24 分裂した影
「どういうことなの⁉」
技術室と暗室の狭間にミリーの叫喚が投げつけられる。
ミリーの険しい瞳にリアンナはすっかり縮こまり、乱れたケープをぎゅっと握りしめて自分を抱きかかえていた。
「ジュール⁉ 最近ずっと忙しかったのは魔道具部の活動のせいだって言ってたよね? まさかこれも魔道具部の活動の一環だと言うの⁉」
「俺はこんなこと推奨してないからな」
ミリーの詰責に身の危険を感じたのか、ダイルは魔道具部代表としてせめてもの弁明を囁く。モリーはダイルを振り返り、今は黙っていた方がいいと言わんばかりに唇の前に人差し指を立てた。
「勘違いだ、ミリー」
「何が⁉ 何が勘違いなの? さっきリアンナとここでキスしてたでしょう⁉ 何をどう勘違いすればいいの⁉」
ミリーも気が動転して自分が言っていることを半分も理解していなかった。ただ思いつくままに言葉を発するだけで精一杯だ。
「魔道具部の活動だって言って、どうせ彼女と過ごしていたんでしょう⁉ ここで! この場所で! 誰も来ないもん都合いいよね」
ミリーは立てた親指をひっくり返して床を力強く指差す。
「ご、ごめんなさ……」
ミリーの剣幕に耐えられなかったのか、リアンナが蚊の鳴くような儚い声を発した。
「何? いい子ぶってももう意味ないから。あなた、大人しそうに見えて結構大胆なことするのね。信じられない。せめて正々堂々と宣戦布告してくれればいいのに。あなたのお友だちみたいに」
皮肉なことにミリーの脳裏に真っ先に浮かんできたのはあのマノンの余裕綽々の笑みだった。リアンナの友人であるマノンは鬱陶しいくらい大胆に学園の空気を変えてこようとしてくる。むしろ隠れるなんて発想もないのだろう。
少なくとも学園内での生徒としての彼女は、リアンナのように陰でこそこそ動くような下劣な真似はしていない。
大嫌いなはずの相手の直球な態度が今ばかりは清々しく思えた。だからといってマノンへの好感度がマイナスから変わることはないが。
「やめろ。リアンナを責めるな」
「はぁっ⁉」
彼女のことを庇おうと咄嗟に前に出たジュールのことを睨みつけ、ミリーは腹の底から声を出す。
「恋人を唆した浮気相手を責めることすら許されないの? 知らないならまだしも、私とジュールが付き合ってることは学園の誰もが知っていることでしょう? 私たちのことを知ったうえでリアンナはあなたの浮気相手になったの」
「それは……」
「黙っててよ‼ これ以上私を傷つけないで‼」
言葉を詰まらせたジュールのことをミリーは激しい口調でねじ伏せた。
「何? 私のことが羨ましかったの? みんな私に憧れるものね。どうだった? 私に隠れてジュールとキスするのは。最高に気持ちよかったでしょう? 何も知らない私のことを、どうせ嗤っていたのよね」
「そ、そんなこと、ない、よ……」
「嘘。この期に及んでまだ嘘をつくの? でも残念だけど、ジュールを誑かしたって私に勝てるわけもないの。私がトップに立つのにはちゃんと理由があるの。あなたにはないわ。あなたがどんなに卑劣な手を使ったって、そんな資格はないの」
ミリーは拳を握りしめて怒りを閉じ込める。ぎりぎりと、爪先が彼女の滑らかな肌に食い込んでいく。力を込め過ぎて、もはや指先は真っ白になっていた。
「ねぇ、どうして? どうしてジュールなの? どうして……」
悔しさに頬が強張っていく。歯ぎしりをしてもどうやっても腹の虫がおさまらない。ジュールとリアンナを責める度に暴れ回ってむしろ気持ちが悪い。
「ミリー」
ジュールがやけに冷静な声で彼女の名を呼んだ。彼を見れば、狂犬を抑えるかのような仕草で両手を前に出し、慎重な眼差しでこちらの顔色を窺っていた。
「リアンナが誑かしたわけじゃない。俺が、彼女に惹かれただけだ」
「……な、に?」
彼が何を言っているのか脳が受け入れない。誰にも気づかれずにこの場から逃げ出してしまいたかった。けれど背後にはモリーやダイルたちがいる。皆、彼が何を言ったのか一語一句漏らさずに聞いたことだろう。
とくん、と鳴り打つ自らの心音が最も柔なところを優しく刺す。どんな言葉や視線よりも、その痛みが何よりも自分のことを傷つけた。
「リアンナは、悩んでる俺のことをよく理解してくれた。どうしていいか分からないときに、彼女が助けてくれたんだよ」
「何を言ってるの? 私だって、ジュールのこと、支えてきたでしょう……?」
声を発している自分を褒めてあげたかった。
息を吸い込むだけでも全身が切り刻まれるかのように激しく痛むというのに。
ミリーは浅い呼吸のまま真っ直ぐにジュールを見つめる。
「ミリーのことも好きだ。それは変わらない。だけど最近は……前のミリーとは違う」
「私はずっとこのままよ。何も変わらない。変わったのはあなたでしょう?」
「いや違う。ミリーは変わった。彼女はズルなんてしない。むしろ授業をズル休みしようとした俺を止めるくらい、彼女は誠実で真っ直ぐで、怖いくらいに無垢だ。余計なものに振り回されず、ただ自分の信じる道を進んでた。俺はそんなミリーに惹かれて、どうしようもないくらい夢中にさせられた」
ジュールは表情を柔らかにして昔を懐かしむような語調で続けた。寂しそうな瞳が求めているのは在りし日の彼女の姿だ。
「だが今のミリーは……」
彼の表情が一瞬にして歪んだ。何か苦いものを食べたかのような、そんな不快な情が潜んでいる。
