30 努力家のきみ


「リアンナはともかくとして……マノンはいい人だと思うけどなぁ」

「そう思うの?」

「うん。俺と境遇が似てて、時々情報交換をしてるんだ」

「境遇?」


 クインシーが斜め上を見上げて彼女の行いを振り返ると、ミリーは彼の見解に興味深そうに耳を傾ける。


「俺の弟、ちょっと身体が弱くて、なかなか魔法も上手く使えないんだ。あんまり世間のことも知らなくて。だから俺がすごい魔法使いなんだって信じ込んでる。すごく期待してくれてる。実際はそんなことないのに」

「可愛い弟さんね」

「はは。ありがとう。それで、えっと、マノンだよね。マノンの場合はお兄さんなんだけど、彼女のお兄さんも俺の弟と同じ症状の持病があるみたいで。治療法がまだ確立されてなくて、二人とも寛解と再発を繰り返してる。家族が元気でいて欲しいっていうのは同じ思いでさ。互いに良い治療法とか、有効的な薬はないかを探して共有し合ってる。マノンはすごく前向きで、弟が入院した時にもお見舞いに来て励ましてくれた。勇敢な心に不可能はないって。彼女のおかげで、弟もまた笑ってくれるようになったんだ」


 クインシーは明るくなってきた雲を見上げた。まだ雨は止まない。けれど少しずつ太陽の光が雲の隙間を縫っていく。


「……それは知らなかった。弟がいるってことしか」

「あなたの弟と違って自分の弟は生意気すぎてかわいくないって、マノンいつも言ってるよ。本当のところは分からないけど」


 クインシーはお見舞いに来た時のマノンの言葉を思い出し、くすりと笑う。


「ミリーはマノンのことが嫌い?」

「嫌い……とは違う」


 濁りなき問いにミリーは面を食らったように言葉を濁す。


「怪しいだけ。お兄さんがいることも知らなかったし。ウィギーを連れてる意味だってよく分からないし。謎が多くて、対応に困るの。得体の知れないものを恐れるのは自然でしょう」


 本当は天才肌の彼女に自分が築き上げたすべてを奪われてしまいそうで強固な態度を取っているだけだ。

 が、気を引き締めたミリーがこの本音をクインシーに言うことはなかった。本音を隠したせいかあまりにも曖昧な答えだ。けれどクインシーは彼女の強がりを察したのかそれ以上の言及はしなかった。


「マノンを恐れる必要なんてないのに」

「……無理だよ。彼女、認めたくないけど影響力も完璧なんだもの」

「だとしても、ミリーが恐れる必要ある? ほら。セクシーキングだって君に夢中だったし。君だってマノンに負けない影響力がある」


 久しぶりに耳にしたジュールの通称にミリーは反射的に首を横に振る。


「あいつはそう見せかけてるだけ。ちっともセクシーじゃないし、キングの器でもない。すごいのはお祖父様たちで、彼はまだなにもしていない。だから彼を少しの間惹きつけたからって、影響力があるなんて限らないわ」

「じゃあ、君も見せかけてるの?」


 クインシーは深い瞳でミリーを見やる。彼の瞳には既に答えが映っていた。

 ミリーは一切の疑念なくはっきりと言い切る。


「んなワケない。私はいつでも完璧なんだから」


 彼女の答えにはブレがなかった。ミリーは自信たっぷりに続ける。


「モリーだって私のこと、いつも尊敬してくれた。あ……でも、責めちゃったし、モリーにはもう嫌われちゃったかな」


 が、最近は顔も合わせてくれないモリーを思い出したのか、その威勢が少しずつ弱まっていった。クインシーは彼女の懸念を明るく笑い飛ばす。


「ははは。それは無理だ。モリーは君のこと大好きだから。尊いっていつも言ってる。彼女を呆れさせるのは至難の業だよ」


 励ましにはなるものの所詮は人づての話。それがモリーの本音なのかは判断しかねた。それよりも、目の前の人間が自らの言葉を伝えてくれる方が分かりやすい。

 ミリーはクインシーと目を見合わせ、そっと囁くように訊く。


「……あなたは? 私はあなたにどう映る?」

「え? うーん……そうだなぁ。たぶん、努力家だろうなって」


 クインシーは少し考えた後でそう答える。


「天才じゃなくて?」

「天才肌の努力家かな。君は強い。それは素敵だと思う。いつ見てもすごく輝いてる」

「あ──当たり前です。そんなことは……」


 畳みかけるような問いにもクインシーは即答する。真正面から目を合わせて恥ずかしげもなく立派な言葉を言われたので、ミリーは嬉しさと気恥ずかしさで縮こまった。

 大層な言葉には慣れているはずなのに。あまりにもさらりと言われたからか、逆に反応に困ってしまったのだ。


「俺は、弟に期待されていることが支えになってるんだ。たまにプレッシャーにも感じるけど、弟の存在が大きいことには変わりない。この学園の奨学金が決まったときもすごく喜んでくれた。皆凄い人ばかりで挫けそうにもなる。でも、ミリーを見てると、俺も頑張ろうって思えるんだよね。こんなに凄い人なのに、まだまだ満足しないで挑戦を続けているんだって」


