第9話
ーーなんだろう。
起きてからずっと天佑に顔を見つめられている。
気になって仕方がない。熱烈ともいえる視線に負けて、躊躇いがちに尋ねてみることにした。
「天佑様」
「前にも言ったが、敬称はいらない」
「ですが……」
さすがに皇帝陛下を呼び捨てにする度胸はない。
「寵姫であるお前には私の名を呼ぶ権利がある」
呼んでくれ、と彼が強請(ねだ)る。それでも言い淀むわたしに「ならば……」と彼が続けた。
「これは皇帝である私の命令だ」
不適に笑った彼の顔には「どうだ。これで拒めまい」と書いてあるようだった。
(天佑って考えていること顔に出るわよね)
ゲームをしていた影響で、内心では敬称も付けずに呼んでいるものの、それを彼の前で口に出せるかは別の話だ。
得意気な顔をしている天佑にどう断ろうか考える。
(大体、皇帝の命令だなんて最上級の職権濫用じゃない)
天下人の命令に一庶民がどう抗えば良いのか。困った。どうしよう。
そう頭を悩ませていると、彼がわたしの手を握った。
「二人きりの時だけで良い。だから琴葉の口から『天佑』と呼んでくれないか?」
ああ、そうか。
彼が自分の名前を呼んでほしい相手はあくまで『琴葉』だ。
幼い頃。『琴葉』は彼のことを『天佑』と呼び捨てていたのだから、それを再現しようとしているのだろう。
長い沈黙の末。『二人きりの時だけ』という条件に念を押して、彼の名を呼び捨てる。
「…………てんゆう」
「ああ……!」
消え入りそうなほどに小さい声であったのに、彼は幸福そうに微笑った。
常ならば見惚れそうなほどに美しい表情なのに、なぜだか複雑な気分になったのはどうしてだろう。
***
朝餉が運ばれ、天佑と共に食べる。彼の様子を見れば、上機嫌そのものだった。
(……勉強してみたいってこと、いつ言おう?)
タイミングを見計らっていると彼の方から声が掛けられた。
「どうかしたか? 琴葉に見つめられるのは嬉しいが、良い加減。穴が空きそうだ」
「すみません」
「私は謝って欲しい訳ではないのだが。それで、その理由は?」
「ええと」
「琴葉。望みがあればきちんと言え。でないと分からないままだ」
「文字を、学んでみたくて……」
ぎこちなく答えれば、彼は目を眇めた。
「なぜ学ぶ必要がある?」
試すように問いかけられる。
ーーそういえば、ゲームの琴葉はこっそりと文字を覚えて、逃亡を図ろうとしていた。それにより道術で帰る方法や、市井に逃げ込んで働こうとしていたのだ。
文字が読めるというのは、そのような可能性が高まるということ。だからこそ、ゲームの『琴葉』は彼の目を忍んで文字を覚えていった。
だけど、わたしがそんな行動すれば、彼は不審に思い、二度とわたしを信じなくなるだろう。それはわたしの本意ではない。
すっと息を吸って、彼を見る。
怯えて引けば、この話は終わる。
だったら、ちゃんと自分の意思を伝えなきゃ後悔する。そう思ったから、覚悟を決めることにした。
(それに、天佑はわたしが望んでいることを言え、と話していたじゃない)
聞く気概があるのだ。それを無下にするのは勿体無いことだ。
「天佑。わたしが文字を知りたいのは、書物を読んで、天佑の治めるこの国のことを学んでいきたいと思ったからです」
偽りのない本心。
駄目なら諦めます、と言えば、彼は重たい溜息を吐き出した。
「琴葉はずるい」
「……え」
「私の国を知りたいということは、私の行った内政を知ることになる。それは私に興味があるということだろう?」
うん?
まぎれもない曲解である。
しかし、彼が嬉しそうに頬を緩めるのだから、あえてそれを指摘するのも野暮な気がした。
「……そうですね。天佑のことも教えてください」
どうせなら、彼のことも知ろう。
怖いと怯えてばかりでは、見えるものも見えなくなる。
彼を知って、どう対峙するかはわたし次第なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます