23 気の利く恋人


 国立図書館の事件の次は一体誰が、どの場所が標的になるのだろう。

 ディマス・キングから始まった不可解に連なる事件の行く末に眉を顰める日々が続いていた。


 当然それは事件を担当する術義局も同じだ。事件の真相究明を急かす世の期待に応えるべく彼らも全力を尽くしていた。が。

 まさか次の事件が自分たちの領域で起こるなど想像もしていなかったに違いない。

 証拠不十分として一度は釈放された花冠の学生も、司書が首を絞められた後は再び容疑者として拘束されて牢の中で自由を奪われたまま。


 監視していた局員からも彼が不審な行動をした覚えはないという報告もある。

 的外れな捜査ばかりする術義局を嘲笑うかのように真犯人は彼らの心臓部にまで手を出してきた。

 真犯人は別にいる。

 まるでそう言いたいように。自らの存在を強調し人々に恐怖を植え付けていく。


 ダイルが教室から連れ出されたあの日以降、生徒の中でも事件に対する印象が少しずつ変化していた。

 頼りになるはずの術義局すら真犯人にしてみれば遊び場も同然と言われたようなものなのだ。防衛魔法の授業では以前よりも真剣に授業に取り組む生徒が増え、課外活動として防衛術を学びたいと申し出る生徒も出てきた。


 学校に戻ったダイルもその一人だ。魔道具部の活動の一環として防衛術の鍛錬を積極的に行っている。もちろん希望すれば誰でも参加可能で、噂ではマノンも顔を出しているらしい。

 ミリーはモリーからのそんな小話を耳に入れながら化粧を直す。鏡に向き合った自分の目元をじっと見つめ、瞼の上にアイシャドウの艶めきを伸ばした。先ほどの薬草学の授業で隣の席の生徒が泥を飛ばしてきたせいで化粧が崩れてしまったからだ。


 ミリーは再び輝きを取り戻した目元に満足そうな笑みを広げ、洗面台に腰を掛けているモリーを一瞥した。

 ここは女子手洗い所。ミリーの背後で閉まっていた扉が開き、彼女の視線も音に反応して思わず正面に戻る。個室から出てきたばかりの女子生徒は鏡越しにミリーと目が合い、すぐに手を洗い外に出ていってしまった。

 目が合った瞬間、相手が怯んでいたように見えたのはミリーの眼差しが鋭いものだったからだろう。 


 彼女はマノン派か、それ以外か。

 最近のミリーは親しくない生徒を見る度にそれを見極めることが習慣になっているからだ。もはやミリーも意識できないほどの反射的なもの。加えて言えば、白か黒かの判断を下そうとする彼女の瞳はひどく冷徹な色を放つ。その温度のない機械的な眼差しに怯える者がいるのはおかしなことでもない。

 化粧直しを終えたミリーは髪を整えるためにブラシを取り出す。


「術義局が被害にあって戸惑う気持ちもわかるわ。でも、まさか術義局が、って考えには賛同できない。国立図書館は術義局が出資に協力して開設された施設でしょう? 術義局と国立図書館に何の繋がりもないと思っているのは、無知すぎるでしょう」


 ブラシに髪を通しながらミリーは呆れた様子で息を吐く。

 術義局での事件が公になった後に大騒ぎを始めた人たちの間抜けな顔を思い出し、ミリーの眉が憐れみで歪む。


「事件は事件。これまでと同じ。今回だけ特別大騒ぎするのは愚かだわ」


 ミリーの声は淡白だった。彼女の冷静な態度にモリーは感銘を受けたかのように「おおお」と喉を唸らせる。憧れを映したモリーの瞳はきらりと輝き、睫が持ち上がっていく。元気が出たのか、モリーはぴょんっと飛び跳ねながら洗面台から下りて両足を揃える。


