50 私の掟


 卒業試験の翌日、ローフタスラワ学園の生徒たちはある契約を強制された。

 術義局の要請で、卒業試験で起きた出来事を他言しないことを約束させられたのだ。もちろん教師陣も例外なしだ。


 約束を破れば学園の卒業資格を失い、おまけに天文学的額の罰金を支払わなければならない。生徒たちの中には契約を疑問に思う者もいたが、どうにも拒否できるような環境ではなかった。皆、複雑な表情を浮かべたまま契約書に指紋の押印を重ねた。


 イエナを捕らえた当事者の一人であるミリーの場合は個室に呼ばれた末に威圧的な眼差しに囲まれ押印を迫られた。抗うことは許されない。ミリーの直感がそう叫ぶ。

 当局への猜疑心を抱えたままミリーは革の契約書に親指を押し付けた。

 もうその時点で嫌な予感はしていた。願わくば予感のままで終わって欲しかった。


 一連の事件の犯人を確保したという報道。そして犯人の詳細が世間に伏せられたことまではまだ良かった。そこまでは想定の範囲内だ。

 しかし契約を交わした数日後に飛び込んできた情報によってミリーは我慢の限界を迎える。


「大変だよミリー!」


 一番に情報を知らせてくれたのはモリーだった。青い顔で廊下を駆けてくる彼女の姿を見た途端、ミリーの心臓がぎゅうと締め付けられた。


「モリー、そんなに走ると髪が乱れちゃうじゃない」


 脈がぎくしゃくと不快なリズムを刻む。せめて表面上だけは取り繕おうとミリーはいつも通りの態度を取る。


「あっ! そっか」


 素直なモリーはミリーに注意されたことに即座に反応して頭のてっぺんから飛び出した髪を整える。


「ミリー」

「クインシー? あなたまで……どうしたの?」


 自らの髪を見上げるモリーの後ろにいたのはクインシーだった。どうやらモリーについてきたらしい。彼と目を合わせれば、ミリーの浅い呼吸が少しだけ広がりを持つ。クインシーの眼差しが妙に勇ましく見えた。やはり深刻な内容か。


「さっきアストリッドに聞いたんだ。彼女はマノンに聞いたって言うけど」

「何? クインシー、そんな怖い顔しないで」


 ミリーの表情が不安で曇ると、クインシーは目線で廊下の隅を示す。ミリーが壁際に足を向けると、クインシーは髪のセットに夢中のモリーの手を引いてから廊下の隅に寄る。


「明日、術義局が有する研究所にイエナの身柄が移されるらしい」


 クインシーはミリーに顔を近づけ小声で囁く。ミリーの耳がピクリと動いた。


「え……? でも、あの鳥はもう」

「うん。イエナ、とは言えない。でもあの小鳥の体内にはまだ怪族の血が残っているんじゃないかって術義局が疑ってるらしいんだ。それで、解剖して、キングが亡くなって止まってしまったマゾク研究の続きをしようと画策しているらしい」

「なにそれ……」


 ミリーの顔から血の気が引いていく。クインシーの憂いが滲む瞳はミリーを案じているようだった。彼の思った通り、ミリーは信じられないという顔のまま茫然としてしまう。


「そんな酷なこと、ある? 解剖したって何も見つからないかもしれないのに」

「ああ。そう思う。でも研究者たちは真実を発見するまで納得なんかしないよ」


 ミリーが片方の眉を上げて不快感を示す。続けて発せられたクインシーの言葉には慈悲も何もない。けれど立場が違えば当たり前のことでもある。ミリーはクインシーからモリーへと視線を移す。いつの間にかモリーの髪は綺麗に整えられている。今は真剣な顔でじっとミリーを見つめていた。


