15 ショーケース
「ぜひお立ち寄りくださーい」
溌溂とした声がちりんちりんというベルの音に重なってミリーの真横で響く。
「アレン、今回の研究も面白いね。早速、興味を持つ研究者もいるだろう」
「ありがとうございます、先生。一人でも多くの、悩みを抱えた人のお役に立てれば嬉しいです」
「うむ。立派な心得だ。結果発表を楽しみに待っているといい。では、私はこれで」
「はい。お時間を頂きましてありがとうございます」
ベールを一枚纏ったかのような柔和な声でミリーは老齢の教師に礼を告げた。
遠くなる教師たちの背中に向かって軽く頭を下げ、しばらくしてから顔を上げる。
顔を下ろす時に表情を彩っていた微笑みも、次に顔が上がった時にはすっかり消えていた。
「ふう」
小さなため息とともに力を抜き、ミリーはやれやれといった具合に凝り固まった肩を回す。そして隣で絶えずベルを鳴らし続けるヴァレンティナをじっと見やった。
「害草として名高いナキムシソウの、驚きの発見ですー!」
手元のベルをヴァレンティナが夢中で鳴らしているせいか、爽やかなはずの音はいつのまにかぢりんぢりんと粗野な響きを奏でていた。
「ヴァレンティナ。ヴァレンティナ」
ミリーは彼女の腕を控えめに叩き、その手を振るのを止めるように促す。
「一旦、一旦いいから」
「え? もういいの?」
「一回休憩。ずっとベルの音が耳元で聞こえるんだもの。耳が疲れちゃうでしょ」
「うーん? 分かった」
ミリーの指示にヴァレンティナは首を傾げながらもベルを机に置く。
「ありがとう」
ヴァレンティナはあまり納得していない様子だったが、ミリーは別にそれで構わなかった。彼女に人寄せを頼んだは良いものの、そろそろその必要もなくなってきたからだ。
「シエラ、イエナ」
ヴァレンティナとは別の場所で来賓客の相手をしていた二人にもミリーは声をかける。ちょうど二人は大学の教授三人との会話を終えたところだった。
「さっき委員長が帰って行ったわ。とりあえずアピールは終わったから、ここからはゆったりしていきましょう」
ミリーにそう言われ、イエナとシエラは横目で目を見合わせてから安堵したように笑う。
「ってことは、もうお役御免? あー! 良かった。すっごく疲れちゃったから」
シエラは用意してあった椅子に脱力しながら座り、愛想笑いの連続で固まってしまった頬を両手でほぐし始めた。
「お疲れ様、ミリー。委員長の反応はどうだった?」
イエナもシエラの隣に座り、朗らかな声でミリーに訊く。
「思った以上の好感触だった。かなり興味を示してくれたわ」
ミリーは足を組み替えて得意げな笑みを浮かべる。彼女の隣に座るヴァレンティナはミリーの表情を覗き込んでつられて嬉しそうに笑う。
「やっぱり! 皆の迷惑者ナキムシソウの涙が皮膚炎に効くなんて、だーれも思いつかなかったもんね」
「ええ。応用すればシミや皺の改善にも使えるはず。魔法に頼らなくとも、自然の力でどうにかなることは多いものよ」
ミリーは椅子の脇に置いていた自分のタンブラーを手に取り喉を潤した。入っているのは当然、お気に入りのシナモンラテだ。いつもなら一気に飲み干してしまうのは勿体ないと思うところだが、今日は違う。
ローフタスラワ学園で毎年恒例の研究展示会、通称ショーケースが開催されているおかげだ。
ショーケースはローフタスラワ学園の生徒たちが自らで行った研究の結果を展示する学術的イベントの一つだ。自由度も高く、研究分野は多岐にわたる。将来有望な生徒が集まる学園の催しということもあり、ウィザワン区域内外から来賓客も多く訪れる。
最高学府である大学から派遣される者も少なくはない。優秀な生徒を発掘するため、各地の有名大学の教授たちもこぞって足を運んでくる。
