51 意外な才能


「小鳥がいる部屋はこっちだ」


 蝶々の記憶を頼りにクインシーが行く手を指差す。痛みの反動で涙目になったモリーを慰めながらミリーは彼の後に続く。

 この時間の術義局の中はがらんとしていて闇の気配しか感じない。やはり断りのない侵入は歓迎されない行為なのだろう。生温い空気がやけに気味悪く感じた。


 目的の部屋に近づく度、その不気味さが増していく。湿気が増し、建物内の温度も上がっているようだった。最初は気のせいかと思った。が、じめっとした汗でブラウスが肌に張り付く不快さは本物だ。額に汗をかいたモリーは鬱陶しそうに袖で水気を拭く。


「まるで熱帯だわ。一体どういうこと?」


 ミリーが異様な環境に文句をこぼすとクインシーがぴたりと立ち止まる。


「こういうことみたい」


 彼はそう言って右隣の扉を見やる。ミリーとモリーが扉についた小窓から向こうを覗き込む。と、二人の表情が険しくなる。

 小窓から見えた部屋の中の光景に愕然としたようだ。

 蔓植物が繁茂し、まるでジャングルを思わせる景色が広がっていたからだろう。

 蔦の間から辛うじて見える部屋の中央には鳥籠らしきものが吊られていた。


「こんな熱いところにイエナを閉じ込めているの?」

「あの鳥、別に熱いところ得意そうでもないのになぁ」

「逃げられないためだろうね」


 ミリーは眉根を寄せてもう一度部屋の中の様子を窺う。扉を破ることは容易だろう。だがその後、この生い茂った蔓植物たちが暴れ出さないとも限らない。


「待って。この植物たち、何かで見た覚えがあるわ」


 目を凝らし、ミリーはよくよく観察してみる。頭の中でいくつもの記憶を辿っていく。確かに見たことがある。ナキムシソウの研究をした時に幾度となく見た文献の内容をどうにか思い出そうとした。


「そうだ……! これはヤートゥだわ。猛獣を閉じ込める檻の代わりとして使われるもの」

「ヤートゥ?」


 モリーが首を傾げる。


「ええ。今は大人しそうなただの植物に見えるでしょう? でも、いざそこに立ち入ろうとすると途端に暴れ出すの。何人たりとも檻を越えさせないし、脱出も許さない」

「えぇ? それじゃあどうすれば……」

「ふふ。大丈夫よ。彼らにも弱点はあるの。ヤートゥはとても陽気な性格をしているから、軽快な音楽には敵わないのよ。つい一緒に踊ってしまって、その間凶暴性は封印される」

「なるほど!」


 モリーがぽんっと手を叩いて笑う。


「だから、何か楽しい音楽を奏でれば──」

「わたしがやるっ!」


 ミリーがクインシーの方に顔を向けようとするとモリーがそれを遮るように手を挙げた。


「え? モリーが?」

「うんっ」


 まさかの立候補にミリーは目を瞬かせる。彼女を信頼していないわけはない。けれど器用さを思えば恐らくクインシーの方が適任だと考えていたからだ。傷の手当てをしてくれた時に見た曲芸の要領でミリーは彼に音楽を奏でてもらおうとしたのだ。


「モリー、芸術、使いこなせてる……?」

「ふっふっふっ。ミリー、ヒューマリーなものが好きなわりに、やっぱり一番は魔法に頼っちゃうんだ?」


 得意気に胸を張っているモリーの圧倒的な自信にミリーはきょとんと首を捻る。


「音楽に魔法なんていらないよ! わたしが歌うからっ」

「へっ」


 ミリーの素っ頓狂な声が廊下に響く。慌てて手で口を塞ぎ、ミリーは改めて訊ねる。


「モリーが歌うの?」

「そう。わたしこう見えても歌が得意なんだぁ。ね? クインシー」

「確かにモリーは歌が上手いよ。リズム感も完璧だし」


 クインシーはモリーの提案に感心したのかこくこくと頷いている。


「……本当に? 本当に大丈夫?」

「もちろんっ。ミリー、安心してイエナを迎えに行って!」


 モリーはミリーの背中をポンッと叩いてから自分の胸を叩く。


「わかった……じゃあ、扉を開けるから、二人は入ってすぐのところにいてね? 私は鳥籠からイエナを出して、こっちに入れるから」


 そう言いながらミリーは即席の小さな鳥籠を術で作る。


「了解であります」


 モリーが満面の笑みを湛えて敬礼する。まだ不安の残るミリーはクインシーをそっと見上げた。彼はモリーの心配を汲み取り、「大丈夫」と小声で囁いた。

 いざとなれば彼もいる。

 魔法で対抗しないことへの不安を抱えたままミリーは自分にそう言い聞かせる。


 深呼吸をし、ミリーは慎重に扉を開けた。部屋の中からむわっとした熱気が溢れミリーは思わず顔をしかめる。

 部屋に入った三人は誰かに見つからぬように扉を閉めた。すぐに外に出られるように扉の前にはクインシーが待機し、その横でモリーが仁王立ちする。


 まだ植物たちは大人しい。恐る恐る彼らに近づき、ミリーは姿を見せた鳥籠に意識を向けた。一歩。一歩。あともう一歩。ひときわ分厚い蔓の檻の前に立ち、ミリーはゆっくり蔓に手を伸ばす。

 このままの隙間では人間は通れない。無理やりこじ開けて、自分が通れる隙間を作らなくては。


 ミリーはモリーを振り返って目配せする。すると、合図を受けたモリーはすぅ、と息を吸い込んでから軽やかな歌声を奏で始める。腹の底から涌き出る力強い歌声だった。蔓に集中しなければならないミリーもモリーを二度見してしまう。


「こんなに歌が上手だったのね……」


 彼女が自負した通り、つい身体を揺らしてしまうほどに彼女の歌声は魅力的だ。こんな才能があったとは。

 誘惑に負けそうになりながらもミリーはどうにか蔓に意識を戻す。


 じわり、じわりと蔓が命を得たようにうごめき始めた。うねうねと踊り出す蔓たちはモリーの歌声に興奮しているらしい。彼らに声が出せたなら、口笛や歓声で賑やかになることだろう。

 生き生きと踊る蔓たちに警戒心など皆無だ。ミリーの前を塞いでいた分厚い蔓も気づけば捌けている。視界が開けたミリーは急いで鳥籠まで向かう。


「イエナ……! イエナ、お待たせ。さぁ、こっちへおいで」


 ミリーは鳥籠の鍵を秒で壊し、熱さでぐったりしている小鳥を両手で優しく包み込んだ。部屋に入る前に作った自分の鳥籠に彼女を入れると、強張っていた小鳥の身体から力が抜けていく。


「怖かったよね」


 鳥籠の中で丸くなった小鳥。ミリーは目を細めて温かな眼差しで彼女を見つめる。


「イエナを私の籠に移したわ」


 ミリーは入り口付近に残るクインシーとモリーに向かって声を張り上げる。


「やったー!」


 モリーの歓喜の声が返ってきた。彼女の嬉しそうな声にミリーもほっと息をこぼす。小鳥の純朴な瞳が鳥籠の中からこちらを見つめている。その目を見ていると久しぶりに和やかな気分を思い出す。彼女はまだ無事だ。ひとまずの安堵に静寂すら心地良い。──あまりにも静かだ。

 ハッとしてミリーは顔を上げる。


「モリー?」


 檻の外側にいるモリーの声をかけると、彼女はぴょこぴょこと飛び跳ねてイエナの奪還の喜びに浸っていた。彼女のその口はミリーへの賛辞を述べるのみで、歌など奏でていない。



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