「……なら、私だって納得できないわ」


 ミリーの視線が再びクインシーへ戻っていく。心なしか先ほどよりも彼女の表情が凛々しい。瞳の中に戻ってきた彼女の勝気な微笑みにクインシーは困ったように笑う。


「後悔を残すのは君らしくない、か」


 彼がつい最近言ったばかりの言葉。その言葉が聞きたかったのだと、ミリーは歯を見せていたずらに笑う。


「ええ。そうよクインシー。諦めてやるものですか」


 ミリーとクインシーの思うことはどうも同じらしい。親密そうなやり取りを二人の間で見ていたモリーは一人、ぽかんと目を丸めて首を傾げた。




 「ねぇっ、本当に大丈夫なのかなぁ?」


 深夜。真夜中の直後の時間に暗闇で三つの影がうごめく。内一つは前を歩く影と手を繋いでいるようだった。一人遅れて歩くその影が極限まで潜めた声で前の二人に訊ねる。


「モリー、不安があるなら帰ってもいいのよ? 別に無理することじゃない」


 先頭を歩く姿勢の良い影が後ろを振り返って立ち止まる。彼女のすぐ後を歩いていた三つの中で一番背の高い影もまた繋いだ手の先を心配するように見やった。


「ううんっ! 帰らない! わたしだってイエナを助けたいもん」


 一番後ろを歩くモリーはクインシーと繋いでいた手を離して両手の拳を握る。彼女なりの決意表明のようだ。


「うん。分かったわ。なら、あまりつべこべ言わないの」

「はぁい……」


 ミリーに窘められ、モリーはしゅんと肩を落とす。


「モリー大丈夫だよ。何か問題が起きたら君のことはちゃんと守るから」

「ありがとうクインシー」


 クインシーの優しい励ましにモリーは目を輝かせて嬉しそうに頷く。


「あっ、でも。ピンチの時はわたしより先にミリーを助けてよねっ。わたしもミリーを一番に助けると思うから」

「ははは。分かってる分かってる。モリーの一番は絶対だな」

「うんっ」

「二人とも、あまり騒がないで。それに私がいれば大丈夫。二人に危険が及ばないようにちゃんと気をつけるから」


 背後でのほほんとした会話を繰り広げる二人を呆れた表情で見やりミリーはため息を吐く。


「まぁ、万一私がしくじってもクインシーがいるから大丈夫でしょう」

「えっ」


 最後のミリーの呟きにクインシーとモリーが同時に驚いた声を出す。


「さぁ、行きましょう。朝が来るまでには終わらせないと」


 驚く二人をよそ目にミリーはずんずんと前へ進んでいく。また同時に返事をした二人も急ぎ足でその後を追った。

 三人は今、ウィザワン区域の術義局の敷地内を歩いていた。

 小鳥となったイエナが解剖される話を聞いたミリーは迷うことなく彼女を逃がすことに決めたのだ。夜が明けるとイエナは研究室に移送されてしまう。ならばその前にと、一日のうちで警備が最も手薄となるこの時間に術義局へ忍び込んだのだ。


 ミリーの覚悟を聞いたクインシーとモリーも計画に賛同し、イエナ救出に協力すると名乗り出た。それぞれ家族には内緒で家を抜け出し、集まった三人はすでに敷地内に侵入するところまでは成功した。

