修仙人妖伝にて、悪役の光堕ちを希望します!

汐味ぽてち

第一章『転生』

第一話:大好きな小説の主人公に無理やり転生させられました!

この世には、自身の思い描いていた物語の終わり方ハッピーエンドがことごとく覆される事が山のようにある。

 凄惨な最期を遂げてしまう登場人物たちを思うと、どんな冷たい人間であろうとも胸が痛くなるはずだ。

 誰も彼も、推しにはバッドエンドなんて迎えてほしくはなかったと常々思うだろう。

 そしてそれは、この一人の青年も例外ではなかった。

 

「どぉしてなんだよぉっ!」

 ダンッ!と机の上に勢い良く頭を打ち付け、まるで日本の某新世界系神漫画の主人公を彷彿とさせるように叫び散らかす青年を、周りの者は哀れみを込めた瞳で見つめていた。

 青年の手には、先日発売されたばかりの長編小説、『修仙人妖伝しゅうせんじんようでん』の最終巻が皺が寄る程に強く握られている。

 青年――呉浩然ウーハオランは、めそめそと泣きながらあらんかぎりの大声を発し机に突っ伏す自身のその様子に、周囲がドン引いて冷めた目で見ているのにも気づいていない。

 浩然ハオランのそのあまりにも惨めたらしい姿に、彼を囲って談笑していた友人たちは呆れ返ったかのようにはぁと深いため息をついた。

 毎度の事ながら、この情緒が豊かな友人には振り回されてばかりである。

「おい浩然ハオラン、うるさいから叫ぶな」

「これが叫ばずにいられるか!ずーっと推しに推しまくってた我が最推しが作中でもずっと苦しんだ挙げ句推しの兄とバッドエンド迎えるとか、俺の推しをどこまで苦痛に歪める気だってんだよこの作者! 俺の推しを返せ!こっちは命懸けて推しを推してたんだよクソが!」

「こいつ今推しって何回言った?」

「八回」

 推し推し推し推し、推しのおしくらまんじゅう状態の如く叫び散らかす浩然ハオランに、今しがた講義を終えた妙齢の教授が訝しげな瞳を向けた。

 そう、浩然ハオランは大学の講義の受講中にも関わらず、自身のマイブームである修仙人妖伝の最終巻を朝から読み耽っていたのだ。

 まともに授業を受けないで本に入り浸っていた浩然ハオランのその態度から、成績表に最低評価をつけようかつけまいか悩ましい所である。

 しかし、ぶっちゃけ追及するのもめんどい。今回は見逃してやるとばかりに教授がさっと講義室から出る所を見やった友人たちは、ホッと息を吐きながら再び浩然ハオランに意識を向けた。

