31 風向き
卒業前最後の試験であるマゾク退治。四年生にとってはこれまでの四年間の学園生活を締めくくる大イベントだ。四年間の集大成となるマゾク退治に向け、ぼちぼち対策を始めなければならない時期に近づいてきた。
しかし四年生たちは未だマゾク退治に向き合う実感を持てていない。それも無理はなかった。マゾク退治はローフタスラワ学園独自の卒業試験とされているが、その前に、全区域一斉に実施されるGaMA試験が控えているからだ。
GaMA試験は高等教育修了前に実施されるもの。大学をはじめとした上級教育機関へもGaMA試験で得たスコアが規定を満たしていないと入学できない。もちろん、教育ではなく就職を選んだ場合でも試験のスコアは就職先へ提出される。
否が応にも個々の能力が数値化され、卒業後の進路にも大きく影響する重要な試験なのだ。
ウィザワン区域内で、ローフタスラワ学園の卒業生たちはいつも平均以上のスコアを残しその名を馳せてきた。歴代の卒業生たちが積み上げた結果に傷をつけてはならないと、ローフタスラワ学園の生徒たちは自己のプライドだけでなく学園の威信をかけて試験に挑む。
そのため、生徒たちがマゾク退治の対策に本格的に身を入れるのはどうしてもGaMA試験の後になってきてしまう。
勿論それはミリーも例外なく、GaMA試験まで二週間を切った今の時期は一度マゾクのことを忘れてGaMA試験の準備に没頭していた。
ちょうどジュールとの一件があったことはミリーにとっても都合がよかった。
喧騒の煩わしさから離れるためにも勉強に集中すれば一石二鳥だ。図書室の個室に籠もって机に向き合えば、彼女を邪魔するすべてから逃れられるだけでなく、脳内は机上の論に夢中になって余計なことを考えなくて済む。
例え周りの目が嫌で逃げているのかと問われようとも、試験勉強に精を出しているのだと答えてしまえばいい。
そうすれば誰もミリーのことをジュールとリアンナの問題から目を逸らしているだけなんて非難できない。GaMA試験はいずれ誰もが通る道なのだから。
だがミリーがGaMA試験に意識を集中させているうちに、学園内を走る風向きも少しばかり変わってきたようだ。
ジュールとリアンナの意外な組み合わせが発覚した直後は驚きに沸き、生徒たちの多くがジュールに愛想尽かされたミリーのことを冷めた目で見ていた。
けれどジュールたちが顔を揃えて公の場に出る度に、一部の生徒たちは自分たちが見逃していた別の視点にまで目を向け始める。きっかけは、二人の姿を何度も見ていると新鮮味も薄れ、新たな刺激を求めたくなったからかもしれない。
ともかく、生徒たちの中でジュールの浮気について突っ込みを入れる者が増えてきたのは事実だ。
そもそもミリーに愛想尽かしていたのなら、彼女に別れを申し出てからリアンナと付き合えば良かっただけのこと。一度でもミリーに気持ちを告白していたのなら、例えミリーがそれを認めないと拒絶してもジュールに対する見方は変わっただろう。
彼女が意固地だから強引に別れるしかなかったのだと。
が、実際は別れてくれない彼女と別れたい男という下地を作ることもなく、ジュールはミリーに隠れてリアンナとの仲を深めていたのだ。
GaMA試験を前にピリピリした空気が流れる学園では、生徒たちはちょっとした不正にも神経を尖らせ始めている。そんな中、礼儀を欠いた学園の王ジュールの愚行が目に余り、異を唱える声が日に日に大きくなってきているという。
ジュールへの風当たりが強くなってきていることを図書室に籠りがちなミリーもなんとなくは知っていた。けれど所詮は身から出た錆。ジュールに同情を向ける義理など最早持ち合わせていなかった。
裏切ったのは彼だ。
通りすがりに聞こえたジュールに対する率直な言葉にミリーは表情一つ変えずに涼やかな風だけを残していった。
ジュールともリアンナとも未だに口は聞けていない。最近のジュールへの悪評のためか、二人が一緒にいる姿を目にする機会も減っていた。
もっとも魔道具部での活動では、どうせべったりとくっついているのだろうが。
久しぶりに頭に入り込んできた不快な妄想にミリーが鼻を鳴らした直後、前方から一人の生徒がこちらに向かって駆けてきた。
「なぁ! ミリー!」
レジーだ。
ヴァレンティナ、シエラと同じくジュールと共に行動するようになった彼の顔を正面から見ると郷愁すら覚える。ミリーは彼を見るなり顔をしかめて警戒した。
「なに。ジュールと話すつもりなんてないからね」
