経験値の箱庭で

途上の土

経験値の箱庭で

第1話 箱庭


 暗然とした視界が一瞬にして開けた。

 いつからそこにいたのか、あるいは今突然現れたのか、強烈な光と共に目に入ったのは、数え切れない程のスクール机と椅子、それからそこに座る少年少女たちだった。


 彼らあるいは彼女らは皆、学生服を着ている。それぞれ色やデザインが違った学生服だ。僕も同様に、いつも着ているグレーの学生服姿で席についていた。

 僕は首を巡らせようとして、身体のどの箇所もぴくりとも動かないことを知った。まるで眼球と呼吸器を除いて身体の全てが石になってしまったかのように、僕の意思に反して背筋を伸ばした姿勢で固まっていた。

 びっくりして声を上げそうになり、すんでのところで悲鳴を飲み込んだ。すると、別の場所——僕の後方——から「うわぁ!」と恐怖と驚愕が混じった男子の悲鳴が上がった。おそらく僕と同じように身体が動かない現状に気付いてのことだろう。

 

 僕は眼球だけをくりくり動かして、周りの少年少女たちの様子を伺う。誰も微動だにしない。先程の悲鳴の彼と同じく全員が身体を拘束されている、ということか。のろのろと回転する水車のように、ようやくゆっくりと思考が回り始める。

 僕は瞼を閉じ、一度深呼吸をして心の中で唱えた。


(落ち着け。大丈夫だ。ここに姉さんはいない。いないはずだ。大丈夫)


 とっくの昔にあの忌々しい姉からは解放されていたが、いつも平常心が崩れかけた時は、こうして姉の不在を確認して自分を安心させる癖がついていた。

 僕はゆっくりと再び目を開いた。今度こそ落ち着いて状況を確認する。


 正面に見えるのは巨大な黒板だ。深緑ふかみどりとも黒ともつかない平らな板が僕らを威圧するように壁に埋め込まれている。これほど大きい黒板を僕は見たことがなかった。周りのスクール机と合わせて考えれば、ここは広大な教室なのかもしれない。天井も細かな穴で模様が施されたアカデミックな仕様のようだ。

 多分これほどの規模の学級は日本には存在しないだろう。何せ教室の端が——顔が動かせないとはいえ——未だ見つけられないのだから。

 だが、周りの少年少女の髪型や髪色を見るに、誰もが日本人のように見えた。少なくともアジア系の人種であるのは間違いなさそうだ。

 僕は次に記憶を改めてひっくり返してみる。自分が何故ここにいるのか、どうやってここまで来たのか、これから何が行われるのか、頭に次々と浮かぶ疑問はいずれも僕の中に答えはなさそうだった。


「起立」


 と、唐突に号令が響いた。いつの間にか、教壇に美しい女が立っている。

 清涼な滝のように垂れる髪は、透き通るような空色で、その美貌はただの一つも欠点がなく、却って人間離れした不気味さがあった。真夜中の神社のような神聖な奇怪さが、僕の腕に鳥肌を作る。

 僕は特に号令に背いてやろうという反骨心はなかったのだが、即座に号令に従って行動する適応力もなかった。

 ところが、驚くべきことに、僕が適応しなくとも身体は勝手に動いた。視界に入る全ての生徒が同時に立ち上がり、続く「礼、着席」の号令も同様に生徒たちを強制的に動かした。

 着席した後も引き続き身体は動かず、仕方なしに視線だけで女の動向を追う。


「突然のことで混乱していると思うけど——」女は眉尻を下げて、分かりやすく哀れみを示した。「——皆さんの人生は終わりました」


 耳を疑った。僕の人生が、終わった? じゃあ、今ここで呼吸をして、思惟しいを巡らし、美女を模った恐怖と対峙しているのは誰なんだ。

 誰も身体は動かせなかったし、言葉も発しなかった。なのに、教室に動揺が広がっていくのが分かる。


「……それは死んだ、ってことか?」


 僕のすぐ前の席から声が上がった。視線をその後頭部に向ける。黒い短髪のその男は、精悍な声を教壇の女に向けた。


「ちょっと違うんだけど、まぁそう解釈してもいいよ」女が答える。

「要するにもう元の世界には戻れない。そういうことか?」短髪の男がさらに質問を重ねた。


 元の世界、と聞いて僕は一層混乱した。僕はこういう場で声を上げられるような人間ではない。現状を理解したい思いは確かに強かったが、目立ちたくないという思いがさらにそれを上回った。つまり、はじめから質問をするなどという選択肢は僕には存在しない。


「それも違うかな」と女が言う。そして「その質問に答えるには最初から説明しなきゃなんだけどね」と前置いてから、口の端を少し上げて、妖艶に微笑んだ。


「皆にはこれからとある島で暮らしてもらいます。それはこれまで生きてきた世界とは全く異なった世界。いわゆる異世界、ってやつだね」


 異世界、だって?

