第39話 銀杏並木文学賞『応募作品完成式』
次の日、瑛人は夙川隆作の家を訪れることとなっていた。
夙川隆作の祖父は有名な作家で、自宅は目白台の豪邸である。自宅には祖父の業績を展示した私設の博物館が併設されていた。祖父がいくら有名であっても、文豪の私設博物館に足を運ぶ人はなかなかいない。
銀杏並木文学賞への応募資格は現役東大生のみ。銀杏並木文学賞への入選にこだわる夙川隆作は、そのためにわざわざ留年していた。
銀杏並木文学賞の応募締め切りが近づいたある日、速水瑛人のもとに夙川隆作から封書が届いた。銀杏並木文学賞の『応募作品完成式』の案内であった。案内は、染野桂子など、夙川隆作とやり取りがあった関係者に送られていた。作品の中身に興味はなかった。夙川隆作の近況が気になった。それ以上に、その式で染野桂子に会って、その後、話をすることが瑛人にとっては重要事項であった。
『応募作品完成式』の会場は、私設博物館の一角にあった。半地下構造の集会場に椅子が整然と並べられていた。内装はすべて白で統一されており、壁には彫刻が随所に配置されていた。肩に担いだ水瓶から水が流れる構造になっているものもあり、生花の入ったガラスの花瓶がところどころにおかれていた。部屋上部は窓になっていた。その付近は地上階と同じ高さで、そこからは外からの光を直接取り入れる構造となっていた。
速水瑛人は背広とネクタイ姿で参加していた。『応募作品完成式』になぜかドレスコードの指定があったからだ。会場に行ってみると分かったが、事前に出席の回答をしたのは速水瑛人と染野桂子の二名のみであったが、染野桂子は時間通りに現れなかった。どうやら遅刻のようであった。
開始時間になるとタキシード姿の夙川隆作が会場に現れた。
夙川隆作は会場に1名しかいないことを気にもせず、唯一の参加者の速水瑛人を気に掛ける様子もなく、にこやかな表情を浮かべながら、まるでロボットのようにプレゼンを行っていた。途中、夙川隆作の生い立ちや初年時代を紹介するムービーや、夙川隆作が作品に関する意気込みを述べるムービーが流れたりしたが、ほどなくして『銀杏並木文学賞応募作品完成式』は終了した。
会場の中央には冊子となった夙川隆作の作品が『ご自由に』と言わんばかりに残されて、そのまま夙川隆作は立ち去って行った。
総合図書館で出会った時とまるで違う雰囲気。瑛人は冊子の状態となっていた夙川の作品に目を通した。50ページぐらいずつ飛ばし読みしていったが、ところどころに10ページ単位の白紙ページが何カ所も含まれていたことに気づいた。
「なんだこれは、完成してないじゃないか・・・」
速水瑛人は、拍子抜けしてしまった。なるほど、だから他に参加者がいなかったのかとも思った。もう帰ってしまおうかと思ったが、あとから染野が来るかもしれない。しばらく、博物館の中を見て回ることした。
博物館の中を周回していると白いグラウンドピアノが視界に入った。駅構内においてあるピアノのように誰が触ってもよいような体になっていた。
瑛人は上着を脱いで席に座り、ピアノを弾き始めた。ふと頭に浮かんだ曲はタイタニックの主題歌マイ・ハート・ウィル・ゴー・オンであった。マイ・ハート・ウィル・ゴー・オンは連弾できるように作曲されている。連弾とはピアノを二人で演奏することである。瑛人が母と連弾をしていた時の記憶がよみがえる。母が復帰したらまた一緒のピアノが弾けるだろうか?
父がかつて言っていた、「奈菜が復帰したら『みんな』で食事をしよう」と。ディープパイロットを捨てる予定の俺に母親の魂が呼び寄せられるだろうか?ディープパイロットを捨てたところで、染野の気持ちは元に戻せるだろうか?命ある限り、愛は永遠である。今はそう信じたい。
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