 見張りの人数も少なく、侵入防止の術もあまり仕掛けられていなかったため敷地に入ることには苦労しなかった。

 今は施設内への適当な入り口を探して建物の周りを観察しているところだ。


 術義局は円形の建物で世間からはドーナツ屋敷と呼ばれている。ぐるりと一周を囲む壁には窓はなく、きちんと扉を使わなければ中に入るのは難しそうだ。

 しかし正面にせよ裏口にせよ、堂々と扉を破るのはリスクが大きい。どうすべきか悩むミリーの横でクインシーが頭上を指差す。


「あれはどう?」


 クインシーが指しているのは煙突だった。背の順に並んだ三本の煙突を見上げ、ミリーはうーんと考え込む。


「網が張ってある可能性があるけれど……でも、事前に術が仕掛けられていないか確認すれば大丈夫かしら。問題は降りた先に何があるかだけれど」

「ああ。それなら大丈夫」


 ミリーの見解にクインシーは左手を優しく握りしめてみせる。すると丸まった彼の左手がぼうっと怪しい色に光った。


「こいつに偵察してきてもらおう」


 クインシーが指を開くと中からは黒紫色の蝶々が現われる。


「おおー! クインシー、いつの間にこんな技を習得してたの?」


 モリーが感心して口を丸く開く。


「ふふ。さすが努力家さんね」

「ありがとう、ミリー」


 ミリーの砕けた微笑みにクインシーがはにかむとモリーが訝し気な眼差しを二人に向ける。


「そういえばさ、いつの間にクインシーとミリーって知り合いになってたの?」

「えっ」


 深い声で単純な疑問を口にしたモリーに二人は少しだけ焦った様子を見せる。


「あ。ほら、同じ授業を取っていたのよ。えーっと、そうそう、確かアストリッドも一緒だったわよね?」

「えっ。うん、そうそう。はは、知らなかった? モリー」

「ふぅううん」


 疑り深い目でこちらを見るモリーから顔を逸らし、二人は話題を煙突に切り替える。


「じゃあ早速、その蝶々に偵察してきてもらいましょう?」

「ああ。俺たちは上で待機しよう」

「蓑の術で二人も隠すわ。モリー、私から離れないでね」

「はああい」


 一斉に背を向けた二人を交互に見やり、モリーはわざとらしい大袈裟な返事をしてみせる。

 煙突の傍まで上った三人はまず蝶々を煙突に放してしばらくの間待機していた。


 前にイエナと貯蔵庫に行った時よりも蓑の強度は増していた。が、それでも狭い空間に三人で身を寄せなければならない。クインシーは仲の良いモリーと身体がくっつこうとも特に何も気にしていない様子だった。しかしミリーには遠慮しているのか、あまり身体が触れないようにと気を遣っているのが窺える。


 ミリーは彼の配慮に気づきつつもわざと彼の方へ身体を近づけてみた。彼の左肩に頭を寄せる。ちらりと上目で彼の表情を窺えば、彼は蝶々が消えていった煙突をひたむきに見つめていた。これでは目は合わない。

 こちらの存在に気づいてほしいミリーはもう少しだけ彼との距離を縮めようと体勢を整えた。しかし。


「帰ってきた!」


 モリーの溌溂とした声がミリーの思考を現実に引き戻す。煙突を見れば黒紫の蝶々がふわりふわりとこちらに飛んでくる。

 クインシーは帰ってきた蝶々を両手で包み込んで瞼を閉じた。蝶々の記録を読み取っているのだろう。


「──うん。この先に小鳥がいる部屋がありそうだ。蝶々が色々見てきてくれたよ」

「罠はあるの?」

「煙突を降りたところに蜘蛛の網がある。けど、燃やせば問題ないだろう」

「分かった。それなら任せて」


 クインシーから離れ、ミリーはすっくと立ちあがる。蓑の術で二人を隠したまま、ミリーは辺りの様子を窺いながら煙突の上に飛び乗った。

 彼女の爪は今日も美しく彩られている。ミリーは煙突を覗き込み片手をその四角の柱へ突っ込む。小指からゆっくり指を曲げ、最後の人差し指に勢いをつけて素早く手を握りしめた。ミリーの動きに連動して下方から小さな爆発音が聞こえてきた。


「いいわ。網は燃やした」


 隠れている二人を手招きしてからミリーは一番に煙突に飛び込んでいく。下から吹き抜けていく風で制服のスカートとケープがひらひらと舞う。落下していく身体とは裏腹に心臓だけが浮上していく感覚だった。

 床が見えてきたところでミリーは手のひらを下に向けて開く。落下速度が緩やかになった。おかげで大きな衝撃もなく両足で着地することができた。


 自分が燃やした蜘蛛の網の残骸を見下ろしミリーは埃を払う仕草をした。証拠を残してはいけない。証拠を隠滅したところでクインシーとモリーが下りてきた。クインシーは綺麗な着地を見せたがバランスを崩したモリーは尻を強打してしまった。



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