第32話
大河が桜中学へ行くと決めたのは小学六年生の春だった。
六年生にもなると、自分が羽菜に対して持っている感情が恋であるのだと薄々気づいていた。好きだから意地悪をして、こっちを見てほしい。そういう幼稚な思いから羽菜をいじめていたということも、理解するようになっていた。
しかし、そんなことをしていても羽菜はこちらを向いてくれない。当然、いじめてくる人間を好きになることがおかしい。だから大河は手を出すことをやめた。暴力はだめだ。そんなことをしても、嫌われるだけで好きになってはくれない。
羽菜の隣にはいつも悠太がいた。悠太が羽菜を好きなことは見ていてわかったし、これが本来の愛情の示し方。好きになってもらうための言動とは、こういうことだと思った。
しかし悠太のそれをすぐに真似できる程の精神はなく、ただ羽菜を怪我させるような行いだけを改めた。
羽菜が桜中学に行くことは予想していた。けれど、万が一違うかもしれないから、二人だけのときに聞いた。やはり桜中学に行くようだった。
大河は羽菜と別の中学へ行くことも考えた。羽菜のことを忘れた方がいいのかもしれないと思った。
だが、そう考えた翌日、羽菜の顔を見ると無理だった。離れようとする気が失せ、自分も桜中学に行こうという気しか起こらなかった。
小学校六年間、真面目に勉強をしたことがなかった。いつも寝るか、羽菜を見るか、外を見るか、そのくらいだった。故に成績は悪く、羽菜との学力の差は大きく離れていた。これでは桜中学に行っても、勉強についていくのが精いっぱいで羽菜と関わる機会が減ると思った。
同じ学校になれたとしても、大河と羽菜が関わる機会があるのかどうか、それは考えなかった。
とにかく同じ中学に行くために、勉強をしなければと思った。
だからこそ必死こいて勉強した。羽菜は上位にいるのに自分は下位。今がまさにそれだが、頭の良いと言われる中学に行ってそれは情けないと思った。レベルの高い中学を何故態々選んだのか、お前レベルなら紅葉に行けよ。そう思われるのが嫌だった。入学試験があるわけではない。誰でも入れる、自分で選べる。だからこそ、桜中学を選ぶ理由が他に欲しかった。
授業を真面目に聞き、家に帰ったらすぐ勉強。五年生までの教科書を捨ててしまった後悔と、親にお願いして買ってもらう羞恥。
羽菜と同じ学校に通う理由が欲しかった。ただそれだけのために、一年間毎日欠かさず勉強をした。
「あんたまた勉強してんの?」
部屋に入ってきた母親に何度も言われた台詞。それもそのはず、今まで良くない成績表をぐしゃぐしゃにして持ち帰り、気にすることなく遊びに出かけていた息子が、急に勉強に精を出し始めたのだから。
「うるせえな。ほっとけよ」
「はいはい。でも勉強なんてできてもできなくても、母さんどっちでもいいわよ」
親は勉強の得手不得手に関心はなかった。
必死で勉強する息子を応援するでもなく、休めというわけでもなく、ただ放置して心配になったら見に来る。深く追求してくることもなかった。
桜中学へ行くと言ったときも両親の反応は薄く、「そうなの」で終わった。
大河としては「どうして頭の良い学校に行くの?」と聞かれたとき、今自分がたくさん勉強していることを答えにするつもりだった。
桜中学に行く理由を学力にする。そのためには上位をキープしなければならない。親に何かを言われたとき、理由が言えるように。他人から聞かれたとき、理由が言えるように。
悠太程でなくても、上位十位以内に食い込みたい。
そうすれば、がり勉のあいつもこっちを見るかもしれない。
勉強をしていて楽しいとは思わなかったが、楽しくないとも思わなかった。
好かれるための手段だった。
この調子でいけば、きっと入学したころには今とは違った成績が出るだろう。
今とは違った関係性に。
できれば、勉強について話し合えるような。教え合うような。そんな関係が望ましいが、そのポジションには悠太がいる。悠太と羽菜には学力に差がある。だからこそ、自分と羽菜が同じレベルになり、横に並ぶことが今の目標だ。
できれば羽菜と二位争いをする。そうすれば、今とは違った目で視界に映してくれるはずだ。
桜中学の入学式当日、家を出るギリギリも大河は勉強していた。
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