28 うたかた


 「いま、卒業式典の演出の案を練ってるんだ」


 目の前に立ち留まるミリーに対し、クインシーは手にした杖を彼女に見せてはにかむ。しばらくぶりにミリーが瞬きをすると、繊細な睫が重なり合い雨粒を弾いた。


「寂しいけど、もうすぐ君たち四年生は卒業しちゃうから。今、事件のこととか色々大変だけど、そういうのも忘れられちゃうくらい、ぱぁーっと華やかなものにしたいなって思って」


 クインシーが杖をくるくる回して考える素振りを見せてもミリーはその場をピクリとも動こうとしない。


「どうせなら卒業生たちを驚かせるようなものにしたくて。思わず笑顔になっちゃうようなやつ。なかなか難しいけど」


 わっと目を丸くして大きく手のひらを広げる──。

 無反応のミリーに向かって、クインシーはわざとらしく大きな身振り手振りをしてみせた。が、やはりミリーは動かない。

 クインシーは困ったという顔をして眉尻を下げる。目元とは反対に口角は緩く持ち上がっていく。どうしたものかと悩んでいるようだ。


 彼が言う卒業式典とは、文字通り現四年生の卒業を祝う式典だ。卒業生たちを学園から送り出す際には後輩が何かしらの演出を施すことが恒例となっている。

 その内容は大抵の場合が当日まで分からない。卒業生への餞となる演出は後輩たちにとっても腕の見せ所の一つとなるのだ。


 とはいえ誰もが担当できる役割でもない。演出魔法学で優秀な成績を修めた者のみが担当できるもので、ミリーもこれまで卒業式典の演出を一度担当したことがある。

 その時には異国に伝わる縁起の良い龍を雲で模り大空を彩った。卒業生や教師からも評判で、ミリーもその時の空気の美味しさをよく覚えている。


 卒業式典を盛り上げる陰の立役者とも言える演出担当。それを任されるということは、彼もまた演出魔法学で目を見張る成績を修めているのだろう。

 ミリーは当時のことを思い出し、ぼうっと彼の杖先を見やった。


「ここならあまり人も来ないし、ちょうどいいかなって思って。雨払いをして、こっそり練習してたんだ」


 クインシーは遠慮がちに瞳をミリーに向ける。彼の眼差しは、雨の中敢えて自分が一人でここにいる理由を懸命に訴えかけているようにも見えた。ミリーはその想いに気づいているのかいないのか。一歩足を前に出し、乾いた地面を踏み込む。


「……卒業予定の生徒に演出を見られたら、驚きも何もなくて意味ないよ」


 そのまま自分の隣へちょこんと座り込んだミリーに対し、クインシーは浮かない表情を向ける。彼は雨に濡れていないというのに、ほんの少し髪がしな垂れた。まるで彼の今の気持ちを表しているかのようだ。ちょっぴり残念そうに、クインシーは弱弱しい笑みを描く。


「つまらない演出をされるよりもマシよ。いいから、今考えいるものを見せて」


 クインシーの複雑そうな表情とは相反し、ミリーはあっさりとした声でそう告げる。続けてミリーは雨に濡れた自分のケープを爪先でとんとんと何度か叩く。その合図を皮切りに、濡れていたはずの彼女の身体は次第に乾いていった。すっかり水気が遠のき、ミリーは何事もなかったかのように平然とした顔をしてクインシーを見やる。


「ほら」


 足を曲げてしゃがむミリーは膝で腕を支えて頬杖をつく。彼女に催促され観念したのか、クインシーは正面の池に向かって構えた杖で滑らかな線を宙に描いた。すると指揮棒のような優雅な動きをする杖に導かれ、どこからともなく淡い色の泡がぞろぞろとやってきた。


 宙を踊る泡たちは、先ほどミリーが目撃したピンク色のそれと同じものだ。魂を宿したかの如く生き生きと空間を舞う無数の朗らかな泡を眺め、ミリーはそっと手を伸ばす。

 彼女の手にひらに触れた泡はポワンと弾けていくつかの小さな二等辺三角形へと変形していった。三角形はしばらくの間ふわふわと宙を跳ねた後で、空気に溶けて消えてしまう。

 ミリーが目線を上げると、泡たちよりも少し上の場所ではいつの間にかガーランドたちが手を繋いでいた。


 愛らしく揺れるカラフルなガーランドたちは、おめでとう、おめでとう、と口々に囁き合い、笑っているようにも見える。実際には顔などないのだが、意識の錯覚でそう思えてしまったのだ。


「先生よりも先に、君の審査を受けることになるなんてね」


 雨の中を賑やかに彩る演出を真剣に観察するミリーを横目にクインシーが気恥ずかしそうに杖を下ろす。杖の動きに合わせ、彼が指揮していた演出たちは視界から跡形もなく消えていった。

 かつてミリーが施した豪勢な龍の演出と比べたらささやかで派手さのないものではあった。大きく印象に残るものでもないだろう。けれど裏腹に、演出が消えた途端に心のどこかで喪失感が疼く。


 シンプルな演出だからこそ、人の想いを柔らかに包み込んでその気持ちを受け止めてくれるのだ。

 きゅう、と胸の端を小さな手で握られたかのような淡い痛みを覚え、ミリーはそっと視線を池の水面に落とす。


「私は、青の方が好きかな」

「そう、かな?」

「うん」

「ピンク系も華やかで青空には映えると思ったんだけどなぁ」


 ミリーの感想にクインシーはうーんと首を捻って空を見上げる。が、今は曇天だ。青空の参考にはならない。クインシーは参ったという様子で顔を正面に戻す。

 彼をちらりと瞳だけで見てみれば、ミリーのたった一言に対してかなり真剣な様子で腕を組んで考え込んでいる。

 ただの個人的な好みでしかないのに。

 彼の実直な横顔を眺め、ミリーはそう思ってほんの少しの申し訳ない気持ちを抱く。


 うんうんと悩む彼をじっと見ていると、いつも傍にあった横顔をどうしても思い出してしまう。姿形は全く違うのに、その一途な眼差しが、初めて間近で見た彼のものに似て見えてしまったからだ。

 ジュールと初めて言葉を交わしたのは入学式の翌日だった。

 ディマス・キングの肖像画を拝みに来たミリーを迎えたのが先客のジュールだったのだ。彼もまたディマス・キングを尊敬していると言い、今では滅多に見せないひたむきで純真な瞳で熱心に彼への憧れを話してくれた。


 彼がヴィヴァル家の跡取りだと知ったのはその後だ。思えば、互いに真っ新な気持ちを重なり合わせたのはあの時が最初で最後だったのかもしれない。

 ミリーは思い出してしまった過去に瞼を落とし、しゅん、と身体を小さく丸めた。


 彼女の雰囲気が変わったことにクインシーも気づいたようだ。演出について考えることを止め、辺りに降り注ぐ雨音に耳を傾けながらミリーのことを気遣うように見やった。が、彼女の表情を見たその瞳はすぐに雨粒が描く水面の波模様へ移ろう。

 彼女の想いを邪魔することをせず、クインシーは可能な限り呼吸をも静めた。

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