第5話 再会
診察と会計を済ませた佑月は、正面玄関から建物を出た。
ロータリーにあるバス停に向かい、時刻表で帰りのバスの時刻を確認する。
花壇の中心にある円形の時計を見上げると、16時10分を指していた。あと十五分ほどは時間を潰す必要があるようだった。
佑月はそばにあった真新しい木製のベンチに腰を下ろした。靴の周囲を薄桃色の花びらがふわふわと静かに転がっていく。
病院の玄関前も、ロータリーも、駐車場も、中庭も……広い敷地内にある様々な場所が、今日は薄桃色の絨毯で覆われている。
まだ四月だというのにここ数日は暑い日が続いたせいか、桜花はどんどんと散り落ちてしまって、もうほとんどが葉桜になっていた。――桜なんて一瞬だ。春の盛りは一瞬で終わってしまう。
散りゆく春の終わりを一瞥すると、佑月はいそいそと鞄からスマホを取り出した。メッセージアプリには誰からの連絡も入っていない。……ジュンからも。
「はぁ~ジュンさん、今ごろ何してるんだろ?」
周囲に誰もいないのをいいことに、ついつい心の声が漏れ出てしまった。
画面をタップし、写真フォルダを開けて、ジュンと初めて知り合った日に撮らせてもらった特別な画像を緩みきった表情で見つめていた。
「ふぁ、かあっこい……」
画面からイケメンオーラが溢れ出てくる。尊い。目が溶けちゃいそう。
「…………うわ、ジュンって暮沼かよ。お前って趣味わっる」
――無防備全開だった佑月の背後から、突然低い声が落ちてきて。
肩を震わせた佑月が勢いよく振り返ると、そこに立っていたのは予想外の人物だった。
「うわっ、お前まさか夏原!? なんでいるんだよっ」
「俺もここの先生に診察受けてんの。悪ぃかよ」
眉を寄せた夏原は尊大な態度で、ベンチに座る佑月を見下ろしてくる。
佑月も負けじと不快感を前面に押し出した。
「悪いに決まってるじゃん! もう二度とお前の顔なんて見たくなかったのに!」
「こっちだって同じだよボケ。……元気そうだな」
そう言うと、夏原は長い足で一度ベンチを跨いでから、佑月の隣にどかっと腰を下ろした。
夏原は見覚えのあるデザインの灰色の制服を身にまとっている。襟元で緩められているネクタイの色だけが、佑月の意中の男のものと違っていた。ジュンのものは渋い赤紫色で、夏原のものは青色だ。
数カ月ぶりに見る夏原はあまり変わっていなかった。
くっきりとした二重瞼のアーモンド形の目は、車道の先のどこかを眺めている。意志の強そうな眉に、整った鼻梁、適度な厚みのある形の良い唇。
バランスよく配置されたパーツはどれも整ってはいるけれど、どこかまだ少年らしさが残っていて垢抜けない。
スポーツ少年らしく短く切り揃えられた黒い髪が、春風を受けて時折かすかに揺れている。
――あのヒート事故から約九か月。
新天地を求めて引っ越しまでした佑月にとって、夏原はまさに封印したい過去そのものだった。
遠くに置いてきたはずの過去が、どういうわけか突然目の前に現れたのだ。心の準備なんてまったくできていなかった佑月は内心ではひどく動揺していた。
フェロモンに惑わされ、彼と身体を重ねた記憶は佑月には残っていない。……だけど夏原は?
気まずいし、二度と夏原の顔なんて見たくなかったというのは本心だった。
夏原だってたった今同じことを口にしたくせに、隣に座ってくるとかわけが分からない。佑月は身構え、天敵を威嚇する犬のように彼に吠えついた。
「ねえ、隣にくるのやめてくれる!?」
「うるっさいお前。その声頭にガンガン響くわ。……あれから体調は? どうなの」
「おかげさまで元気ですっ」
「あそ。馬鹿は何とかっていうもんなー」
「なんっで夏原にそんなこと言われなくちゃいけないの!? 喋ったこともほとんどなかったよね? めちゃくちゃ失礼なんですけどっ」
佑月が盛大にあっかんべーをすると、夏原は呆れた様子でため息をついている。「水元ってそういうとこだよなぁ……」とかぶつぶつ言っているが、余計なお世話である。
(早くどっかに行ってくれないかな!?)
なかなか腰を上げようとしない夏原に佑月が焦れてきたころ、再び視線を遠くにやったまま、夏原は静かに口をひらいた。
「――悪かったよ」
「え?」
二人の間をかすかな風が吹き抜ける。鼻先をほのかに甘い匂いがかすめていった。
「あの日のこと、謝る。お前を助けるつもりが、逆に酷い目に遭わせちまった。水元はこれからも治療が必要だって聞いて、周囲になんて言われようと謝らないといけないとは思ってたんだ。だから今日は、それだけ」
そう言うと、夏原はベンチから立ち上がった。
佑月の返事を待つつもりもないようで、さっさと背中を向けて歩き始める。
夏原は数メートル進んだあたりで足を止めると、思い出したように佑月のほうを振り返った。
「お前の恋愛をとやかく言うつもりはないけどさ。暮沼はやめとけよ」
「……え?」
呆けた反応をした佑月に、夏原は眉根を寄せた。
「今あいつと学校一緒なんだよ。高等部と中等部は校舎違うけど、あのセンパイいい噂ないから。アルファ狙うにしても別の奴を狙えって」
「な、なんで夏原にそんなこと言われなくちゃいけないのっ? 僕はジュンさんがいいんです!」
「じゃー覚悟して付き合えよ。忠告はしたからな」
不愉快そうに言い捨てると、灰色の制服を着た夏原の背中は今度こそ去っていった。
佑月は唇を噛み、拳を握った。――どうして、どうして夏原にそんなことを言われなくてはならないのだ。
大学病院で治療を受けたり、不自由な恋しかできなかったり。それらは全部、あいつがあの日うなじを噛みさえしなければ、しなくてもよかった苦労なのに。
(夏原はいいよな、アルファなら番の解消なんて簡単だもん。あいつやっぱり大っ嫌いっ)
不運な事故だとしても、謝ってくれたとしても、佑月の青春を奪ったのは夏原なのだ。
あんな奴にあれこれ言われたくはなかった。
……ひとの人生を壊しておいて何様なんだよ!
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