 そんなバカな、と疑う気持ちが湧き起こるが、今、現に目の前に広がる光景は既に現実離れしているからか、猜疑心はみるみる萎んでいった。


「どんな世界なのか、ってのは直接自分の目で確かめてもらうとして、一つだけ先に伝えておくと、その世界——その島には魔王がいます。人間を脅かすとっても悪い奴だよ。皆にはその魔王を退治してほしいの」


 女は長くしなやかな指を1本立てて神妙な顔を作った。そして、ここからが本題、とばかりに生徒たちをゆっくりと見渡す。


「魔王を倒した暁には、皆は元の世界に戻れるよ。あるいは、この異世界に残って島の外に出ていくこともできる」


 魔王を倒せば皆は元の世界に戻れる。皆は、と女は言った。つまり、魔王を倒すのは僕じゃなくても良い、ということだ。心に張り付いた不安が剥がれ落ちていき、同時に責任感や使命感も消え失せるのが分かった。


「魔王を倒すのに、何か特別な力を貰えたりするんですか?」


 と、今度は僕の視界の外側——右手の方から女子の声が上がる。無秩序はたとえ蟻の列の乱れだろうと許さない、とでも言うような義侠心に満ちたキリっとした声だ。


「おぉ〜、流石、アニメ大国日本の子供たち。こういう展開は慣れてるってわけね。お察しの通り、手ぶらで異世界に放り出すわけじゃないよ。皆にはこれから『ジョブ選択』と『ステ振り』をしてもらいます」


 女が口にした言葉、ジョブ選択とステ振り。どちらも聞いたことがある。僕は人並みにはテレビゲームで遊ぶが、ジョブ選択もステ振りもRPGゲームでよく出てくる単語だ。多くのゲームは、ジョブによって覚えるスキルや魔法が異なり、上級のジョブほど強い魔法を使うことができる。そして、ステ振りは攻撃力や防御力といった数値化された能力——ステータスを自分で好きに振り分けてキャラを作っていくことを言う。

 女の言が真実ならば、僕らは現実世界で『自分』というキャラを作り上げることになる。


「各々初期ステータスや才能はバラバラだから、初期ステータスに追加で50ポイントあげるよ。人によって総ポイント数は違うけど、そこは、ほら、人生って必ずしも平等なわけじゃないでしょ? 仕方がないことだって諦めてね」


 女は手で宙をはたくような近所のおばさんじみた動作でけたけた笑いながら言う。

 すると、僕の後方——割と近い気がする——から訝しむような男の声が発された。


「あんたいったい何者なんだよ」


 男の声に、女ははたと笑うのをやめて顎に手を当てて視線を上向きに考え出す。

 

「何者……か。うーん。女神、とでも言っておこうかな。皆を死の淵から掬い上げて、再び生きるチャンスを与える慈悲深き女神……その名もエリー。覚えてね」


 エリーはおもむろに僕らに背中を向けると、黒板にチョークを突いた。ただコツン、と触れただけなのにチョークと黒板の接点から一瞬にして文字が広がり黒板を埋めた。

 文字は黒板のみならず、空間を伝播して生徒たちの頭の中に直接浮かび上がる。黒板に記された内容が脳内に焼きつき、定着した。目を瞑っても1文字1文字を鮮明に見ることができた。


「ジョブとステータスの種類はここに記した通り。私はもう行くけど、皆はゆっくり考えてね。ジョブ選択とステ振りを完了させた人から下界に降りるようになってるから」


 エリーは振り返って微笑んだ。笑うエリーは美しい。人は自分の理解を超える得体の知れないものを美しいと思うのかもしれない。そう思えるような麗しさだった。

 彼女の血色のよい唇が艶かしく上下に動く。

 

「ここは転移者の楽園。ようこそ、経験値の箱庭へ」


 そう言ってエリーは消えた。

 

————————————————

【あとがき】

新連載です。最高の物語を、完結まで、皆様にお届けすることをお約束します🫡

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