 今度の言葉は少し派手な抑揚があった。ミリーは聞き慣れたトーンににこやかな笑みを広げる。


「それは褒め言葉として完璧。ふふ。弟にとって、あなたはヒーローなのね」

「どうかな。これまでなんだか頑張っても報われてる気がしなくて、ずっと、魔法も希望もすべてが自分の浮き毛を上滑りしていく感覚だったんだ。奨学金もおこぼれみたいなものだった。ようやく運が俺の存在に気づいてくれたんだって、その時はやっと報われた気持ちになれた。それで腹をくくったっていうのはあるかも。自分が他人にどう見られているんだろうなんて気にしてる余裕はない。自分はそんなに器用じゃないし。だから必死だなって思われてもいい。ヒーローになれなくてもいい。ただ目の前にあるすべてに全力を尽くすだけ。卒業式典の演出魔法だって折角得たチャンスだ。皆に喜んでもらうためにも妥協はしたくない。いずれそれが弟の期待に応えることにもなるかなって思うことにした」


 クインシーの話を真剣に聞いていたミリーはふと、どう見られるか、ばかりを気にしてきた自分を回想する。

 学園に入学する前からその傾向はあった。入学後その自我は更に成長し、人に見られる自分を常に意識してきた。けれどそれを辛いと思ったことはなかった。むしろそれが自然で自分らしいとも思えた。

 時には強い自我に呆れられることもあったかもしれない。が、それもまた自分なのだからしょうがない。自分を受け入れる覚悟はできている。

 弟のヒーローになる彼のように。


 気づけば吸い込んだ酸素で肺が気持ちよく広がっていた。いつの間にか背筋は伸び、つられて胸元も上を向く。

 ミリーはクインシーと再び目を見合わせ嬉しそうに微笑んだ。萎びていた自信がすっかり元に戻ってきたらしい。彼女のすっきりとした笑顔にクインシーはこくりと無言で頷く。


「でもまだ卒業式典の前に、マゾク試験やGaMAが残っているけどね」


 卒業式典の演出に張り切るクインシーに対し、ミリーは当事者として目の前に並ぶ課題に思いを馳せる。


「ミリーはディマス・キングみたいに試験完遂が目標なんだっけ?」

「ええ。絶対に成し遂げてみせるわ」

「うん。ミリーなら出来る。必ずね」


 クインシーは晴れ間が見えてきた空を見上げてにこりと笑う。差し込む日差しが柔に降り注ぐ雨を照らし、眩しさに目を細めた。


「あ。そうだミリー。知ってる?」


 光の余韻を瞳に残したまま、クインシーは何かを思い出して機敏な動きでミリーの方を向く。


「なあに?」

「マゾクの試験で思い出した。ディマス・キングから始まった一連の事件だけどさ、それ、怪族が犯人って可能性はないかな」

「怪族? それって、マゾクの一種のことよね」

「うん。そう。怪族の骨にはユニエラと同じ成分が微量に含まれているらしいんだ。だから彼らは杖やネイルを媒介にする必要もなく、魔力を自由自在に使えるんだって。そのおかげでマゾクの中でも能力が高い種族と言われてる。一連の事件の犯人って、色んな魔法を使いこなしてるだろ? だからもしかしたらって思って」

「それは知らなかったわ。あまり、マゾクのことは詳しく調べられなくて」


 ミリーは隣家の子どもがマゾクに襲われた時のことを思い出し身震いした。

 何事も挑戦することを心掛けている。けれど当時隣家から聞こえてきた悲鳴はトラウマとなってミリーの身体に染み込んでいる。そのせいでミリーはマゾク関連の話題に自主的に触れることを避けてきた。試験完遂を目指す志と相容れない唯一のジレンマだ。しかし、現実を見れば試験に向けてそろそろ本格的な対策が必要でもある。目を背けていられるのも限界だということも自覚していた。


「今朝友だちから魔道具部がタビヒスの抽出に成功したって聞いてさ。もし相手が怪族だったなら彼らも意外といい線突いてるかもって思って。身体を構成する成分に対抗する道具が開発できれば、かなり効果的だと思わない?」

「ええ。そうね。でも、本当に怪族が関わっているのかしら?」

「分からない。でもね、キングが討伐したマゾクも怪族だったって話がある。だから彼が事件に絡んでいる以上、まったくない可能性でもない」

「詳しいのね」

「奨学金のためには、なんでも勉強しなくっちゃね」


 トラウマを思い出したミリーの微笑みは儚く、今にも崩れてしまいそうだった。クインシーは彼女とは対照的なくっきりとした明瞭な笑顔で自分を律する。

 透明な傘を絶えず叩く雨を見上げたミリーを見て、クインシーが杖をくるりと回した。すると真上に落ちる雨粒が気まぐれに時計回りに渦を描き出す。規律正しく並ぶ雨粒たちの愉快な行進のようだ。


「晴れてはきたけど……雨、止まないなぁ」


 雨の螺旋をじっと見つめるミリーの隣でクインシーが困った調子で呟く。


「もう少しここにいたいからちょうどいいわ」

「えっ?」

「あなたの演出じゃ、やっぱり物足りない気がするからもう少しアドバイスしたいし。私に見てもらえて、あなたはラッキーね」


 自身の提案に驚いた顔をするクインシーにミリーは少し意地悪な笑みを向けた。

 彼女の笑顔は傘に入ってきた時の表情とは打って変わり、揺るぎのない自信に溢れていた。

 臆することなく自己を評価する彼女の姿勢に妙な安心感を覚え、クインシーはくすぐったい声で笑うのだった。

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