第2話


 「モンスター・テイマー」というのは、俺たち“幻獣”を扱う人間たちのことを指す。


 専門用語が多くて申し訳ないが、簡単な話、…そうだな、“人間の分身”とでも言った方がいいだろうか?


 形容の仕方は様々あるが、手っ取り早く言うなら、「パートナー」という言葉が、一番しっくりくるかもしれない。


 幻獣と人間は密接な関係にあり、「脳」と「心臓」、——あるいは、「骨」と「肉」のように、どちらかを切って離すことはできない。


 お互いが、お互いにとって欠かせない存在なんだ。


 どちらかが欠けてしまっては、「存在」というカテゴリーに於いて、自己を確立することはできないだろう。



 …うーん


 少しややこしいか?



 どうしても小難しい言い方になってしまうが、「人間」という存在は、生まれつき“負のエネルギー”に汚染されている生き物なのだ。


 この「負のエネルギー」というのもいかんせんややこしく、これといって簡単な説明ができないかもしれないが、要するに、生まれつき“爆弾を抱えている存在”だと、科学的な観点からは説明することができる。


 理性。


 そう、鍵は「理性」だ。


 元々この世界のあらゆる生き物は、理性という概念すらなかった。


 自然のままに生き、自然のままに死んでいく。


 与えられた時間の中で規則正しく生き、決して、道を踏み外すことはない。


 「動物」には、善悪を判断する基準が無い。


 …いや、“基準が無い”というよりは、善悪を必要とする社会的な時間や空間が無い、と言った方が良いのかもしれない。


 あらゆる生物には物事を判断する「思考」というものが存在するが、この思考の中に、選択を広げるための「自由度」を持つ生物は、あまり多くはないと言えるだろう。


 とくに人間以外の動物に関しては、一部の例外を除き、「言語」を持つことはない。


 動物には社会はない。


 動物には芸術はない。


 いや、 もちろん、ある種の言語、ある種の社会、ある種の芸術はあるといえるだろう。


 だが動物には、人間のそれのように、文字や音声を独立して分類させうる言語は確かにない。


 社会に類似したものはあるが、 いわゆる法に支えられた国家はない。


 芸術的な事例は自然界に多々存在するが、みずからの意志において芸術を創作することはない。


 進化的にみて、人間の諸特性の萌芽は霊長類のさまざまな動物にみいだしうるし、そこに一種の連続性を設定することも理がある。



 だが両者のあいだには、やはり本質的な違いがある。


 この問いは突き詰めていけば、人間とロボットの差異、つまりは人間的なものと機械的なものとの差異を考慮することにもかさなっていく。


 人間が人間であることを考えるとき、どこかで知性的な能力がおりこまれている。


 それは動物/人間のあいだの、 接近することはするが分離する境界線の意味を把握することによってしか、個別的に精緻化できるものではない。


 ロボット研究と動物研究とは、いつも表裏一体になるとおもわれる。

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