27 大発見


 彼女の言っていたことが真実だとしたら。

 これまで進展がないように思えた一連の事件の捜査が少しずつ進んでいることの証拠だ。

 ミリーは深刻な表情をしたまま図書室に入る。幾何学魔法が休講になったからか図書室は思ったよりも賑わっていた。図書室を見回る教師も、少しばかり賑やかな室内の様子をさほど気にしていないように見える。


 空いている席を見つけたミリーがそちらに向かおうと身体を向けた瞬間、図書室のソファ席を囲む生徒たちの興奮した声が聞こえてきた。本来ならば怒られるくらいの盛り上がりだが、やはり教師は無関心だ。

 ミリーをはじめとし、周りの生徒たちも思わずその集団に目を向ける。


「すべてはユニエラに始まりユニエラに終わるんだよ」


 中央で両手を広げて煽るように威勢の良い発言をしたのはジュールだった。彼を瞳の中に捉えた途端、ミリーの心臓が居心地悪そうに痛み始める。

 ジュールを囲む生徒たちの大半は彼の友人である男子生徒だった。が、よく見れば、その中にはリアンナの姿も見える。苦々しい気持ちが胸の底で煮え立ち、ミリーは顔をしかめた。


「術義局がようやくのお手柄だ! 俺たちの持つ魔力を強めるのはユニエラを組織する成分。犯人は恐らく研究に精通してる奴だ。なら、奴もユニエラの力を過信しているはず。その成分で成り立つ杖やネイルをどうにかできれば、奴の能力を無効化できるかもしれない」


 ジュールは仰々しい身振り手振りで聴衆たちの興味を誘う。実際に彼を囲んでいる仲間や、それを見ている生徒たちはすっかり彼の発言に魅了され始めている。


「さすがユニエラの息子と呼ばれる男だな!」

「お前なら出来るって信じてたよ」

「で、成分分析はもう終わってるのか? 対抗道具は出来そうか?」


 周りの仲間は彼を囃し立て、調子づいたジュールは元から高い鼻を更に高くする。


「まぁ落ち着けって。分析はもう終わった。もともと、杖やネイルはユニエラの中に含まれるいくつかの成分が絶妙に掛け合って能力が具現化される。だがその中のタビヒスって成分だけは、それらを制御する役割を担っている。成分同士が暴走し合わないように、ストッパー的な役目を果たしてるんだ。他の成分に比べると微量しか存在しないが、これを上手く使えれば魔法を無効化することも不可能じゃない」

「スゲー‼」


 ジュールの話に、傍にいたレジーが興奮気味に拍手をした。割れるような拍手の音には流石に教師の叱責の眼差しが飛んできた。


「もうそこまで分かってんのかよ。お前有能すぎ」

「ふざけんな。その顔か頭、どっちかだけでも俺に寄こせ」


 教師に呆れられようとも彼らのざわめきは収まらない。持て囃されたジュールは気分が良さそうな様子で満足気な笑みを浮かべている。

 やはり彼は誰よりも華があって見栄えがいい。王様の如く神輿に担がれても違和感はないだろう。

 図書室にもたらされた活気は少し前ならば誇らしくて堪らない光景だった。が、今のミリーの立場では複雑な感情しか抱けない。

 離れた場所から称えられる彼を見ているとやけに冷静になって妙な違和感しか覚えないからだ。


「……はぁ、まったく。大袈裟だよなぁ」


 そんな彼女の心情と同調するような声が背後から聞こえ、ミリーはいつの間にか後ろにいたダイルをぎょっと見やる。ジュールたちの盛り上がりに気を取られて彼の気配を全く感じなかった。

 ダイルは後ろ髪を搔き、丸い目で自分を見つめるミリーに弱弱しく笑いかける。


「親父が事件に巻き込まれたこともあって、術義局から情報を聞けてさ。それをあいつに伝えたら早速これだ」

「それって、被害者が同じ研究に関わっていたってこと?」

「お。流石に情報が早いな。そう。で、犯人はユニエラ以外の魔法組成を認めない過激派なんじゃないかってジュールが」

「……そんな動機ある? 人が何人も死んでるんだけど」

「あいつもユニエラを神聖化してるからなぁ。ま。実際、動機なんて他人からしてみればそんなもんかってことも多いし。人の命より自分の信条が大事な奴なんていっぱいいるわけで。あり得なくもないだろ」