そのこともあり、このショーケースで特筆すべき結果を残せば卒業後の進路にも優位に働く。生徒たちにしてみれば未来の道を切り開く第一歩となる格好の機会となるのだ。
過去三年、ミリーも輝かしい結果を残し続けていた。一年の時には先輩との共同研究で銅賞を獲得し、二年生では銀賞にも手が届いた。
昨年はジュールとともにユニエラの新たな栽培方法に関する模索の結果を発表し、ついに金賞に輝いた。
ミリーにとって最後となる今回のショーケース。ミリーが着目したのはナキムシソウと呼ばれる植物だった。ナキムシソウはその花粉を吸い込むと涙が止まらなくなる厄介な特徴を持っている。
おまけに花粉で人を泣かせるだけではなく、ナキムシソウそのものも常に悲痛な声とともに涙を流し続けるために、観賞用としても好ましくない植物とされている。
遭遇すれば否応なしに涙を誘ってくるナキムシソウは、多くの人たちに忌み嫌われ良い印象を持たれていない。存在自体を軽視され、ナキムシソウは架空の悲劇に泣き続ける憐れな植物だとして認識され続けてきた。
が、ミリーは違った。
誰も近寄りたがらない孤独な植物にミリーは過去に救われたことがあるからだ。
凶悪なマゾクが子どもたちを襲い始める少し前の頃だった。
学校帰りに友だちと遊んでいた時にふざけて忍び込んだ竹藪でイタズラバチに腕を刺され、肌が膨れ上がってしまったことがあった。
近所の病院で早急に処置してもらい、幸いにも大事には至らなかった。けれどイタズラバチに刺された痕はかぶれを起こし、なかなか以前のような滑らかな肌には戻ってくれなかった。傷痕を見る度に意気消沈していたミリーだったが、ある日偶然ナキムシソウの涙に触れたことで状況は好転した。
かぶれていた肌が少しずつ正常に戻り始め、一年後には傷痕が分からないくらいに薄くなっていたのだ。
その経験から、ミリーはずっとナキムシソウに興味を抱き続けていた。しかしナキムシソウの涙を研究することは簡単なことではなく、思う以上に時間がかかった。結局、四年生にしてようやくナキムシソウの初期研究発表まで漕ぎつけることができたのだ。
当初はミリーも今回のショーケースでナキムシソウの研究結果を展示するつもりはなかった。まだ完璧なものではないからだ。
けれど別の共同研究を予定していたジュールが多忙になり一緒にいる時間が取れなくなったことから計画が頓挫したために、長年温めていたナキムシソウの研究を深掘りすることに決めたのだ。
新たな共同研究の仲間となったのは馴染みの顔ぶれだった。シエラ、イエナ、ヴァレンティナの三人だ。とはいえ主に手を動かしていたのはミリーで、三人は展示の準備と集客、そして来賓客へつつがなく研究の説明をすることが主な役目となった。
三人とも無事に任務を果たしてくれた。
審査委員会への売り込みも無事に終わり、一息ついたミリーはガラスケースに閉じ込めた瓶を見つめる。
ガラスケースの中に鎮座する小瓶には琥珀色の液体が詰められていた。それこそが今回のミリーの研究結果だ。
ナキムシソウの涙を他の天然由来の美容成分と混ぜ合わせることで、完全天然素材の試薬が完成した。
このまま研究が発展していけば皮膚の炎症に効くだけでなく、肌を健康に保つ効果も発揮してくれるはず。
そんな希望に満ち溢れた琥珀色を眺めながらミリーは今年も金賞を確信する。やはり自分は天才だ。
「でもさ」
ミリーが一足早く勝利の気分に浸っていると、シエラがおもむろに口を開く。
「このナキムシソウの涙を使えば、あの頭を食べられちゃった彼女の治療にも活用できるのかな?」
シエラの深刻な面持ちにミリーはピクリと眉を動かす。勝利の心地もひとまずはお預けらしい。ミリーはシエラの問いに微かに息を吐く。