「戦の舞で後輩が他の選手にした嫌がらせを容認し、パーティーのサプライズにすら文句を言う。ベイリーを敵視しすぎだ。ベイリー潰しに躍起になって、自分自身を壊していることすら気づかない」
ジュールの口から出た名前に反応し、ミリーは憎しみを込めて彼を睨みつける。
「こんな時にもマノンが出てくるの?」
「ああ。ミリーは気づいてない。ベイリーも話してみると面白い子だ。確かに正直すぎるし押しも強いけど、だからって悪人じゃない」
ジュールの言葉に隅にいるリアンナがこくこくと同意するように何度も頷く。
もう頭が真っ白だった。
つい最近まで自分の味方だと思っていたジュールでさえマノンのことを完全に受け入れている。ミリーがどれだけ彼女の態度で嫌な思いをしてきたかを彼はよく知っているはずなのに。
やはりリアンナに唆されたのだ。
彼女はマノンの友人。彼女を追えばいずれマノンに辿り着く。
マノンがこれまでしてきた行いが脳内で自動再生され、ミリーは混乱して頭を抱えた。すると黙って聞いていたモリーが一歩前に出てリアンナを指差す。
「リアンナ! マノンに励まされて勇気をもらったって言ってたけど、これは間違いだよ!」
突然大きな声が真横で炸裂し、ミリーは思わずびくりと肩を跳ね上げる。隣を見れば、モリーが表情を複雑に歪めてリアンナに叱責を飛ばしていた。
「だからやめなって言ったのに‼」
「え……?」
モリーの哀しそうな叫びにミリーが目を見開くと、彼女はミリーに「聞いてください!」と前置きしてから早口でまくし立てた。
「リアンナは前からジュールのことが好きだったんです! でもミリーがいるからって諦めてた時に、ミリーがあなたの人生全てを決めるのかってマノンに言われて目覚めたらしくて! マノンに唆されたんだよ! リアンナ不器用な癖に! 今日だって、二人が鉢合わせたらまずいと思ってわたしもミリーを止めようとしたよ? でもそもそも、二人がミリーを裏切るようなことしなければそんなことする必要もないわけで!」
「待って。モリー、ちょっと、一回黙って」
怒りと悔みで興奮しているのかモリーの瞳孔は大きく開いていた。
闘牛の如く止まる気配のない彼女の勢いに振り落とされそうになり、ミリーは慌てて両手で彼女の口を塞いで強引に黙らせた。
「モリー、このこと知ってたの?」
「ふぇっ⁉」
ミリーに口を押さえつけられて若干喜んでいるようにも見えたモリーだったが、次に出てきたミリーの問いに思わず目を白黒させる。
「今の話。鉢合わせたらまずいかもってことは、二人が密会してたことも、何をしていたのかも、その関係性も知ってたってことよね? いつから? ねぇ、いつから知ってたの? 知っていて私に黙っていたってこと?」
「えっえっっと」
ミリーの手が離れていき、塞がれていた血色のない唇が忙しなく開閉する。
「り、リアンナは友だちで……その、相談、というか、えと……ジュールが好きってことは知ってて……あでも、もしかしたら止められるかもって思って……」
ミリーの強圧的な眼差しに詰め寄られ、モリーは目玉を震わせながら明らかに動揺する。彼女が何を言おうとも、素直すぎる表情はもう答えを示していた。
「モリー?」
それでも彼女の回答を待つのはミリーの悪い癖だった。同じ場に居合わせた第三者にしてみれば意地の悪い態度だという印象を受けても無理はない。
どうしても言質をとりたいのか、と。
そうだ。きっぱりと決着をつけなければ気が済まないのだ。
恐る恐るミリーと目を合わせたモリーのこめかみに冷や汗が流れていく。モリーがつばを飲み込む音もはっきり聞こえた。
モリーは苦し紛れにそっと口角を持ち上げ強張った笑みをつくる。そして。
「うあー! もう、知らなーーい‼」
次の瞬間にはミリーの射程圏内から逃げ去るように踵を返して駆け出す。
「あっ! ちょっと‼」
ミリーが呼び止めようとしてもモリーは足の回転を止めることなく人の間を縫って技術室を飛び出していった。
「なによ……」
モリーの逃げ足の速さに呆気にとられ、ミリーは細々とした息を吐く。が、視界に入ってきた無数の双眸がこちらを向いていることに気づき、ミリーはむっと唇を結んだ。
ここでようやく、ダイルをはじめとした他の生徒たちがこれまでの騒動全てを目撃していた事実を実感する。暗室の方ばかりを見ていたからか、気配は感じていたものの技術室に集う制服たちの存在に現実味がなかった。しかし振り返れば彼らは確かにそこにいる。
ジュールの浮気を問い詰めた自分のこともしっかりと見ていたようだ。
その証拠にダイルが眉尻を下げてこちらを見ている。彼はジュールの幼馴染だ。大方、幼馴染の愚行に傷つけられたミリーに同情しているといったところだろう。
「なによ」
もしかしたら彼も浮気のことを知っていたのかもしれない。正確には知らなくとも、怪しい兆候には気づいていたのかも。
ミリーは憂いを覗かせた彼の瞳を睨みつけた。
見世物なんかじゃない。
ミリーは暗室を背にゆっくりと歩き出す。
彼女が歩けば皆は道を開ける。けれどこちらを見る皆の視線はいつもと違う。
「ミリー」
技術室を出るあと一歩のところで背後からジュールの声が聞こえてきた。
ミリーは一度立ち止まるも、彼を振り返ることなく廊下へと足を踏み出した。
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