 ちなみに、問題の中心人物である浩然ハオランは潔く涙を止めたはいいが、未だぼーっとした表情は拭えず、呆けたような顔で天井を無言で見つめている。


 さて、ここで先程から名前が上がっている『修仙人妖伝しゅうせんじんようでん』という小説がいったい何なのかの説明をしていこう。

『修仙人妖伝』とは、とある作家が書いた中華長編フィクション小説の事である。

 時代設定は、古代中国。

 仙人と妖怪と人間が共存する、『三界』という世界が存在するいかにもファンタジーチックな物語になっている。

 仙人とは、修仙(大気中に存在する霊力を取り込む為の、過酷な修行)を経た人間がなる事のできる、いわば神様のような存在だ。

 過酷な修仙を乗り越え、無事仙人となった者は不老不死となり、強力な神通力(いわば仙人の使う力。治癒や攻撃、防御など様々な力)を得る事ができる。

 仙人となった者は、困難に満ちている人間を救う為に様々な任を受ける事が主な仕事なのだ。

 反対に妖怪とは、恨みを持って死んだ人間や生物の邪気から生み出された怪物のような存在である。

 妖怪は、妖力という神通力と似たような力を使っては人間や仙人に様々な悪さをして自分たちが三界を支配しようとする、いわゆるこの物語の諸悪的な存在なのだ。 

 この物語の主人公である余楽清ユイルゥチンは、特別な仙人としてこの世界に生み落とされた。

 普通、人間が仙人になるには先程も言った通り、修仙という過酷な修行をこなさねばならない。

 しかし、例外が一つだけあった。

 この世界には、仙花せんかという神通力がふんだんに込められた唯一の神の花が、千年に一度その花びらを咲かせるという伝説がある。

 余楽清ユイルゥチンは、この花びらの中から生まれた。

 この花から生まれた者――別名、『天清仙人てんしょうせんにん』は、例外なく誰もが皆生まれながらにしての仙人として一生涯を過ごす運命にある。

 圧倒的な力を携え、常に人外なる強い神通力で数多の任を全うする余楽清ユイルゥチンのその様に憧れる若者も多く、今では多くの仙人候補である弟子を抱える現状にあった。

 一方では、『天清仙人』の母と、妖怪の長である『妖王ようおう』の父との間に二人の兄妹が生まれた。

 兄を洛星宇ルオシンユー、妹を洛林杏ルオリンシンと言う。

 二人は生まれついた時から、神通力を使用する際の力の源である仙根と、妖力を使用する際の力の源である妖根を身体の中に携えていた。

 その為、互いに疎ましく思い合っている三界から嫌われて育ってきたのだ。

 半仙半妖としての運命に翻弄され、必死に生きていく中で実の母は忌み子を生んだ事で処刑。そして実の父は妖王として三界を征服する為に数多の生き物への駆逐の限りを尽くしていた。

 妖王の征服を止める為、敵対関係であった余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーは互いに手を取り合い、苦難の末に見事妖王を倒す事に成功し、洛星宇ルオシンユーは新たな妖王として君臨する事になる。

 しかし妖王討伐の際、洛星宇ルオシンユーの側近で親友であった妖怪が裏切って彼に重症を負わせたのだ。

 今までの凄惨な人生と実の父への憎しみ、そして親友の裏切りによって洛星宇ルオシンユーは闇落ちしてしまう。

 自我を心の中に封じ込め、ただひたすらに殺戮を繰り返す化け物と化してしまったのだ。

 余楽清ユイルゥチンは何とか彼を救いたかったが、自身と同じく不老不死の洛星宇ルオシンユーを止めるには、自身が封印術を使って彼を永遠に黒化こくかする事(神通力の込められた黒曜石に魂を封印する事)しか方法がなくなってしまう。

 暴走する兄を止める為、そして仲間である余楽清ユイルゥチンを助ける為に、妹である洛林杏ルオリンシンは捨て身で洛星宇ルオシンユーに飛びかかり、『自分ごと兄を黒化してほしい』という決死の思いを余楽清ユイルゥチンに託した。

 その願いを聞き入れ、満身創痍になりつつも余楽清ユイルゥチンは二人の黒化に成功する。

 こうして、この三界に再び平和が訪れたのであった。


 というのが、粗方の物語の内容である。

 ちなみに全ニ十巻とかなりボリューミーであり、その内容の濃さやキャラクターの魅力から老若男女問わずファンが非常に多い作品となっている。

 去年には実写映画化もされ、最終巻が発売された今でもなお絶大な人気を博している現状にあった。

 浩然ハオランはこの作品の熱烈な大ファンであり、またこの作品のメインヒロインである洛林杏ルオリンシンを全力で推してきたのだ。

 可憐な容姿もさることながら、一見冷たく感じる性格の裏に隠された健気さが売りの美少女を、世の男が好かないはずがない。

 しかし、この度最終巻にて洛林杏ルオリンシン洛星宇ルオシンユーとともに永遠に封印されてしまった。

 作品自体はハッピーエンドを迎えたが、スパダリ系イケメンの洛星宇ルオシンユー推しの大きなお姉様方と洛林杏ルオリンシン推しの男たちには大きなダメージを喰らわせる結果となったのだった。

 絶望に打ちひしがれた浩然ハオランは、未だ机に突っ伏したまま蚊の鳴くような声で呟き始める。 

「いやさ、作品にとって一番大切なのは物語の内容だってのはわかるよ?でもさ、内容が面白くなるんだったら人が命懸けて推してるキャラを破滅の道に導いてもいいのか?俺が今までどんだけ林杏リンシンちゃんに貢いできたと思ってんだよ……」

