37 誰に向かって言っているの?


 モリーと和解を果たした後、ミリーは予定通り自習をするために図書室へ向かっていた。先ほど聞いたモリーとネイル魔法の関係を頭の中で繰り返していると、心なしかワクワクしてしまう。


 新たな真実を知れた興奮だけでなく、新作を見れるという楽しみに気持ちが沸いているのかもしれない。

 授業開始を告げる鐘の音を背に、ミリーは自らの爪を窓の外から降り注ぐ太陽の光に透かした。自然光に輝く夜空を見ているだけ。ただそれだけなのに、とてつもなく至福の時に感じた。が。


「今日も綺麗な色に仕上げているのね」


 多幸感に差し込む余計な声が太陽のきらめきさえも遮ってしまう。


「マノン。あなたも図書室に行くの?」

「もちろん。GaMA試験はもう目の前だからねー」


 マノンは廊下で立ち止まっているミリーの横を両目を閉じて通り過ぎていく。両瞼が瞳を隠していようとも、彼女の口元を見れば馴染みの笑みが浮かべられていた。両手を背中で組み悠々と歩く姿がやけに癇に障る。今日はウィギーを連れていないだけまだマシか。


「そういうあなたも。ネイルは欠かさないってね」

「まぁね。手段は多い方が得だし、可愛いから。どこかの誰かさんなら共感してくれると思うんだけどなー」

「あら。共感なんて求めているのかしら」

「どうかな。余計な情は重荷になるだけかっ」


 後ろを歩き始めたミリーを振り返り、マノンはニカッと歯を見せて笑う。


「私が皆を避けている間、とある誰かさんが学園で幅を利かせていたって聞くけれど。学園での地位を気にする古代生物をばかにしていたはずなのに、気が変わったのかしら」


 ミリーはマノンの五歩後ろを歩きながら呆れたように首を振ってみせた。


「幅を利かせたってのは語弊があるんじゃないかな。息苦しい慣習に慣れちゃったみんなに向かって新しい風が吹いただけでしょ。大体が追い風になるけど、誰かさんたちにとってみれば向かい風かな」

「へぇ? 無風で、何も感じなかったけどね」

「鈍感なだけなんじゃないの。嵐が来ないと分からない?」


 マノンは再びミリーを振り返って笑いながら肩をすくめた。


「まったく。嵐を望むなんて。マノンの好きなようにしていたら風紀も秩序もあったもんじゃないわ。無法地帯なんて私はお断りだけどね」

「そう思う? 一回更地になるのも悪いことじゃないんじゃない?」

「ゼロから生み出されるのが良いものばかりとは限らないでしょ。得体の知れないものが湧いてくるかもしれない」

「そうかなぁ」


 マノンは首を捻ってわざとらしく眉根を寄せた。


「マノンだって、いくら生意気でも弟を秩序のない場所へは行かせたくないでしょ」

「あいつは別に。一回荒波に迷い込んだ方がいいくらいだけど」

「じゃあお兄さんは?」

「え?」


 ミリーの問いにマノンの足がぴたりと止まる。


「お兄さん。いるなんて知らなかった。それにあなたが転校してきた理由。タイミングも合わせて謎なことばかり。ほら。すでに得体の知れない存在は、すぐ傍にいるのよ」


 ミリーはこちらを見てくるマノンと目を合わせ不敵な笑みを浮かべる。前に池の畔で聞いたディマス・キングにまつわる連続事件の犯人説。得体が知れないで言えば、今目の前にいる彼女も大差はない。


「……驚いた。嫌味を言えるくらい元気になってたんだね。祝杯をあげた方がいい?」

「誤魔化さないで。マノン。あなたは何者なの? ただ目障りで鬱陶しいだけじゃないでしょ? あの霊獣だってなんのために連れているの。寂しいからなんて嘘。事情なく、あなたの融通ばかりが通るとは思えない」

「でもその事情が納得されているから、融通も通っているんでしょ」


 マノンはミリーの言葉を強調するように言い直す。


「ミリーはわたしのことを意味不明な奴って思ってるかもしれないけど、実際傍にいた人に対してはどうなの。すべてを分かりきっていた? 違うでしょう」


 上半身だけで後ろを向いていた身体を改めてミリーの方へ向け、マノンは左側に重心を寄せて身体を傾ける。良心的に訊ねているような仕草だが、核心はひどく醜く意地悪にかさぶたを抉っていく。


