第七話 そんな簡単でいいのかよ!?

影沼から話を聞いた飯垣は、影沼と同様に信じられないと思いながらも、他に方法も思いつかなかったため、その案に掛けることにした。


「丸井先生。少しお時間良いですか?」


「影沼か。構わないが何だ?」


「舞人のことです。どうもイタチごっこになっているようなので、一度落ち着いて話し合いをしたほうが良いのではないかと思いまして」


舞人と聞いて、丸井の表情に苦いものが混じった。


「飯垣か、確かに少々困ってはいるな。私が安易な発言をしてしまったせいでもあるが、ここまで食らいついてくるとは。すぐに諦めると思っていたのだが」


「でしょう?舞人は言い出したら聞きませんから。僕が間に立てば話もしやすいと思うんですがどうでしょうか?」


影沼の提案に対して、丸井は生徒に頼み事をすることに迷いを見せたが、このままだと埒が明かなそうだと判断したようだ。


「ふむ・・・そうだな。折角の申し出だ、頼もうか」


「えぇ、任せて下さい。それで今日の放課後はお時間取れますか?」


「17時以降であれば構わない」


「分かりました。それでは17時半に三丁目の喫茶<憩いの時>でお待ちしてますね」


「待て。何故待ち合わせ場所を喫茶店にする必要があるんだ?」


急に学外の喫茶店を指定したことに丸井が疑問を呈したが、それを予想していた影沼はもっともらしい理由を上げて説得に掛かった。


「学校だと学生と教師という立場がどうしても抜けないじゃないですか。今回の話は学校とは無関係なので、場所を移した方が良いと思うんです」


「・・・なるほど。一理あるな」


飯垣を相手に一度立場という武器で言葉負けした丸井としては、影沼の言う学校とは切り離した話し合いという言葉は魅力的に感じた。

この時点で影沼の言葉に丸め込まれているようなものなのだが、対話術に疎い丸井はそのことには気づけなかった。


「分かった。17時半に喫茶店で、だな」


「はい。よろしくお願いします。それでは失礼します」


約束を取り付けると影沼は一礼して職員室を出て行った。


「飯垣もあのくらい礼儀正しければいいんだがな」


丸井の呟きに、周囲で聞き耳を立てていた数名の教師は同じ感想を持った。


(礼儀正しければいいってわけじゃないんだよなぁ。)


影沼のずる賢さを知っている他の教師たちはそう考えたが、自分まで巻き込まれるのは御免だと判断して丸井への助言を諦めた。


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放課後になり、丸井が指定された喫茶店にやってくると、そこには既に飯垣と影沼の二人が席に座って待っていた。他の客は居ないようだ。


「先生、こっちです」


「あぁ、待たせたか」


「いえいえ、時間通りです」


席に座ると店のマスターが水を持ってきた。礼儀として何か頼もうとした丸井を影沼が言葉で制した。


「今日は提案に乗って頂いたお礼に僕らからご馳走させて下さい。マスターにも話は通してありますので」


「いや、生徒にそんなことをさせるわけには」


「この話し合いは学校は関係なし、でしたよね?」


「む、確かにそう言う話だったか。まぁ準備までして貰って断ってはマスターにも申し訳ないしな。では有難くご馳走になろうか」


「はい。それじゃマスターお願いします」


影沼からそう言われたマスターは軽く頷くとバックヤードに戻っていった。


「改めて、今日はお時間取って頂いてありがとうございます。ほら、舞人もちゃんとお礼言わないと」


「あ、あぁ。ありがとうございます」


「・・・いや、承諾したのは私だからな。構わない」


飯垣の普段とは異なる態度に違和感を持った丸井だったが、指摘するほどのことではなかったため素直に頷いた。


「それでは本題に入りましょうか。例の武術の件についてですが」


「やはりお前も知っているのか。困ったものだな」


「すみません。舞人から聞きました。舞人にはきつく口止めしたのでこれ以上話が漏れることはないと思いますので」


影沼はそう言ったが、丸井の表情は厳しいままだった。


「人の口に戸は立てられぬというらしいがな。まぁいい。それで?」


「正直、今のままだと舞人が先生に追いつくのは無理でしょう。なのでせめて何かヒントを頂けないかなぁと」


「無理だな。現時点でも私は最大限の譲歩をしているはずだ。これ以上そちらに有益な情報を渡してやる義理はない」


バッサリと切り捨てるような丸井の発言だったが、影沼はその言葉に笑みを浮かべた。そして、ちょうどそこにマスターが注文の品を持ってきた。

飯垣と影沼の前にはコーラとカフェオレ、そして丸井の前にはコーヒーが置かれ、次に三人の前にそれぞれイチゴのショートケーキとモンブランが置かれた。


「・・・私はコーヒーだけで良い。ケーキは二人で分けて食べてくれ」


「いやいや、僕達男ですし二つもあれば十分ですよ。それに招待した先生を差し置いて僕達だけが食べるわけにはいきませんから。どうぞ遠慮なく食べて下さい」


「・・・そうか。折角の好意を断るのは失礼だな。では、いただきます」


そう言って丸井はフォークを手に取ると、慎重な手つきでケーキを一切れ口に入れた。しばし無言の静寂が辺りを包む。時折フォークの奏でるカチャリという音だけが喫茶店の中に響いた。

影沼がマスターに頼んで今日用意して貰ったケーキは、普段店で出しているものとは異なる特別なものだった。少しでも譲歩を引き出しやすいようにと策を弄したのだが、それでも影沼は目の前の光景を信じられなかった。

普段は無表情といっても良いくらいの丸井が、少女の様に満面の笑みを浮かべてケーキを堪能している姿がそこにはあった。

飯垣もその光景が信じられないのか呆然とした表情でその様子を見ている。

しばらくして「はっ!」と意識を取り戻した影沼が、丸井がケーキを食べ終えたタイミングを見計らってもう一度交渉を試みた。


「ええっと、話が途切れてしまいましたが、そこを曲げて何とかヒントだけで良いので教えて頂けませんか?」


まだ立ち直り切れていなかったらしい。影沼にしては珍しく言葉を詰まらせつつも再度お願いを口にした。

丸井はまだケーキの余韻に浸っていたが、そのお願いに「はっ!」と先ほどの影沼と同じような反応を見せた後、その表情に苦々しいものが混じった微妙な表情で言った。


「・・・林」


「え?」


「林だ。これ以上のヒントは出せない」


この島には割と自然が多い。とはいえ林といえる場所はそこまで多くはない。このヒントがそのままの意味であれば数回待ち伏せすれば当たりを引けるだろう。


「なるほど。分かりました。ありがとうございます」


「礼を言うのはこちらの方だろう。とはいえ、影沼がそちら側なのは当然だったな。私もまだ甘かったようだ。次からは認識を改めるとしよう」


そう言うとバックヤードに居たマスターを呼び、そちらにも感謝の言葉と共に深々と頭を下げていた。

影沼に余計なことは言うなと釘を刺されていた飯垣は、二人のやり取りを眺めながら、何とかその感情を口に出さずに思うだけに留めることができた。


(そんな簡単でいいのかよ!?)

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