「今はまだ未完成だから難しいでしょうね。でもいずれ、彼女がめげずに生きてくれるのなら、そんな時が来ることもあると思うわ」
「かわいそう……頭を食べられちゃうなんて」
ミリーの隣でヴァレンティナがぼそっと悲しそうに呟く。
話題に上がった"彼女"とは、一週間前に意識を取り戻した花冠に頭を食べられた悲劇の女性のことだ。
彼女は数週間前に行われた戦の舞と同じ日に、恋人に贈られた花冠によって頭部の半分近くに大きな傷を負った。医師による懸命な治癒術でどうにか一命は取り留めたものの、惨劇の痕はくっきりと残ったまま。食べられた頭部を埋めることはできても傷痕についてはどうにもならなかった。
目覚めてから一週間、彼女はずっと病室に閉じこもり、その姿を見た者もほとんどいない。病院では彼女が自らで命を絶つことがないように厳戒態勢を敷いていると聞く。
学園近くで起こった事件の行く末を生徒たちも気に掛けているようだ。
「目も片方失くしているかもしれないんでしょう? 私なら耐えられない」
「どうして彼女がそんな目にあったのかな」
シエラとヴァレンティナはそわそわした様子で事件の話を続ける。
「犯人に進展はないの?」
落ち着きを失いかけた二人とは対照的にイエナが冷静な表情でミリーに訊ねる。彼女の声色は形のない不安感に襲われるシエラとヴァレンティナを宥めるかのように平静だった。起伏のない平坦な声にミリーはゆっくり首を横に振って応える。
「被害者の恋人の学生が捕まったままね。二人は大学で、同じ教授のもとで研究生をしているって聞いたけれど」
「でも彼は犯行を否定してるんでしょ?」
シエラがイエナとミリーの会話に首を乗り出して口を挟む。
「ええ。彼は前区長の花をただ買っただけだと主張してる。あの花畑は前区長が副業として始めたもの。新種の花の珍しさと美しさに惹かれて、特別な人への贈り物として買う人は多いらしいわ」
「買った後で暴れ術をかけたんじゃないの? 恋人同士だから、何か喧嘩でもして恨みがあったって言われても不思議じゃないし」
ヴァレンティナがミリーの話に怪訝な眼差しを向ける。
「そうね。恋人なら動機はいくらでもあると思うわ。ちょうどあの日は二人の記念日だったんだって。それで彼女を驚かせたかったんですって。日頃の感謝を伝えたくて花冠を作っただけで、暴れ術のことなんか知らない。彼の主張はその一点張りみたい」
「とんだサプライズだね」
恐怖心を誤魔化すかのように、ヴァレンティナの唇は薄っすらとした弱弱しい笑みを作る。
「前区長は何か言ってるの?」
イエナが顎を引いて神妙な面持ちでミリーに訊ねた。事件によって関係に亀裂が生じた恋人たちを憐れんでいるようにも見える。
「当然、魔法のことなんて知らないって言っているわ。いつも通り希望者に花を売っただけで、それ以外に何もしていないって。そもそも事件が起きて花の売れ行きもやっと回復してきたところなのに物騒なことは絶対にしないし、実際に花を売った従業員もそんな恐ろしい魔法を使いこなせるはずがないって、関与を強く否定しているらしいの」
「うーん。誰かが嘘をついてるのは確実だよねぇ。彼が花冠を作って恋人に贈ることなんて誰も知りようがないし」
シエラは腕を組んで考え込む。
「やっぱり、恋人が怪しいと思うけどなぁ。花畑と彼女に接点はないんでしょう? なら、恨みがある人なんて花畑の関係者にはいなさそうだし」
「これが普通の事件なら、間違いなく恋人が犯人だと思うけれど」
シエラの見解を聞いたミリーはタンブラーからシナモンラテを口に流し込み、意味深く声を落とす。三人はミリーの発言の続きを待ち、前のめりになった。
