第16話 「今」を生きる

X(旧Twitter)で開催中の#BL超短編企画(主催:万年青二三歳様)参加作品です。


  好きで、好きで、もうしようもなく好きで。

 でも、彼はノンケだから望みはなくて。

 だから、せめて隣に居れたらと友達のフリをして。


「実は俺たち、明日結婚するんだ」

「付き合ってること、内緒にしててごめん。でも、結婚は冬馬と伊織に、一番に伝えたかったんだ」

 

 なのに、これはあんまりだろう。

 世界が急速に色を失っていく。

 胸が痛い。

 息が、できない。


 *


 智也と直樹を乗せたタクシーが遠ざかっていく。

 俺はテールランプの残像が消えるまで、それを見送った。

 駅のロータリーに残ったのは、俺と冬馬だけ。


「じゃ、帰るわ」

「なんだ。一人で帰れるのか?」


 くるりと背を向けた俺に、小馬鹿にしたような笑いが投げつけられた。

 いつもなら無視してそのまま帰る。

 でも、今の俺は冷静じゃない。


「うるせぇ!」


 振り向いた途端、飛び散る雫。

 やっと一人になれると思った。

 それなのに、冬馬は俺の気持ちを逆撫でする。


 もう嫌だ。

 世界は俺に優しくない。

 前世の記憶を残したまま俺を転生させたくせに、その意味を教えてくれない。

 そして、密かに慕情を向けていた幼馴染の智也は、会社の後輩の直樹と結婚を決めてしまった。

 俺が何したっていうんだ。

 

 そして、優しくないのは目の前にいる男も同じ。

 

 冬馬は、直樹の高校からの同級生だ。

 二人仲良く揃って入社してきたのが三年前。

 俺が冬馬を、智也が直樹の新人教育をしたのがきっかけで、後輩二人とも飲みにいくようになった。

 四歳の歳の差は、大人になれば大した差じゃない。

 俺たちは親睦を深めていった。


 だけど、問題がひとつ。

 それは、冬馬は前世で俺と幼馴染であり、そして、俺と俺の君主を殺した敵国の王子であること。

 

 前世の記憶を持ち、いつか君主との再会を夢見ていたというのに、俺の前に現れたのは、よりにもよって宿敵だった。

 そして、最悪なことに、冬馬も前世の記憶を持ったまま、この世界に転生した。


 仇に優しくできるもんか。

 俺は仕事は教えるけれど、コミュニケーションは最低限にするつもりだった。

 でも、冬馬は仕事は真面目にするものの、終われば俺を挑発してくる。

 俺が智也に好意を抱いていることに気付いてからは、余計に。

 表向きは友好を深めていても、裏では当然火花を散らしていた。


 俺が不幸のどん底にいても、冬馬は攻撃の手を緩めない。

 そうだ、こいつは傷口に塩をジャリジャリとすり込むやつだ。


 俺は冬馬を睨むと、踵を返して終電間近の駅に向かう。

 それを、冬馬は俺の腕を掴んで阻んだ。


「離せよ!」


 それを振り解こうとしたけれど、冬馬の馬鹿力のせいで振り解けなかった。

 俺は無言の冬馬に路地裏に引き摺り込まれ、配管が蔦のように這うビルの壁に押し付けられてしまった。

 

 勢いで後頭部を壁に打ち付けるし、背中に当たる配管の凹凸が痛い。

 最悪だ。

 普段は我慢していたけど、殴っていいよな。

 

 けれど、ぐっと握り締めた拳は冬馬に押さえつけられてしまった。

 俺の行動を先読みしていると考えるだけで腹が立つ。


「伊織って本当、可哀想だよな」

「敬愛する君主にも会えず、恋に敗れた俺が可哀想だと思うのにこれか? さすが、冷酷無慈悲な綾国の王子だな」

「まあ、失恋したのは可哀想だけどな。でも、一番はそういうとこだよ。前世に囚われたまま、卑屈になっている」

「な、に……?」


 俺が前世に囚われているだって?