「確かに、ミリーの言う通り! 被害者が有名人だったってこともあるけど、今更騒いでも遅いってことだよねっ!」


 モリーの解釈にミリーのブラシを持つ手が一瞬止まる。

 現場は術義局でも、被害者は術義局の人間というわけではなかった。今回の被害者は実業家として有名な男だ。彼はバルーンペットの生みの親として知られており、彼が編み出した技術で開発されたバルーンペットは今や社会で立派な地位を確立している。


 バルーンペットとはその名の通り風船で作られた動物たちのことだ。

 実際の生き物とは違い大元は風船で出来ているため、アレルギーや金銭的理由でペットの飼育を諦めていた人たちから支持を得た。

 身体が空洞というだけで他は本物の動物たちと遜色ない動きを見せるバルーンペットはすぐに大人気となり、瞬く間に彼に富をもたらしたのだ。


 バルーンペットは風船で形が作れればその姿形に制限がない。実際に飼うことが禁じられている動物すら相棒にできる魅力は老若男女を夢中にさせた。

 また、ゼロから成り上がり成功者となった彼自身の人柄も注目を集め、彼が出版した本は年間ベストセラーに選ばれるほど売れている。


 これまでミリーの周りでもバルーンペットを飼う者は多くいた。が、ミリーはそこまで興味を持つこともなかった。

 夢のある話ではあれど所詮は風船で出来た紛い物の動物。それで喜ぶ人がいること自体は否定しないがミリーはそれでは満足できない。

 どちらかといえば彼が持つ巨大な野心の方に共感していた。強くなろうと決めたあの日、彼女がまず初めにしたことは最初に頭に思いついた社会的強者の考え方を知ることだった。選ばれたのは彼の著書だ。


 著書の読者の一人であるミリーも彼の存在についてはよく知っている。

 彼の底知れぬ野心と何事も畏れぬ精神力は間違いなく比類なき才能だ。

 けれど偉大な成功を収めた裕福な実業家も今や臓器丸ごと失った空っぽの人間。


「窃盗被害の相談のために術義局に来ていたって話だけど、もしかして、その窃盗すら犯人が仕組んだことなのかな」

「それもあり得るわ。術義局を挑発したいという意思が見えるもの。彼が術義局に行く理由を作り、そこで事件を起こすのも不自然な話ではない。モリーどうしたの? 今日は随分冴えちゃって」


 ミリーは最後に手櫛で髪を整え、モリーの方を見てクスリと笑う。

 不意打ちで褒められたモリーの表情がみるみるうちに輝いていく。


「そっぉんなことぉ、ないですぅうう」


 くねくね動くモリーの照れ隠しの奇妙な動きに目もくれず、ミリーは香水を髪に一吹きしてから完璧な仕上がりの自分に微笑みかける。


「とはいえ、彼は毒によって臓器を溶かされたと聞いたけれど、一体どこで毒を飲んだのかしら」

「術義局で出された飲み物に入ってたとか? あ。でも毒ってことなら、あの時間に教室にいたマノンも関係ないってことだね。前にミリー、マノンのことを疑っていたけど、これで彼女も潔白ってことで大丈夫? 大丈夫だよね? そうじゃないと怖いんだけど……」


 モリーのご機嫌な笑顔が徐々に薄くなっていく。ミリーの肯定が聞きたいようで、彼女は不安な眼差しを鏡越しに彼女に向けた。

 グロウパーティーの日にミリーが口走った疑念をモリーは少しだけ気にしていたようだ。


「それは分からない。時差毒だってあるんだから。マノンは能力だけは高いわ。彼女なら、やろうと思えばなんでもできそう」

「ええええー……」


 期待通りの言葉を聞けなかったモリーは意気消沈し、がっくりと肩を落とす。ミリーは分かりやすい反応を見せる彼女を鏡越しに眺めて表情筋を緩めた。


「未知のことを分かったように話すのは危険でしょう? その点、警戒心を持つってのは防衛本能として正しいわ」

「そうだけど……なんか、そんなのいやだなぁ」

「いやでもなんでも、自分を守るためでもあるの。モリーもダイルの指導を受けてみたらどう? マノンもいるなら、対抗するための研究も出来るでしょう」

「マノンに勝てる気は…………しないなぁ」

「ふふ。弱気なんだから」


 表情豊かに喜んだり落ち込んだりするモリーを横目に、ミリーはそそくさと手元に広げた私物を片付け始める。


「ミリー、これからどこか行くの?」


 彼女が急いでいるようにも見え、違和感を覚えたモリーは首を傾げる。今日の授業はすべて終わり今は放課後。今日も魔道具部の活動があるためジュールとの予定もないはず。けれどミリーはまるでデートの予定があるかのように入念に身支度を整えていたのだ。