「買い被らないで。ミリーはすべてを知っているわけじゃない。知れるわけもない。知ろうともしない。わたしを奇妙だと言うのは勝手。だけどそれを押し付けるのはどうかと思うよ」

「そうやってまたはぐらかすの? お得意のくどい言い回しでさ」


 ミリーはマノンの単刀直入な言葉に怯むことなく瞳を光らせた。マノンは自分の事情を語ることを避けている。それを見過ごすなんて出来ない。マノンの言う通り自分が古代生物だとするのであれば、まさに「学園の秩序」を守る必要があるのだ。


「ま。いいでしょ。特技を披露したくなるのはしょうがないってことで」


 マノンは両手を肩の位置まで上げてクスリと笑う。


「ジュールとのことはかわいそうだと思って流石にミリーに同情してたけど、でも、ジュールにとっても悪いことじゃなかったのかもね。ミリーと別れて」

「なにそれ」

「最近のジュール、学園から総スカン食らって打ちのめされてる。けど、それがかえって魅力的かなって思って。彼にはこれまで興味なかったけど。でもあの憂い顔は芸術的だし、ただの坊ちゃんから進化した感じ。相手がミリーじゃなかったら彼もこんな経験することなんてなかったかもしれないしね」


 ジュールという名前に居心地悪そうな顔をしたミリーの表情を窺ってマノンは息を吐く。


「まだ話してないんだ。わたしの相手する前に、目の前のことを片付けてからにした方がいいんじゃない?」

「試験の前に余計なことしたくないの」


 ミリーはそう言い残して立ち止まったままのマノンを追い越していく。


「なるほどねぇ」


 遠ざかるミリーの背後にマノンの声がぽつんと残された。それからマノンは彼女を追いかけることもなく、変わらず悠々とした歩みで自らの行く先を目指した。




 GaMA試験当日。試験自体は学園内で受けることになっているため、四年生たちは普段と変わらない道のりを辿って試験会場まで足を運んだ。

 他の学年の生徒たちは試験の邪魔をしないようにと休暇を与えられている。いつもよりがらんとした様子の校舎内を歩く生徒たちの顔はどれも神妙で、友人と交わす会話もあまり弾んでいる気配はない。

 生徒たちはそれぞれ指定された教室で試験を受ける。一切の違反を許さぬよう監視の目を行き届かせるため、各教室の上限は十五人までと決まっていた。


 ミリーも指定された教室に入りその時を待つ。同じ教室には見知った顔もいる。斜め前にはダイルが、二つ後ろの席にはシエラが座っていた。ジュールが同室でないことは幸いだった。が、彼らもあまり顔を合わせたくない部類には入る。けれどそれくらいで心を乱されるほどもう弱ってはいない。

 一瞬目が合ったシエラがいそいそと本で顔を隠す姿を堂々と眺めてからミリーは視線を前に戻す。


 GaMA試験は三つのセクションに分かれており、すべてが同日に実施される。つまり試験の日は一日中学園に缶詰めとなるのだ。

 午前に始まった試験も、三つ目の試験が終わる頃には外もすっかり陽が落ちる。へとへとになって帰路につき、一週間後の結果発表まで魂が抜けたように過ごす人間も多い。

 けれどローフタスラワ学園の生徒たちはそうもいかない。試験の結果が出るということは、卒業をかけた最後の難関マゾク退治が間近に迫っているということだからだ。


 ミリーが頬杖をついて頭の中に描いたカレンダーに思いを馳せていると、心なしか斜め前の方から誰かに見られているような気配を感じた。

 視線をそちらに向ければ、その席に座ったダイルがこちらを見ている。妙な気配は彼からだ。

 何か言いたげな眼差しをしている彼にミリーが意識を向けると、彼は爽やかに笑って親指を立てた。


 頑張ろうぜ。


 試験に対峙する自分のことを鼓舞してくれているのだろうと推察できる。

 人のことを言っている暇があるのか。

 ダイルは熱意があり頭も良いものの集中力は長時間継続しない方だ。そんな彼からの激励に若干の違和感を覚えつつ、ミリーは机についていた肘を下ろしスッと胸を上げた。


「当たり前でしょ」


 心の中でそう呟き、ミリーは真顔のまま両手の親指を立てて互いの健闘を祈った。


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