第38話 花たちに翻弄される雄バチ それが今の瑛人
「生協書籍部で売られてる夙川くんの小説に『ドローンファイター』ってキャラクターが出てくるの。何だかその登場人物が瑛人君そっくりな気がするんだ。小説の中の話だと『ドローンファイター』は自宅のシミュレータを通じて、実際の戦場のドローンを操作して敵と戦ってるって書いてあるんだけど、瑛人君はそんなことしてないよね・・・」
「ありえないよ」
「そうだよね・・・」
瑛人の緊張度はかつてない水準にまで達していた。スマホを握る手が汗ばんでいた。理解が追い付かない情報が同時に押し寄せ、脳が処理しきれない状態になっていた。どうして、夙川がそんなことを小説に書いてるんだ。なんで、それが生協で売られてるんだ。そして内容が・・・。いったいどのようにこの内容を知ったのか。できれば、いますぐ生協に行って売れ残っている夙川の小説を買い占めて火をつけて燃やしてしまいたい。染野には「さすがは夙川、ノーベル文学賞を狙うだけのことはあるね」と笑い飛ばしてしまえば、きっとごまかせる気がする。
染野は時折、せき込んでいる。コロナの後遺症がまだ残っているようだ。それにも関わらずどうやら外から話しているようだ。染野のためにも早く電話を切って、早く帰宅を促した方がよいのだろう。しかし、その日の染野は違った。
「ねえ、今から会えないかな・・・」
瑛人は夙川の話で動揺しきっていた。きっと今の表情を見られたら、いくら鈍感な染野でも異変に気付くだろう。何か回避する手段はないか?しかし、強く拒否するのもおかしい。そもそも、今から染野に会いに行くにしても現地にたどり着いた時には終電近くになっているだろう。冷静に考えてもおかしなことを言っている。
「急にどうしたの?いま、12時だよ」
「あ、そうだったね。ごめんなさい」
染野はあっさりと引き下がった。その時だった。染野の電話の音声に遠くで救急車の走り去る音が聞こえた。同時に瑛人の耳にも直接、救急車の音が聞こえた。
「桂子ちゃん、いま、いったいどこに・・・」
そのタイミングで、電話は切られた。まさかと思いながらも、瑛人が窓のカーテンを開け、外をみて絶句した。自宅の前を走り去る女性の後ろ姿が見えたからだ。自宅前の道を部屋の光が照らしだしたが、女性の姿は暗闇の中へと消え去った。
同級生の染野、教え子の美咲、母親の奈菜。その女性たちに振り回される雄バチ。それが今の瑛人の姿だったのだ。
瑛人は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。正義もくそもなかった。知らぬ間に恋人を追い込んでしまった自分の業の深さを思い知った。怒りと憎悪と無力感が入り乱れ、自然と目の奥から涙があふれ出た。
夙川がどこで知りえたかわからない瑛人の極事項をモチーフに小説にしていた。それを知った恋人から突然、訪問を受けて問い詰められた。このことが悔しかったのではない。
嘘をついて隠すしかなかった。信じてもらえる自信がなかった。見限られることへの恐怖心があった。
走り去る恋人を追いかけることができなかった。どうしても、足が動かなかったのだ。
コロナで傷んだ状態でも駆けつけてくれた恋人。夜中に一人でやってきてくれた。しかし、瑛人は冷徹に追い払ってしまった。瑛人の怒りは自分自身に対するものであった。
瑛人は、父親の執務室に戻るとドローンシミュレータを破壊し始めた。工具箱から取り出したニッパーで配線を切り刻み、ハンマーでディスプレオをたたき割り、筐体を次々と破壊していった。
最期に、ARヘルメットが残った。瑛人はハンマーをもって身構えたが、躊躇した。これは、父親からの贈り物。母親の魂と瑛人を結び付ける手がかり。瑛人はARヘルメットを破壊できなかった。
もし、時間をさかのぼることができたとして、知能工学の学部紹介の時、「なんだか、足を怪我してない?サッカーで怪我したの?」と聞かれた時、「ディープパイロットモードで操縦したからこうなったんだ」と答えたら、結果は違ったのだろうか。
窓の外では東の空が白み始めていた。
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