 思わず口から出ていった、ただの些細な問いだった。しかし。


 声に出した直後、モリーはハッとして息をのみ込む。嫌な予感に全身が痺れた。稲妻が脳から足先まで走る感覚だった。

 モリーの口が開いたまま塞がらなくなる間にも、ミリーは片付けを終えて足早に廊下に出ようとしていた。


「魔道具部の活動を見に行くの。ジュールに、私はちゃんと応援してるよってことを伝えたくて。ダイルも大変でしょう? ジュールも疲れているだろうから、活動が始まる前に行って、驚かせようと思って」


 名案だと言わんばかりにミリーは自信たっぷりに表情を綻ばせる。本音を言えば、休暇が明けて以来彼との関係があまり良好ではないことを自覚していた。

 グロウパーティーで不可解な動きを見せた彼のことがまだ理解できない。けれど過去の出来事を気にしてばかりいては前に進むことも難しい。


 ミリーは彼への不信感を自力で拭い去り、どうにか彼との関係を修復したいと考えていたのだ。本当なら彼の方から歩み寄って欲しかった。が、欲しがるばかりでは埒が明かないことをミリーは身をもって知っている。

 学園での完璧な地位を築くきっかけも、すべては彼を射止めたことから始まった。

 マノンの台頭により地盤が崩れかけている今、やはり彼の力が必要なのだ。


 ミリーはポーチ片手に廊下に出る。

 彼が忙しいのにも事情がある。彼は元から学園の人気者で引っ張りだこ。魔道具部に時間を費やすのも幼馴染のダイルが彼を必要としているからだ。

 自分はすべてを理解し応援しているのだと改めて彼に伝えなければ。

 ミリーは自分に向けられた彼の端正な微笑みを思い出し、きゅっと唇を噛みしめた。


「ミリー‼ ま、待って待って‼ ま、魔道具部はっ、たぶんっ、慌ただしいはずだしっ!」


 覚悟を決めて大股で歩き始めたミリーのことをモリーが手を伸ばして追いかける。

 前にもこんな風に彼女に追いかけられたことがあった。そう。監督生の談話室に向かう途中も、ずっと背後で彼女の声が響いていた。

 あの時もミリーは足を止めなかった。それは今回も同じこと。


「待ってーーーーッ‼ 考え直してーッ!」


 前回よりも背後の声が悲痛に満ちて必死に聞こえるが、きっと気のせいだろう。

 ミリーは脇目もふらずに絶叫するモリーの行動に引っ掛かりを覚えつつも、感情豊かな彼女の通常運転だと納得して歩き続ける。

 魔道具部が活動しているのは主に技術室だ。本来は報道部のために用意された部屋だったこともあり、写真の現像のために暗室も設けられている。そのおかげか部屋自体の面積も広い。


