最後の機憶

「お、オルク様。今のは……」

「うん。あれが魔王ヘル。そして、私の獲物」


兵士の声に応えながら、私は淡々とそう告げた。

心の奥底では、感情が静かに泡立っていた。怒りとも、驚きともつかない、何か熱を孕んだものが。


どういう理由かは知らないが、魔王ヘルは私と母の秘密を知っていた。

あの人との記憶。誰にも話したことのない、私と母だけが抱えていた大切な思い出。

姉妹ですら知らない秘密。


「……秘密を知るのは、私だけでいい」


私は深く椅子に腰を下ろし、机の引き出しから魔力の結晶をいくつか取り出した。

小さなキューブ状に固められたそれは、重々しい輝きを放ち、私の決意を照らしているようだった。


「国王に伝言を」


その一言で、背後にいた兵士たちが慌てて整列し直す。誰もがただならぬ空気を感じ取っていた。


「魔王ヘルは私が相手をする。他は周りの雑魚に邪魔されないよう援護を」

「か、かしこまりました!!」


兵士たちが走り去る音が遠のいたのを確認し、私は足元に視線を落とした。

結晶のキューブを椅子の下に埋め込むと、部屋全体が低く軋んだ。

照明がちらつき、積み上げられていた古書の山が崩れていく。

青白い電流が床と壁を走り抜け、私の前には無数の魔導画面が浮かび上がった。


「メモリー。起きてる?」


『はい。現在は出撃を準備中。完了までおよそ五分です』


メモリーは私が母から受け継ぎ、そして自らの知識と情熱を注ぎ込んで完成させたゴーレム。

長きに渡る準備の果てに、ようやく形になった切り札だ。

姉たちとの戦争に使うはずだった。だが今、それ以上にこの力を使うべき相手がいる。


私は先ほどの対話で得た魔王ヘルに関する情報を、魔導リンクを通してメモリーに送信した。


『魔王ヘル及び現在の状況が入力されました』


「メモリー、アンティラの今の戦力で魔王軍に勝てる可能性は?」


『参照中……結論:およそ三割です』


「……分かった。じゃあ、メモリー単体で魔王ヘルと戦った場合の勝率は?」


『否。最低でも当機の全損は免れません。特殊機兵の八割は戦闘参加前に破壊される可能性が高く、戦力は別働隊へ回すべきかと判断されます』


「……私もそう思う。最後の質問、魔王ヘルはまだ何か手札を残してる?」


『可能性は十割。魔王城地下に侵入した別働隊との通信断絶。加えて、魔力なしでマスターの機体を破壊した事実を踏まえ、さらなる能力の存在が予測されます』


魔族にとって、魔力は血であり、命だ。

魔力のない環境では、本来の力など出せるはずがない。

それにもかかわらず、私の外装を、あの金属の塊を素手で破壊したというのか――。


まさに化け物だった。


『エルアスト王より通信が入っています』


「応答して」


画面に映し出されたのは、王国を統べるアンティラ・フォン・エルアスト。

その顔には疲労と緊張がにじみ、白髪が増えているのが見て取れた。


『オルク、全軍は一時撤退させた。どうやら敵も転移魔法で全て撤退したようだ』


「分かった。そっちの被害状況は?」


『特に問題はない。ただ、一部の民が撤退を敗走と勘違いし、王城に暴徒が侵入した。執事長が深手を負ったが、現在は沈静化している』


「……国王も、執事長も大変だね」


『今更だ。それと――お前の言っていた通り、作戦開始前にユリアーナは逃がしておいた』


「……ありがとう」


『礼など、勝利の後でいい。今は目の前の敵に集中せよ』


『——起動可能。マスター、指示を——』


私は通信を音声モードへと切り替え、足元のレバーに手をかけた。

深く息を吸い込み、一気にそれを引き倒す。


部屋全体が低く唸り、床が振動し始めた。

あちこちに隠されていた機構が起動し、地中から巨大な影がゆっくりと姿を現す。

それは王城の三分の二を呑み込み、地下に隠された全パーツを接続された、四本の腕を持つ巨兵。


それが、私の最後の切札メモリー

母との記憶の結晶。忘れることのない日々。

土足で入り込んだ愚者を駆逐する兵器。


勝率は三割。

けれど、その三割を引き寄せる力が、メモリーにはある。

囮になる覚悟を決めたあの子の中に、私の想いが宿っているなら――。


たとえこの戦いの先に、勝利が見えなくても。

私は、メモリーと共に立ち向かう。

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