顔を合わすなり大袈裟に肩をすくめた佑月に、光一は目を丸くしている。


「は、なんで? つい最近まで順調そうだったじゃんか」

「……この前のヒート、やっぱり一緒に過ごしたかったんだって」


 教室にはまだりくの姿はない。

 光一は表情を曇らせ、佑月の机の前にある椅子をひいて腰かけた。


 発情期やセックスが理由で佑月の交際が破局を迎えることは実は初めてじゃない。この体質のせいで、佑月はもう何回も恋人との破局を経験している。

 オメガの恋人とセックスはおろか、ほとんどキスもできない交際というのは、相手は余程耐えがたいことなのだろう。


 すとん、と力なく席につき、ぼうっと視線を落としている佑月の様子を、光一が窺うような気配がある。


「……もうさ、腹くくって一緒に過ごせばよかったんじゃねーの?」


 声をひそめた光一がそう言った。


「無理だよ」

「それって、場所的な理由で?」


 佑月は否定し、口元に曖昧な笑みを浮かべた。笑顔をつくることしか、できなかった。


 

  *

 

 

「……ねえ、雨宮先生。恋ってさ、キスやセックスができないと長続きしないのかな?」


 一カ月に一度の定期受診日。大学病院のいつもの診察室で最近の出来事を訊ねられた佑月は、思わずそう質問を投げ返していた。

 主治医の雨宮は、PC画面へと向けていた視線の先を佑月へと移し、やわらかな表情を浮かべる。


「どうしたの? 恋人と何かあった?」

「また別れちゃいました」

「……そっか。それは残念だったね」

「うん。……でも、元カレたちの気持ちもわからなくないんです。オメガと付き合ってるのにキスもセックスもできないなんて、きっと嫌だよね。もしかしたら、オメガと付き合うなんて、そういうのが狙いかもしれないのに」


 自虐的な笑みを浮かべた佑月に、雨宮は少し眉を寄せた。


「佑月くん、そんなことはないよ」

「ううん、……僕ってほんと顔だけなんです。オメガだっていうのに、アルファやベータの女の子よりガードが堅いでしょう? みんなさ、それが嫌になるんだって。冷めるんだって。……僕だって本当はキスもセックスもたくさんしたいのに。できないから、我慢してるだけなのに」


 心の底に沈めていたものがふつふつと浮き上がってきて、唇からこぼれていく。

 誰にも言えない……雨宮にしか打ち明けられない悩みを溜め込んでいて、溜め込み過ぎていて、心が破裂寸前だった。


「どうして……どうして好きって気持ちだけじゃ、幸せになれないのかな? どうして、セックスしないと好きだって信じてもらえないの? ねえ先生、教えてよ……っ」


 涙があふれてきて、止められなかった。頬を伝うものを何度手で拭ってみても、追いつかない。


 泣き出した佑月の二の腕に雨宮が控えめに触れてくる。

 大きな手のひらでやさしく腕をさすられて、涙腺が崩壊した。子どもみたいにみっともなく泣きじゃくる。

 雨宮は何も言わず、それからずっと腕を擦り続けていてくれた。



 散々泣いて、泣き尽くしたあとは、胸の奥に溜まっていた淀みがすっかり消えていた。

 心がちょっとだけ、本当にちょこっとだけれど、前向きになれたような気がする。


 ――ヤマトとの別れは仕方なかった。どうせ長続きはしない交際だった。大好きだったけど、彼とは合わなかったのだ。……また新しい恋をすればいい。

 

 泣いてすっきりできたことは、雨宮にも伝わったらしい。

 佑月に寄り添い、様子を見守ってくれていた雨宮は安堵したように微笑を浮かべ、「少しすっきりできたかな?」と主治医の顔で確認するように訊ねてくる。


「はい、すごくすっきりしちゃった……先生、迷惑かけてごめんなさい。診察時間、とっくにオーバーしてるよね?」


 はにかみつつ、でも申し訳なさも感じつつ、佑月が今の気持ちを素直に伝えると、彼は首を横に振ってくれた。


「心配は無用だよ。今日は佑月くんのあとに診察の予定はなかったし、会議の予定もないからね。佑月くん、帰り道は一人で帰れそうかな?」


 迷わずうなずいた。もとから一人で帰る以外の選択肢なんてない。

 母親の妙子は相変わらず仕事で忙しくしているのだ。妙子にこそ迷惑はかけられないし、それに自分はもう16歳。あと一年半で成人を迎えるのだ。こんなことで周囲に甘えるつもりなんてこれっぽっちもなかった。


「大丈夫です。ちゃんと帰れます。……でも今日だけは、あいつに会いたくないなぁー」

「あいつって?」


 不意に夏原の顔が脳裏をよぎったせいで、心の声が洩れてしまったらしい。

 雨宮が気にするので、佑月は困り顔に愛想笑いを浮かべた。


「夏原です。僕のうなじを噛んだ相手。先生の診察の日って、たまに夏原に会うんです。夏原もこの病院で診察を受けてるんでしょ?」


 雨宮はわずかに目を見開いたようだった。しかしすぐにいつもの柔らかな表情に戻ったので、気のせいだったかもしれない。


「ちなみに、それっていつくらいから?」

「えっと……中学二年の時から、かな? 会うって言っても、年に数回だけど」

「もともと彼とは仲が良かったんだっけ?」

「まさか。ヒート事故起こすまでほとんど喋ったことなんてなかったし、そのあとも仲良くなんてしてないです。でも、謝ってくれたから…………たまに少し話すだけ。というかあいつ、この病院で何の治療してるんですか?」


 今度は佑月のほうから訊ねてみたが、雨宮はゆるやかに首を横に振った。


「私の担当ではないから、彼のことはわかりません。今はいろいろ厳しくて、個人情報は漏らせないしね。……佑月くん、もし良ければだけれど、今日はいつもとは違うルートで帰ってみたら?」

「そっか! でもバスに乗らなくちゃだから、違うルートってむずかしいです」

「駅に向かうんだよね? バス停なら、病院の裏口にもある。時間はかかるけれど、西周りのルートじゃなくて、東回りで駅に向かうバスに乗車したらいいんじゃないかな? バス停への行き方はね――」


 診察室を出て、会計を済ませてから、その日は雨宮に言われた通りのバス停に足を運んだ。いつもとは違うバスに乗車して駅に向かう。

 時間と運賃はいつもより多くかかったけれど、見慣れない風景を眺めながらバスに揺られているのは少し新鮮だった。

 夏原には会わなかった。

 ――不思議なことに、それ以降、大学病院で夏原と鉢合わせることはなくなった。

 

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