「確かにお前の推しへの貢ぎ具合ヤバかったよな。バイト代は根こそぎグッズやら劇場版観劇やらに注ぎ込みまくって母親から追い出されそうになってたし。一回マジで追い出されて俺ん家に避難してきた時は流石に馬鹿かコイツって思った」

「その節は誠にありがとうございましたって気持ちだけど、劇場版特典がランダム配布なのが悪い!」

 ぴぎゃぁあと再び喚いて泣き出す浩然ハオランを、友人たちは呆れながらも優しく背中を撫でてやった。

 何だかんだ言って、(修仙人妖伝関係の事以外なら)明るく天真爛漫な浩然ハオランの事を、皆大切に思っているのだ。

 しかし、そんな浩然ハオランを探るようにコソコソと見つめる眼が一人分、怪しげな色を携えて浮かんでいた。

「……アイツは使えそうだ」

 涙でびしゃびしゃの浩然ハオランの顔を遠くから見つめつつぽそりと呟く男の眼鏡が、怪しげな光を帯びる様を見た者は他に誰もいなかった。

 

「あー……愛しの林杏リンシンちゃん……」

 ショックを堪えつつ何とかバイトを終え、人気のない夕暮れの道を浩然ハオランはとぼとぼと歩いていた。

 その様はまるで、修仙人妖伝に出てくるモブ妖怪のような出で立ちだ。

 亡霊のように生気の抜けたこの様を他の者が見たなら、思わず救急車を呼んでしまうであろうくらいにみすぼらしい事この上ない。

 ふと、呆けたかのようにフラフラと歩いていた浩然ハオランの前に、突如として誰かが道を妨げるように立ち塞がってきた。

 当てもなくしょげしょげと目線をさ迷わせていた浩然ハオランがふと前に立っている人物に視線を寄越せば、夕暮れの陽に反射した眼鏡がキラリと怪しげに光る。

 今流行りの明るいマッシュルームヘアーと軟骨に空いたピアス穴とは反比例の、見るからに冴えなさそうな眼鏡の容貌が特徴的だ。

 浩然ハオランと同じくらいの年頃の青年だが、その表情はどこか陰険な雰囲気を漂わせている。

「あの、呉浩然ウーハオランくんですよね?」

「?そうだけど……」

 さも当然のように浩然ハオランの名を呟くこの男は、確か同じ大学で同じ講義を受けている生徒ではなかったか。

 いつも一番後ろの端の席にいたから、関わりを持った事はいっさいなかったが。

 僅かに見覚えのあるその青年に首を傾げながら浩然ハオランは記憶を辿ろうとぐるぐる頭を巡らせるが、それは突然に終わりを告げる事となる。

「んぐっ!?」

「君に恨みはないですが、僕に協力してもらう為に一回死んでもらいます」

突如として目の前の青年は、素早い動きで浩然ハオランの背後に回ると、手に持っていたくしゃくしゃの『何か』を彼の喉の奥へと詰め込み、掌で口を頑丈に塞いで来る。

 細身の体型に似合わず、かなりの腕力だ。

 口の中へと入ってきた異物の、舌に乗るざらついた感触と独特なインク臭から、それが『本や雑誌か何かの紙』である事を察した浩然ハオランだったが、それも今では意味を成さない。

 喉の奥底にまで目一杯詰め込まれた紙に一気に呼吸を奪われつつも、その突然の暴行から逃れる為にジタバタと暴れる。

 しかし、喉を塞がれた影響で酸欠に陥り、酸素の行き渡らなくなってしまった身体は徐々に抵抗する力を失い始めた。

 遠退く意識の中、必死に何かを言い残そうと浩然ハオランは最後の力を振り絞って声を出そうとするが…。

「ごこぉぼぇぇぼこぽこふしゅ……」

「うわっ、汚い声。ふしゅって何……」

 どうやら聞いていられないくらいに汚いであろう声しか出す事ができない。

 あまりにも理不尽な殺され方と、あまりにも理不尽なその罵倒を最後に浩然ハオランの命は終わりを告げてしまうのであった。



 


