第4話 守りたいもの

 帰りの車の中で、俺はこれまでの恋愛経験を振り返った。

 大学時代に初めて彼女ができた。彼女は俺の言いたいことを汲み取ってくれる人で、ずいぶんと甘えてしまった。

 社会人になってからも交際は続いたが、英語教師としてキャリアを積むため彼女が留学することになった。時差ありの遠距離恋愛ではコミュニケーションを密にとることは難しく、やがて別れることになった。

 寂しい気持ちを紛らわせるために仕事をしているうちに、27歳になってしまった。そろそろ結婚を意識するお年頃だ。俺はますます恋愛に臆病になっている。

 

「ただいま戻りました」

「おう。お疲れ」


 店舗に帰ると、親父が常連客の四谷さんと話をしていた。四谷さんはハンチング帽がトレードマークのダンディなお方なのだが、心なしか元気がない。


「どうかされました?」

「『ゆめうたげ』、生産終了なんだってねぇ」

「えっ」


 『ゆめうたげ』は新潟にある、柳都りゅうと酒造という蔵元さんの看板商品だ。ひと口飲んだだけで夢心地になれると謳われた名酒が生産終了? どういうことだろう。


「柳都酒造さん、廃業するんだとさ」


 親父の言葉に俺はショックを受けた。

 俺は新潟まで赴いて、柳都酒造さんの酒蔵を見学したこともある。社長さんには実の息子のように可愛がってもらった。


「日本酒人口も減ってるからな。柳都酒造さん、フランスの展示会に参加したり頑張ってたんだけどな」


 スタッフの高齢化も背景にあるらしい。事業継承も考えたのだが、後継者候補とうまくマッチングできなかったのだとか。


「寂しいです……」

「本当にねぇ」


 四谷さんは『ゆめうたげ』を一本購入した。


「本当は全部買い占めてしまいたいが、他のみなさんもこの酒との別れを惜しみたいだろうからね」

「四谷さん、お気遣いありがとうございます」

「誠司くん。新しい酒との出会い、期待しているよ。きみみたいな若い人にこれからの時代を担ってもらわないと」

「頑張ります」


 寂しげな足取りで、四谷さんは帰っていった。

 店内には他のお客様の姿はない。


「『ゆめうたげ』の穴、どうやって埋めよう?」


 親父に訊ねると、険しい表情をされた。


「誠司、分かっただろう。日本酒業界は先細りだ。うちみたいな地域の酒屋に未来はない」

「何言ってるんだよ!」

「酒屋で一年働いてみて分かっただろう? 売上の多寡に一喜一憂したり、重いビールケースを持ち運んだり。地味で報われない仕事だ。聡志の会社が経理担当者を探しているらしい。そっちを手伝ったらどうだ」


 俺の兄、聡志はIT企業の社長をやっている。スタートアップ企業というのは常に人材不足で、信頼できる働き手が欲しいらしい。


「じゃあ、うちも廃業するってこと?」

「いずれはな」

「俺はそんなの嫌だ」

「今すぐに答えを出さなくてもいい。よく考えておけ」


 お客様が来店されたので、親父はそこで言葉を切った。


「クラフトビールでございますか? こちらの冷蔵ケースよりお選びいただけます。おすすめはそうですね……夏らしくさっぱりとしたお味の、こちらの商品はいかがでしょう」


 親父の目が幸せそうに弧を描く。

 なんだよ。

 酒屋の仕事を愛しているくせに、いずれは廃業するだなんて言いやがって。

 俺は絶対に沢辺酒店を守ると心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る