「冷静なのね」

「これでも術義局の息子だからな」


 ダイルはにぃっと歯を見せて笑う。そういえば彼と話すのもあの日以来だ。ミリーは記憶に残る彼の申し訳なさそうな顔を思い出し、思わず彼から目を背ける。


「でも、少しでもヒントが掴めたことで魔道具部の活動もようやく陽の目を見そうだよ。当たり前すぎて、ユニエラの成分に着目するなんて頭から抜けてた」

「認めたくないけど、犯人はかなりの実力者だものね。タビヒスでもし魔法を無効化できるのなら、難攻不落な相手にも立ち向かえる可能性が高まる」

「ああ。術義局を馬鹿にされた仇は必ず取ってやる」


 ダイルの熱のこもった声にミリーの瞳が緩やかに彼の方を向く。が。


「……良い兆しなのに、そんなにつまらなそうな顔をするの?」


 声色とは裏腹に、彼が腑に落ちないという顔をしていたことにミリーは首を傾げる。


「あー……」


 ダイルは気まずそうに頭をわしゃわしゃと掻いた。図星だと言わんばかりに彼は恥ずかしそうにミリーと目を合わせる。


「成分分析は俺がやったんだ。でも、手柄はやっぱ、全部あいつのものになるよな」

「幼馴染なんだから、分かっていたことでしょう?」

「はは……だよなぁ」


 ミリーの指摘に返す言葉もなく、ダイルはがっくりと肩を落とす。


「でも。私はあなたを褒めてあげてもいいよ。分析、大変だったでしょう。流石の執念ね」

「それ、褒めてんのか?」


 ダイルはミリーの揺るぎない眼差しに脱力し、微かに肩を揺らした。本気で褒めたつもりだったミリーはむっと頬を膨らませ、疎まし気に瞼を下ろす。


「ダイル!」


 ダイルがミリーの珍しい表情に笑っていると、ジュールの声が剣の如く二人の間に飛び込んできた。ハッと声の方向を見ると、ジュールがダイルを手招いている。隣にいるミリーのことは視界に入れないという意思を感じ、ミリーの胸の奥で氷河が崩れた。


「彼が呼んでるわ。私は、もう出てくから」

「え。でも──」

「いいの。道具の開発、頑張って」


 ダイルに引き止められたが、ミリーは彼を振り切って足早に図書室を出る。

 あの日以降、彼の顔を正面から見たことはなかった。

 もし互いの顔が瞳に映り合ったのなら、元の関係に戻れるかもしれないと密かな願いを込めていたからだ。

 けれど怖くて、彼の顔を見ることを拒んでいた。彼に拒絶されたなら。考えるだけで肝が冷えた。

 しかし、これではっきりと分かった。


 彼はもう、自分のことなど見ていない。

 "変わってしまった"自分のことなど眼中にもないのだ。

 別れる日が来るのであれば、自分の方からそれを告げるものだと思い込んでいた。彼のことが本当に好きなのか分からなくなる日もあったくらいなのだ。

 それなのに。


 俯いていると、知りたくもない感情が胸を渦巻く。

 行く当てもなく廊下をひたすらに歩いていたミリーはふと足を止めて窓の外を見やる。いつの間にか雨が降っていた。なんて典型的なのだろう。

 ミリーは思うままに外に出て、滑稽な自分を雨で濡らした。

 通常ならば授業をしている時間なだけあって外には誰もいなかった。猶更都合がいい。


 容赦なく降り注ぐ雨。冷たくて、寒くて、まったくの慈悲を感じない。まるで自分と向き合っているようだった。

 普段はあまり行くことのない裏庭に向かい、ミリーは池に架かった小ぶりな橋を渡る。ざあざあという雨の音と水面に落ちる粒が弾ける音。木々の葉に着地した水音も、耳をすませば全てが違う。

 ミリーは欄干にもたれかかり、池に浮かぶ眠りかけの睡蓮を眺めた。大量の雨に打たれているのに睡蓮は水面に浮かんだまま沈む気配もない。


「君は強いね」


 つい、睡蓮を称えるそんな言葉が出てきてしまう。ミリーが睡蓮を見る目を細めると、狭まった視界に淡いピンク色のシャボン玉がふわりと飛び込んできた。


「……ん?」


 顔を上げれば、次々と同じような泡玉が飛んでくる。雨にも負けず、ふわりふわりと飛び交うシャボン玉たち。これはどう見ても魔法のなせる業だ。

 きょろきょろと辺りを見回すと、池の近くで一箇所だけ不自然に雨の当たっていない場所を見つけた。


「誰かいるの?」


 一部だけ晴らされた場所に向かって歩き、そっと声をかける。雨は二メートルほど上に見えない傘があるかのようにその場所だけを避けている。


「誰?」


 知らない声が返ってきた。

 ミリーは返事をした人物を恐る恐る木の影から覗く。

 池のほとりに座っているカッパー色の髪の男子生徒が驚いた顔をして後ろを振り返っている。相当驚いたのか、制服にはひっくり返った時についた泥がついていた。どうやら怪しい人間ではなさそうだ。


「……あれ?」


 木の裏から姿を現したミリーを見つけ、男子生徒はきょとんと瞬きをする。

 彼の姿には見覚えがある。薄っすらとだが、記憶のあちこちで彼を見かけた。


「僕のこと知ってる?」


 透明な傘の外側に立つミリーを見上げ、彼は柔らかに微笑んだ。グレーを帯びた瞳はやけに透き通って見え、瞳孔の黒が際立っていた。


「なんとなく」


 ミリーは正直に答える。


「ほとんど初対面だね。初めまして。俺はクインシー・レール」

「……ミリー・アレン」

「ははっ。うん、知ってる」


 クインシーは杖を持っていない右手を差し出す。傘の下にいる彼の手は渇いていた。寒さもあまりないのだろう。裸の爪は血色良く艶めいている。ミリーは一瞬躊躇いつつも雨に濡れた手で握手を交わす。見えない傘の中に入った右手がほのかに熱を取り戻した。


「よろしく」


 彼女の手が濡れていることなど気にもせず、クインシーは朗らかな笑みを広げる。その笑顔は繊細さと凛々しさが良い塩梅で共存し、調和がとれていた。それが何故か頼もしくも見える。

 だからなのだろうか。

 彼と挨拶を終えたミリーはどこに行くこともなくその場に立ちすくむ。


 自分をじっと見つめてくるミリーに違和感を覚えたのかクインシーは微かに首を傾ける。

 互いを瞳の中央に据えた二人のことを、しばしの間数多の雨音が包み込こんだ。

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