彼がジュールの一番の友人として散々美味しい思いをしてきたことは知っている。お調子者で楽天的な彼は不穏な空気を嫌い、今の自分を取り巻く環境に居心地の悪さを感じていることは必至だ。どうせジュールと話して彼を許してあげて欲しいと提案してくるに決まっている。
ミリーは先手を打ってぴしゃりと言い放った。
「なんだよ。まだ何も言ってないだろ?」
案の定、レジーの表情が哀しそうに弛む。笑っているようにも見えるのは、あからさまに不機嫌な顔をするミリーにむしろ安堵したからだろうか。
「ジュール関係以外で、レジーが私に用事なんてあるの?」
「おいおいあんまりだな。俺たちの関係ってそんな薄いの?」
「濃かったことなんてある?」
ミリーはむっとした目をしてレジーを恨めしげに見やる。彼が自分と一緒にいたのはジュールがいたからだ。ジュールがいなければ、学園で彼と出会う機会があったのかすら怪しい。
「冷たいなぁ。まるで俺がミリーを裏切ったみたいじゃねぇか」
「違うの? どうせ知ってたんでしょ、ジュールたちのこと」
「知らねぇよ。あいつ、魔道具部の活動だなんだって言ってずっと忙しくしてたし」
「ふぅん。どうだか。怪しい動きがあるなら報告くらいしてくれてもいいじゃない」
「魔道具部の活動だって言われて、なんで怪しむんだよ?」
「このお人好し。少しは人を疑いなさいよ」
ミリーが何を怒っているのかすら分かっていない様子のレジーの悪気のない表情を見やり、ミリーは呆れたようなため息を吐いた。するとレジーは何かをひらめいたのか不意に瞳を大きく広げる。
「そっか! ダイルならこのこと知ってたかもな。あいつ魔道具部のリーダーだし、術義局志望ってだけあって洞察力あるしな」
レジーはまるで自分が天才だと言わんばかりに表情を輝かせる。どうやら彼の中ではとんでもない推理力を発揮したことになっているらしい。
「私、急いでるんだけど。声をかけた用事はそれだけ?」
何の面白みもない彼の発見を聞かされたミリーは肩を落としてどうにか会話を続ける。くだらないやり取りに、もう声を出すことすら億劫だった。
放課後を迎えた今、昨日と同じように図書室に向かう途中なのだ。彼に足止めされたせいで試験までに残された貴重な時間が無駄に減ってしまう。ミリーは若干の苛立ちを隠す気もなく彼を軽く睨みつける。
「まぁ、それだけと言っちゃそれだけ、か?」
「そう。じゃあもういいね」
ミリーが会話の終止符を打とうとした瞬間、レジーの瞳の色が急に変わった。さっきまでのお気楽な輝きは失せ、真剣な眼差しでミリーの表情を窺い始める。
「ミリー。本当に、もうジュールのことを許す気はないのか?」
声の調子もいつもと違って落ち着いている。彼との偶然の付き合いはそこそこ長いが、ここまで大人びた彼の表情を見たことはなかった。
ミリーは小さく息を吐き、えらく真面目な顔をしっかり見上げる。
「無理」
心を詠う俳句よりも短い返事だった。異文化である俳句のことをミリーはよく知らない。ただ確実に言えることは、ジュールへの怒りは十七音では収まりきらないということだ。想いがまとまりきらず、結局は最も短い言葉でしか表現ができなくなる。
ジュールに今伝えたい言葉はあるかと問われても、恐らく同じように返すだろう。
これがミリーの本心そのものなのだ。
「……そっか」
ミリーの返事を聞いたレジーはまた寂しそうな顔をした。が。
「そうだよなぁー。まぁ、そりゃそっか」
瞬きをした瞬間には、レジーは見慣れた笑顔で髪をくしゃりと掻いていた。申し訳なさそうに弛む目元、口元には僅かな感傷が滲む。
「当たり前のことを訊いて悪かった。邪魔したな」
「ううん。レジーも、GaMA試験の勉強はちゃんとするんだよ?」
「わかってるって。俺、眠り学習すれば最強だから」
レジーは自らを指差し得意気に笑う。
「んじゃな」
そう言って軽く右手を挙げたレジーは、その手でポンッとミリーの肩を叩いて反対側へと歩いていく。
彼が通り過ぎると、記憶の中で自分を包み込んでいた香りがふわりと舞った。
ジュールがつけていた香水と同じだ。そういえばレジーはよく彼のものを借りる習性があった。
甘く上品で、少し刺激的。ミリーは微かに残った香りに目を伏せる。色を失い始めた気持ちが重しとなって身体を下に引っ張っているようで、足取りまでもが鈍くなっていった。
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