「今回に限っては、私は恋人は嘘をついているようには思えない。もしかしたら記憶改竄の術を捕まる前に自分に施したのかもしれないけれど。でも、それにしても小物すぎるもの」
「えっ?」
ヴァレンティナが素っ頓狂な声を出してミリーの意外な言葉に首を傾げた。
「彼は本当のことを言っていて、犯人ではないと思うってこと。前区長の花畑で、前に何が起きたか覚えているでしょう? 今回も一連の事件の一つなのよ。すべては繋がっているの。ディマス・キングのことも、酒屋の店主も、すべてが繋がっているはずなの。大学生の彼がそこまでする理由がないでしょう。恋人が事件に巻き込まれるまで、彼は大学で研究に熱中していた平凡な学生にすぎなかったのだから」
「じゃあ、ミリーは真犯人は別にいると考えているの?」
イエナが目を瞬かせると、ミリーは確信に満ちた表情でこくりと頷いた。
「もちろん。彼もまた、真犯人に利用されただけの被害者にすぎない。ただ、一体いつ花冠に暴れ術がかけられたのか。そこが分からない」
「彼は花を買って冠にして彼女に渡すまでの間ずっと肌身離さず持っていたらしいね。大切な人に花冠を贈るなんて。そこまでだったら、可愛らしくて素敵な話なんだけどなぁ」
ヴァレンティナが瞳をうっとりさせて夢見心地の表情で呟く。
「本当、バッドエンドにもほどがある」
シエラも残念そうに肩を落としてため息をついた。暗い話に四人の気力が少しずつ削られてきたところで、イエナが思い出したように「あ」と目を見開く。
「そうだ。恋人と言えば」
ミリーはワントーン明るくなった彼女の声に顔を向ける。
「ジュールはどこに行ったの? 今年は共同研究者ではないけれど、いつもイベントの時には一番にミリーのところへ来ていたのに。今日はまだ見かけてないね」
「ああ。ジュールは──」
イエナの素朴な疑問にミリーの視線が来賓客で賑わう会場の中央を指し示す。
「今年は魔道具部への協力で時間が取れなくて展示には参加しないから、代わりに来賓客の相手をしているの。ダイルが随分張り切っていて、彼を独占しちゃってて」
「ひっどーい。ダイル、ちょっとは気を遣ってくれてもいいのに。まったく調子に乗っちゃって」
「ふふ。いいの。ジュールも忙しいけれど、充実して楽しそうだから。ダイルも術義局の力になりたいだけ。それはあまり責められないことだし」
ミリーが隣を見れば、ヴァレンティナは来賓客にドリンクを配るジュールを睨みつけていた。唇を尖らせた彼女の不満たっぷりの表情が少し可笑しくてミリーは思わず笑ってしまう。
「確かに、ジュールとは最近あまり会えてない。でも、来賓に振舞うのは絶対ヒューマリードリンクがいいってアドバイスしたら、私の大好きなカフェの店主に提供を依頼してくれたし、まったく構ってくれないってわけでもないの」
ミリーはジュールの背後でドリンクを作っているカフェの店主を見やって頬を綻ばせる。彼女が会場に出張に来てくれたおかげで今日はシナモンラテが飲み放題なのだ。文句などあるわけがない。
「ミリーが納得してるならいいけど」
ヴァレンティナは膨らませた頬を潰して椅子の背もたれに勢いよく背中を預けた。
「ショーケースが終わったらいっぱい構ってもらいな。ミリーにはその権利がある」
「うん。もちろんそのつもり」
ミリーはヴァレンティナの大柄な態度にくすくす笑いながらタンブラーを口に運ぶ。が、シナモンラテの味を楽しむ前に、ミリーの表情は斜めに歪んでいく。
「やっほー、ミリー。すごい研究だね」
そう。目の前に憎たらしい笑みをぶら下げた黒髪女が現れたからだ。
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