 報道部が解体してからも授業ではあまり使われず、課外活動の時によく利用されている場所だ。最近では専ら、人が増えた魔道具部の活動に使われている。

 魔道具部の活動時間は防衛術の鍛錬があることから公にされており、今はまだその時間よりも早い。

 今のうちに先回りして技術室でジュールを待ち構えれば彼は間違いなく驚いてくれる。彼を気遣う献身的な姿勢に胸打たれ、二人の絆を思い出すはず。


 ミリーはそう信じて疑わなかった。

 二人の間がどこかぎくしゃくしているように思えたのは、自分に構ってくれない彼のことを許せない自らの頑固さのせいなのだと。

 だから自分が歩み寄ればきっと。

 技術室の扉が見えてくる。明かりはついているが人の気配は感じなかった。


 扉を開け、ミリーは煌々とした光に包まれる部屋の中を見回した。やはり誰もいない。がらんとした広い部屋にはどこか虚無感が漂っていた。

 技術室にはあまり入ったことがない。慣れない場所に微かなざわめきを覚え、ミリーは思わず胸の前で手を握りしめる。

 暗室が隣接していることは知っていた。部屋の中にそれらしき扉が見える。暗室というだけあり、中はこちらの部屋よりも暗いのだろう。興味本位で扉を見やったミリーの呼吸がぴたりと止まる。


 誰もいないはずなのに、暗室に向かう扉だけが僅かに開いているのだ。明暗の錯覚だろうか。ほんの数センチの隙間がやけにくっきりとして見え、ミリーは思わずドアの取っ手を握る。

 誰かいるのだろうか。

 誰よりも早く来て彼を驚かせる計画だったのに。もしもう既に誰かいるのなら予定が狂ってしまう。


「誰かいるの?」


 ミリーが音もなくゆっくりと扉を開くと暗闇の中で何かが蠢いた。


「ミリー‼」


 モリーの最後の絶叫が響く。彼女の足音が背後で止むと、辺り一帯が静寂に包まれる。

 技術室の明かりが暗室に差し込み、扉が開くとともに徐々に視界がクリアになっていく。

 暗い所にいては、その光は強烈に目に沁みついたのだろう。暗室の中で暗闇に紛れていた影が驚いたように反発し合って分裂した。一つだと思っていた物体はもともと二つに分かれていたようだ。


「──っな! ミリー⁉」


 すっかり明かりに照らされた暗室の中央にいたのは見覚えのある顔だった。


「……ジュール?」


 眩しそうに目を細めて慌てた声を出す彼をミリーは訝しげに見つめる。彼がここにいること自体はあまり不自然なことではない。いずれ魔道具部の活動が始まるのだから。

 しかしそれは彼がここで一人で作業をしていればのこと。

 ミリーはジュールの胸元から離れて暗室の隅に寄ったもう一つの物体に視線を向ける。


「ど、どうも……ミリー……」


 おどおどと声を震わせつつも、彼女は小さく手を挙げてみせる。ふざけているのか。ミリーの眉がピクリと持ち上がった。


「リアンナ…………?」


 眼鏡をかけていないから最初は分からなかった。が、よくよく見てみるとその顔には覚えがある。最後に見たのはグロウパーティーだ。マノンに呼ばれ、彼女とともに舞台上で奇妙な踊りを先導していた姿が脳裏に鮮明に蘇る。

 リアンナ・ロンディーネ。大人しくて存在感がない魔道具部員の一員で、マノンの隣によくある顔だ。

 暗室に二人がいた理由が分からずミリーが茫然としていると、静まり返っていた背後が少しずつ賑やかになってきた。ダイルの声が聞こえる。恐らく魔道具部の活動のために生徒が集まってきたのだろう。


「あ、れ? ミリー?」


 技術室に入ったダイルが部屋中に漂う異質な空気にはたと立ち止まる。ミリーは固まったまま動かない。すべてが止まった中で、唯一瞳だけがジュールとリアンナの二人を交互に見ていた。


「ジュール、どういうこと……?」


 見間違いだと言って欲しかった。

 暗闇の中で一瞬見えたあの光景が、闇に目をくらまされただけなのだと。

 ミリーの切なる瞳はジュールが告げる真実だけを待っていた。


「…………ごめん」


 それなのに彼は欲しい言葉をくれない。

 哀惜に満ちた瞳を伏せ、ミリーと目を合わすことすら拒んだ。


「うそ…………」


 ぽとりと落ちた言葉は水滴の如く静かだった。何に穢されることもない濁りなき声がミリー自身の胸の奥まで届いた時、繊細な情が裏切りという刃に断ち切られる。

 その瞬刻から悲しみも焦燥も落胆まで、すべてが激情に変わる。


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