第18話

「あ、あれ? 私……なんだか声が」


 いつものブタの声じゃない?

 戸惑いながら王子を見つめる。ちょっと異様に距離が近い。

 急に寒気も感じてきて、ようやく私は自分の身体の変化に気づいた。


「嘘、私戻ってる……!?」


 手も腕も人間のものだ。髪の質感もそのままで、感極まってふたたび涙目になった。


「エルドレッド殿下、私……」

「人間の君の泣き顔も愛らしい」


 褒め言葉としてはどうなのかと思った直後。王子は私の唇にキスをした。


「……っ!?」


 ブタを慰めるためのキスはまあ、少しは理解できる。慈しみの気持ちが溢れて母性? 父性? みたいなものが刺激されたのだろう。そのおかげで私の呪いが解けたのなら最上級のお礼をしたい。

 でもね、人間に戻った私にキスをする理由は一体なあに!?


「ちょ、ま……っ!」


 王子に背中を抱きしめられたままキスをされて動けない。唇が合わさっているだけとはいえ、なんだかいろんなところがムズムズする。

 角度を変えて隙間なく口づけられて、私の涙はとっくに止まっていた。心臓が騒がしくて顔が沸騰しそうなほど熱い。ブタのときのファーストキスは捨ててもいいとは思ったけれど、人間に戻ったときまでは考えていなかった!

 彼の舌先が私の下唇をスッと舐めた。背筋にぞくぞくとした震えが走り、たまらず頭突きを喰らわせる。


「う……ッ!」


 痛い……! 

 うめき声はどちらのものなのか……多分私だわ。王子が石頭だなんて聞いてない。一体ブタ以外の弱点はどこにあるの。


「急に動いたら危ないだろう。ああ、おでこが少し赤いな」

「急にキスされたら反撃くらいしますから! 一体なに考えてるんですか!?」

「なにって、可愛くて衝動的に」

「は?」

「君はブタの姿だけじゃなくて人間のときも愛らしいんだなと」

「……はああ!?」

「涙で濡れた頬にも触れたいんだが。ああ、赤くなった頬は林檎みたいだ。食べちゃいたい」


 微笑みながら言うことではない。

 咄嗟に王子の肩を押し返そうともがく。だが彼の腕の拘束は解けそうにない。


「いい加減放して……」

「離れたら困るのは君の方じゃないか? 俺は別に構わないが」

「はい?」


 彼の視線が下がった。そこでようやく私は自分が全裸で王子に抱きしめられていることに気づいた。


「……っ! ぎゃああ! 見ないでくださいっ」

「それは無理だ。視線が逸らせない」

「堂々と宣言することじゃないですよ!? というか普通紳士なら目を瞑ったまま上着を貸してくれるものでは!」

「上着のボタンを外して君ごとすっぽりというのもいいな」


 ……ダメだわ。なんか変なことを言いだした。

 下手に動くと全部見られてしまう。一体どこまで見られたのかは考えたくないけれど、羞恥心で身体が震えそう。


「うう……もうお嫁に行けない……」


 そもそも一度ブタになった令嬢なんて誰がもらってくれるの。しかもしっかりブタの餌まで完食している。身体はブタでも心まではブタにならないと思っていたのに、目の前に餌があったら食べずにはいられなかった。

 あのまま養豚場で飼われていたら、次第にエリザベスの自我も薄れていたかもしれない。人間だったことを忘れてブタになるなんて恐ろしすぎる。

 人間に戻れてよかったと安堵しても、次から次へと考えることが増えていく。まずはどうやって人としての尊厳を失わずに馬車を下りるかだ。


 めそめそと嘆いていると、王子は私の後頭部をそっと撫でた。


「落ち着いた頃に話そうと思っていたんだが、そんな心配はしなくていい。俺は最後まで責任を取るつもりだ」

「はい? 責任って、私の裸を見た責任ですか」


 あれ、自分で言ってて寒気がしてきた。

 その責任の取り方はひとつしか知らない。


「その責任も追加になるが、昨日ベティが脱走してからどうやってここまで来たと思う?」

「……」


 一瞬で顔が青ざめた。そういえば養豚場でも、業務停止がどうのこうのって言っていたっけ。

 私が脱走したことでどれだけの人間が振り回されたのだろう。そして被害総額はおいくらくらい……?


「ただのペットが逃げただけではここまで人を動かせない。だから俺とクレイグはベティがローズウッド侯爵家の令嬢であることを明かすことにした」

「えっ! 国王陛下にですか?」

「そう。あと宰相閣下にも。ちなみにローズウッド侯爵には保留にしてある」


 家族には知られていなくて安心したけれど、まさか国王陛下も息子が急に連れてきたブタが貴族令嬢とは思うまい。それを知らされた後に養豚場に誘拐された可能性を言われれば無視はできないだろう。寝覚めが悪いにもほどがある。


 でも王都だけならまだしも、隣接している領地にまで領主の了承も得ずに勅命を出すというのはやりすぎだわ。有事の際ならまだしも。畜産業の向上がどうのとかいう理由をつけて立ち入るなら、それこそ事前に計画して領主の許可を得てからになるが……。


「……まさか、エルドレッド殿下?」


 思わず王子を見つめる。私が考えついた理由はひとつしかない。


「そう。ただの貴族令嬢だったらここまで迅速には動けない。でも俺の婚約者なら別だ」

「……っ!!!」

「昨日早馬を飛ばした。ローズウッド侯爵にも婚約の打診が届いている頃だろう。娘に直接確認するとは言うだろうが……君は断らないよね?」


 顎の下に指を添えられて視線を固定された。王子の麗しいご尊顔には今まで見たことがないような笑みが浮かんでいる。

 これ、私に拒否権がないやつじゃない……。


「ブタのベティも人間のエリザベスも、どちらも愛しているから安心して。これからよろしく、婚約者殿」

「ひぇ……っ!」


 額に触れるだけのキスを落とされた。


「あい……愛っ!?」


 そんな告白をされたことなど一度もない。

 私の頭は容量を超えて真っ白になり……なにかがはじけ飛ぶようにポン! と音がした。


「……ぶひ!?(また!?)」

「なんだ、一時的に解けただけだったのか。でもまあ、ちょうどよかった。もうしばらくそのままでいてもらおうか」


 ブタの代わりに全裸の侯爵令嬢を連れてきたとなれば大問題である。今は一時的にブタに戻れた方がよかったけれど、今後のことを考えると頭が痛い。


「はあ、一日ぶりのベティの香り……」

「ぶぶぅ!(怖い!)」

 

 王子の頭のネジはどこかに落としたままらしい。


 それにしても、呪いをかけられてブタになったら王子に飼われて婚約者にって、どういうことなの……。


 私は王子にお腹を吸われたままプルプル震えることしかできなかった。

 もう少し穏やかな人生を送りたい。切実に。


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