「……ん……ず……!」

 誰かが呼んでいる。

 しかし、どうやら己の名ではなさそうだ。

 焦っているかのような、その複数人の声は残念ながらどれも聞き覚えはない。

師尊シズン!」

 誰かのその必死に呼び掛けてくる声に、浩然ハオランはぼんやりとする意識を一気に覚醒させた。

 確か自分は、同級生に襲われて死んだはずではなかったか。

 ならなぜ、目覚める事ができたのか。

「ああ良かった、お目覚めになられて!」

「……?」

 覚醒したばかりでぽやっとする頭を振りかぶり、何とか掠れる眼を必死に細めて辺りを見渡す。

 ぼんやりとする視界に入ってきたのは、髪を結い上げた古風な出で立ちの涙目の若者たちがずらり。

 誰だコイツら?と声に出さなかっただけでも吉と言えよう。

 それに、今自分がいるであろうこの部屋もさっぱり見覚えがない。

 全体的に白で統一された簡素な、しかし広々とした窓から自然豊かな光景が拡がるこの部屋に寝かされている意味がよくわからない。

 おまけに、起床した時からとにかく身体中が痛くて仕方がない。

 ふと視線を自身の身体の方に落とせば、何故か身体中に白い包帯がぐるぐるに巻かれている。

 全く持って理解できないこの状況に、浩然ハオランが声も出せずにいると、ふと目の前で涙を潤ませていた一人の青年がゆっくりと背中に手を添えて上半身を起こしにかかってくる。

 起きた反動で包帯に包まれた身体が悲鳴を上げるが、辛うじて声には出さずに堪え忍ぶ事ができた。 

師尊シズン、お身体は大丈夫ですか?あの戦いから一週間も目を覚まさないから、私たち弟子はもう気が気でなく……」

「……」

「とりあえず、まずは水分補給を。喉を潤してください」

 身体の痛みを歯を食い縛って耐える浩然ハオランに、若者の内の一人がずいっと水の入った盃を掲げてくる。

 随分と値の張りそうな盃を前に、浩然ハオランはふと何気なく中の水に視線を寄越した。

 僅かに波打つ水面には、見慣れた自身の顔ではなく、見知らぬ誰かさんの顔が映っている。

 いや、見知らぬとは語弊がある。

 長い睫毛に覆われた切れ長の青い瞳や、陶器のように真っ白な肌が特徴的なこの凪いだ美貌は、今までにもさんざと見てきたはずだ。

「……余楽清ユイルゥチンそっくりじゃん」

「……?」

 この顔は、まぎれもなく修仙人妖伝の主人公である、余楽清ユイルゥチンその人の顔だ。

 今まで小説の表紙や挿絵、実写で何百回と見てきたので、今さら見間違いようがない。

 ではなぜ、フィクションの登場人物に成り変わっているのか。

 元々オタク気質な浩然ハオランからしたら、答えを導き出すのは案外簡単な事であった。

「……なるほど、これが今日本で流行りのな○う系ってやつか」

師尊シズン?」

 細い顎に指を添えながらぽそりと呟く浩然ハオランのその様子に、周りの若者たちは困惑じみた声色で呼び掛ける。

 しかし、今の彼の耳にはその声が木霊する事はない。

「なるほどなるほど。つまり俺は同級生のモブに命を奪われた挙げ句、何故か修仙人妖伝の世界の主人公、余楽清ユイルゥチンへと転生。どこぞのライトノベル摩訶不思議大冒険に巻き込まれてしまった訳か……」

 ふむ、とまるで名探偵のように答えを導き出した浩然ハオランだったが、突如としてその茶番劇は幕を閉じる事となった。

「ざっけんなこんな非現実的な事がそう易々と起こってたまるかってんだクソがぁあ!」

 浩然ハオラン――もとい、余楽清ユイルゥチンのその渾身の叫びは、三界中に広く轟く勢いで木霊するのであった。

 

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