 そんなことはない。

 智也がかつての君主に似ているのは偶々だ。

 そして、俺は自分の意思でかつての君主を探そうと思い、海外出張が頻繁にある総合商社に入社した。

 前世に囚われているのは俺ではなく、ミーティングで二人きりになった時、前世の話を始めた冬馬の方じゃないか!


「伊織ってさ、俺を俺として見たことないだろ」

「は? 意味わかんねぇ」

「三宅冬馬として、俺を見ろ」


 下から睨みつけてくる冬馬は、誰がどう見ても日本人だ。

 サラリーマンらしく清潔に整えられた黒髪。

 爽やかな印象を持たせる顔立ちに、どこか甘い雰囲気がある二重の目。

 その焦茶の瞳には、落ち着いているような、けれど、どこか必死な気配がある。

 

 冬馬は何をしたいのか。

 俺をどうしたいのか。

 あえて関心を持たないようにしていた俺にはわからない。


「好きだ」


 低いハスキーボイスが、街の喧騒をすり抜けて俺の鼓膜を震わせた。

 好き。

 好きって、何だ。

 冬馬は、何を言っている。

 だって、今までの言動は、俺に好意を抱いているとは思えないものだった。

 さっきからおかしなことばかり言う冬馬。

 とうとう頭のネジが飛んでいってしまったのか?

 

「は、ぁ……?」

「不器用で一途なところは前と変わんねえけど、それも好きだ。で、現代で再会して知った、隙が多くておっちょこちょいなところとか、感情が顔に出るところとか、一生懸命なところとか、全部好きだ。前世は関係ねぇ。天崎伊織が、好きだ」


 不器用だとか、おっちょこちょいだとか、それって悪口じゃないのか?

 思うところはあるけれど、それでも、ストレートに想いをぶつけられると胸が熱くなる。

 失恋で弱った心には、十分すぎるほどの温もりだ。

 嫌いなはずなのに、心臓がトクトクと逸りだす。

 それほどまでに、俺は弱っているんだ。

 だけど、冬馬は追撃の手を緩めない。


「生まれ変わって、身分も対立も、何のしがらみもなくなった。お前の恋路も絶たれた。もう遠慮しねぇからな」

「な、に……言って……」

「まずは思いっきり泣けよ。泣いて、悲しい気持ちは全部流しちまえ。これからは前世とか難しいこと考えず今を楽しんでさ。そんで、余裕ができたらでいい。智也への想いは大事にしてていいから、伊織の心の中に、今の俺を迎え入れてほしい」


 脆く壊れやすいものを真綿で包むように、冬馬に抱き締められた。

 バニラのような甘い香りと心地よい体温に、弱った心が溶かされていく。

 解かれた縛めは、もう二度と結べない。

 涙が俺の許しもなく目尻から溢れた。


「クソ……冬馬なんか嫌いだ」


 いつも俺を揶揄ってくるし、すぐに仕事を覚えてしまうし、可愛くない。

 顔を見るだけでムカつく。

 

 でも、今はちょっと、ほんのちょっとだけ、かっこいいと思わないでもない。

 甘えろと言ってきているようなものだから、それに便乗するだけ。

 だから、決して冬馬の告白に靡いたわけじゃない。


 密着する冬馬の背中に腕を回し、俺よりも少し小さな体に縋る。

 そして、高さの足りない肩に顔を押し付け、空色シャツを群青に染めていく。

 

「いいよ、今は。いつか絶対好きって言わせてやる」

「言ってろ……」


 今まで頑張ったなとでも言うように、冬馬の手が俺の頭を撫でる。

 弱っている俺に、その甘やかしは反則だ。

 涙腺が壊れたように涙が溢れる。


 ぬるま湯に浸かっていたような春は、桜が散ることで終わりを告げ、代わりに新緑が芽吹き、薫風が頬を撫でた。

 季節は移りゆく。

 暑い夏が、俺を呼んでいる。

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