ショートショート「若いちゃんちゃんこ」
十文字ナナメ
赤いちゃんちゃんこならぬ
「ご注文の品を、お届けに参りました」
セールスマンは包みを差し出した。
「遅いぞ、小僧」
男は乱暴に受け取った。
「申し訳ございません」
丁寧だが、抑揚のない声。見た目もぱっとしなかった。
「俺は一刻も早くやりたいんだ」
包みを
「お待ちください。改めて商品の説明を」
男の眉間の
「くどい。説明なら、お前が初めて来た時に聞いた。金を払った時にもだ」
「お気に
「ふん。喋りたきゃ、勝手に喋っていろ」
男は手を止めなかったが、セールスマンは顔色を変えずに始める。
「還暦とは、60年で干支が戻ることです。それを記念して、子供服のちゃんちゃんこを着ます」
ちょうど、男が赤いちゃんちゃんこを取り出したところだった。
「そちらの『若いちゃんちゃんこ』を着ると、本当に子供に戻れるのです。年齢にして、ちょうど60歳だけ若返ることができます」
「こいつがあれば、もっと上を目指せる。知恵や経験はそのままに、肉体だけがよみがえるのだからな」
「お客様は70歳ですから、10歳の少年へと若返ります」
男の鋭い目がぎらつく。
「俺は使い走りのヤクザで終わる男ではない。二周目の人生で、裏の世界を牛耳ってやる」
「確認ですが、本当によろしいですか。中には、直前になって
「しつこいぞ。俺は人殺しだ。怖がることなどない」
男はちゃんちゃんこを着ようとした。しかし、慣れない服に戸惑っている。
「お手伝いしましょうか」
「いらん」
「60歳になられた時に、着なかったのですか」
「ふん。
格闘する男が、無理矢理
「説明が途中でしたが、一点だけ注意事項がございます。それは」
「もう済んだ」
男はちゃんちゃんこを着終わったようだった。
「ちゃんちゃんこの着方についてですが」
「済んだと言っているだろう」
むらむらと高まる欲望を、男は抑え切れずにいた。
「さあ、よみがえれ。金も女も、若さと暴力で奪いつくしてやる。覇権を握るのは、この俺だ」
すると、男の体に、ゆっくりと変化が現れた。手、髪、顔――。徐々に変貌を遂げていく。
「おお。全身がうごめいている」
男は満足げだった。しかし、何かしっくりこない感じがした。
「……おかしい。変化はあるが、これは」
男は表情を曇らせた。なぜか、やたらと疲労していく。不思議に思って手を見てみると、驚きに目を
「何だ、この手は」
その手は
「一体、どうなっている」
しゃがれ声が自分のものだと、遅れて気づく。驚いて
「騙したな」
男はセールスマンを
「騙してなどいません」
変わり果てる男を目の前にして、セールスマンは機械的だった。男の髪は白くなり、縮れて、ばらばらと抜け落ちる。
「では、どうして、若返るどころか、老いていくのだ」
息も絶えだえに、割れた唇を動かす。黄ばんだ歯は、根元から腐った。
「正しく着れば、若返ることができます。ですが、着方を間違えると、逆に60歳だけ年を取ってしまうのです」
男は着ているちゃんちゃんこを確かめた。おかしな点はないように見える。しかし、ぼやけた目を凝らすと、分かった。
「縫い目が……」
本来なら隠れるはずの縫い目が、外側に来ていた。
「そうです。焦るあまり、表と裏を逆に着ていたのです。したがって、年齢の増減も、逆になります」
全身が干からびていく。背中が曲がって、身体はひと回り小さくなった。
「お客様は70歳ですから、130歳まで老いることになります」
絶望した顔は、そのまま硬くなった。もう声は出ない。涙だけが、乾いた頬を濡らした。
やがて、男は死んだ。セールスマンは、男の家を後にする。
「あのお客様はつくづく、表に縁がありませんでしたね」
ショートショート「若いちゃんちゃんこ」 十文字ナナメ @jumonji_naname
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます