第39話 居場所

 ミーシャが出発してから程なくして、中国の内陸部で大規模な地震があったとニュースが伝えた。被害規模は不明だが、土砂崩れや建物の崩落があり、かなりの人的被害が予想されるとのことだった。


 「健吾さんの出張は沿岸部だったっけ。巻き込まれなくてよかったね」


 僕がテレビに釘付けになっているのを見て、慰めるように慎之介が言った。慎之介に何と答えたかは覚えていないが、自室に戻るとベッドに横になった。ミーシャの言っていたことは本当だった。決して疑っていたわけではないが、どこかで何かの表現のあやだと思っていた、いや、思おうとしていた。500人を天に召すのが叙聖式なんて恐ろしすぎる。そんな犠牲のもとに天使の権力構造が成り立っているのかと思うとぞっとした。

 僕はたまらなくなって、誰かと話したかった。ピーターがいたらよかったのに。トマスがいてくれたら。アガタでもニコライでも、誰か一人でもここにいてくれたらよかったのに。普段我々と普通に暮らしているミーシャが、淡々とそんな恐ろしいことに関わっているなんてどう受け入れていいのか分からなかった。


 「史郎さん、大丈夫?」

 ドアのノックと共に慎之介の心配そうな声が聞こえた。僕はちょと疲れたので横になる、と告げて心配はいらないと言うと、何かあったら言ってね、と言葉を残して彼もまた自室に戻って行った。


 ※※※


 「そういうことは大なり小なりどこもあるものよ」


 僕は結局S寺の庸子のもとを訪ねた。彼女もまた僕と同じように天と地の間にいる視える人間だ。きっと彼女の所属する団体にも同じようなことことがあるのではないかと思い、どう受け入れたのか、話を聞きたいと思った。


 「諫谷君のところはわからないけど、私達だって昔から噴火だの鉄砲水だのやってるわ。それが喜ばしいとは思わないけど、必要であれば、仕方ないと思ってる。だって、上の計画なんて変えられないしそもそも理解だって出来ないものだから」


 お茶をすすりながら庸子の話しに耳を傾ける。彼女の声には特に感情が乗っている感じもなく、淡々としていた。


 「僕はショックだったんだ。普通に一緒に生活しているのに、顔色一つ変えずそんなことしてるなんて」


 「そりゃあ、あの天使だってルーキーじゃないし、何ならかなり高位にいるようだから、場数も踏んでればいちいち何か考えこむとかいう時期は過ぎたんじゃない?」


 「あいつも悩んだ時期があったんだろうか」

 澄ました顔、不機嫌な顔、うんざりした顔、つまらなさそうな顔、眠そうな顔、こちらの様子を伺う顔、バツの悪そうな顔、いたたまれない顔、色んな顔を見たが、最近は憂鬱な顔がそのバリエーションに加わった。


 「あいつは最近不幸なのかも」


 思わず呟くと、庸子は苦笑しながら、


 「どうかしら。あーちゃんの聞いた話しでは、おたくの上司は意気軒高らしいわよ。ここのところ遠ざかっていた出世レースに舞い戻ってきたらしいし」

 「殺して殺して殺しまくってるってこと?」

 「実際は知らないけど、でもそういうことをしてるんじゃない?意外と野心家だったのね。世事には興味ありませんみたいな顔していたけど」

 僕は驚愕のあまり言葉を失った。あいつはそんなことを考えていたのか。毎日のように一緒にいてまったく気づかなかった。

 

 黙り込んでしまった僕の肩を叩き、

 「あんまり重く考えないことよ、彼は彼の仕事をしているんだから。仕事で彼の人格を否定するのは酷だと思う」


 そしてミーシャは1週間経っても帰ってこなかった。


 

***


 ミーシャが帰ってこないと心配する慎之介に、次の出張ができたようだと伝え彼を宥めていたが、やがて慎之介は僕にミーシャのことを尋ねなくなった。

 最初は何か彼の身に起こったのではないかと心配したが、考えてみれば彼は怪我などすることもないだろうし、何かあれば連絡をとることは可能なはずだと思うと今度は怒りがこみ上げた。子供を心配させて、心配かけないために僕は嘘をつくことになったのは、はなはだ不本意だったし、この家に住むメンバーとして僕や慎之介が心配していることだって想像つくはずなのに、何の連絡もせずに僕たちに心配をかけていることも許せなかった。別に帰ってこいとは言わないが、帰らないなら帰らないと一言いうのが筋だろう。ひとしきり怒りを反芻したら、今度は寂しさに囚われた。だが、これについては、いつもあるものがないことへの違和感に過ぎず、これがお気に入りの枕が消えたとしても同じように思っただろう。後味は悪かったが、この寂しさもやがて息を潜め、僕と慎之介の二人暮らしにそろそろ慣れようかという頃、ミーシャはひょっこり帰ってきた。


 週末の午後、それこそ慎之介と昨日の残り物で簡単な昼食を終えて二人でお茶を飲んでいるところに、突然リビングに現れたものだから、僕も慎之介も呆然としてリアクションがとれなかった。

 「ただいま?」

何故か疑問形の挨拶に、最初に反応したのは慎之介だった。


 「健吾さん!なんでこんなに遅かったの?どこ行ってたの?心配したよ!」

 するとミーシャは、すこし困ったような顔をして、

 「すまない、案件がでてきてそのままいくつか出張にでてたんだ。気づいたら3カ月も経ってた」

 慎之介は呆れたように、

 「だったらちゃんと史郎さんに連絡しなよ、史郎さん心配しすぎて5キロも痩せて5キロ太ったんだぞ」

 慎之介は実は結構適当なところもあることに最近気が付いた。

 「慎之介、笑いをとりにいかなくていいから、質問責めはやめなさい。」

 そして僕はミーシャを見ると、

 「ミーシャ、おかえり。疲れてるだろう?昼ご飯は食べるか?」

 自分の声が思いの外落ち着いていてホッとした。『殺戮』の叙聖式の話しを庸子としてから良くも悪くも時間が経っていたので、すでに動揺は収まっていた。


 と、思ったのだが。


 部屋で二人っきりになった瞬間、僕のスイッチが入ってしまった。


 ミーシャの胸倉を掴むと壁に押し付け、極力声を抑えて尋ねた。


 「あんた、どういうつもりだ?」

 ミーシャは僕の気迫に圧倒されたのか、ただ息を呑んだ。


 「何の連絡もよこさずに、俺たちが何とも思わないと思ったのか?すまないなんて言葉じゃ済まないんだよ。説明しろ」


 「イザヤ、お前もしかしてとっても怒っているか?」

 「これが楽しそうに見えるか?だとしたらあんたは今すぐ眼科に行ったほうがいい。そのきれいな眼を新品と交換してもらえ」

 

 すると、ミーシャは僕の手を掴むとそっと下ろし、僕の目を覗き込んだ。僕は目をそらさずミーシャの瞳を見つめ返した。


 「あんた、この3ヶ月どこにいたんだ」

 「…ウラジオストックの家に戻っていた」


 それは不意打ちだった。最初ミーシャがこちらで過ごすようになった時に一瞬過ったことだったが、あまりにも何もないのですっかり忘れていた。こう見えてこの男はもともとウラジオストックに住んでいるロシア人だ。家どころじゃない、もしかしたら家庭だってあっちでの生活だってあるかもしれなかった。

 

 僕は急に我に返って自分の取り乱しようが無性に恥しくなり、ミーシャから視線を外して一歩下がった。

 

 「だったらそう連絡をよこせばいいんだ」

 心臓が早鐘のように聞こえる。

 「あんたがここにいようといまいとどっちでもいい。あっちで待っている人がいるなら、とっとと帰るべきだ。寂しい思いをさせるな」


 それだけ言うと、僕は部屋を出ようとした。だがミーシャがすかさず僕の腕を掴み、真面目な声で言った。


 「針、何本だったかな、飲むやつ?」

 

 「何の話しだ?」


 「昔、妹と約束したときに歌ったのを思い出した…」


 思わぬ話題の転換に思わず振り返った。


 「それなら針は千本だ」

 「そんなに針持っている人はいるんだろうか?」

 「は?」

 呆気にとられる僕の顎を掴むと、

 「史郎、針、何本飲める?」

 僕は言葉が喉に詰まったように無言でミーシャを見上げた。

 ミーシャが何故か怒っているようだった。怒っているのはこちらのはずだったが、何かが彼の癇に障ってらしい。

 「お前が今、嘘をついたから針を呑むかと聞いている」


 「うちに裁縫箱はない。そもそも飲んだら死ぬし」

 「ということは、皆命がけで嘘をついていたのか、日本人は」

 「そんなわけないだろ、だったら日本人はとっくに絶滅してるわ」

 思わずいつものようにツッコむと、それもそうだ、とミーシャもいつものように少し笑った。張りつめていた空気が一気に緩むのを感じた。


 「…疲れた」

 ミーシャは呟くと、僕から手を放しベッドに倒れ込んだ。そして、隣のスペース、僕がいつも寝ている場所を無言でポンポンと叩く。

 僕は言われるがまま、ミーシャの隣に横になり、うつ伏せるミーシャの横で天井を見上げる。

 「悪かった。お前に寂しい思いをさせてしまって悪かったと思っている」

 枕越しではあったが、彼は謝罪の言葉を口にした。僕は寂しいなんて、と否定しかけて言葉を飲み込んだ。彼はこちらの頭の中を覗いたのだ。自分で自覚がなかったとしても、きっとそうなのだろう。

 「お前達が待ってくれているのに、何も連絡せず悪かった」

 その話しを聞きながら、先ほどミーシャに向かって放った言葉はすべて自分の気持ちだったことに気づき、思わずミーシャに背を向けた。

 ミーシャは腕を伸ばすと僕を背後から抱きしめ、首筋に鼻先を埋めた。


 「やっぱりこれがいい」

 僕は思わずミーシャの脚を蹴った。

 「他と比較すんなよ、僕はあんたのキラキラした遊び相手達とは違うまっとうな一般市民だ。僕と慎之介の平穏な生活を乱してみろ、僕はあんたを絶対に許さない、っていうか、そんなことするならここから追い出してやる」

 僕が身体を離そうともがくと、今度はミーシャは軽々と僕の体をひっくり返して馬乗りになり、僕を見下ろした。どけようとすると、腕をベッドに縫い留められた。

 「つまり、他の者と交わるなということか?なぜそれがお前達の平穏な生活を乱すんだ?」

 真剣な顔をしてこちらを見るミーシャに、頭の中で警報が鳴ってる。

 「どけよ、疲れてるなら昼寝しろ。夕飯には起こしてやるから」

 「答えになってない」

 「うるさい!自分で考えろ!」

 「いや、考えるのはお前だ。それとも私がお前の頭の中をまた覗こうか?」

 そう言われて僕はとっさに目を固く閉じた。すると次の瞬間、唇に柔らかいものが一瞬触れ、そして唇に吐息がかかる距離でミーシャは囁いた。


 「お前はちょろすぎる、それとも誘っているのか」


 僕は何が起きたか理解した瞬間、悔しくて涙が出てきた。こいつの前で涙がでたことも悔しくて、余計に止まらなくなった。ミーシャは慌てて涙をぬぐおうとしたが、腹が立ったのでその手をはたいてやった。

 

 「調子に乗るな。いくらあんたが大天使だろうがモテモテのイケメンだろうが、人を傷つけていい理由なんてないんだ。あんた、人に嫌われたことないんだろ?僕が嫌いになってやる。あんたなんて大嫌いだ!僕の視界から消えろ!失せろよ!」


 泣きながらいうものだから声が上ずってしまい、半ば喚くように言った。するとミーシャはおもむろに僕を抱きしめた。


 「…何してんの?」

 展開の意味が全く分からずに素で聞くと、

 「こうすればお前の視界に入らないだろう?」

 そう言って僕を抱きしめる腕に力を込めた。

 「ようやくここに帰ってきたんだ。俺はお前を離さないぞ」

 「前にも行ったけど、急に俺ってやめな?怖いよ?」

 「…話しを逸らすな」

 ミーシャは僕の首元に顔を埋めながら抗議した。


 「やっと居場所を見つけたんだ。だからどうかそれを俺から取り上げないでくれ」


 普段とは違う心もとなげな響きに、僕はミーシャの背中に手をまわした。


 「あんた、あっちの家は?」

 「もう引き払った。本部とも話をつけてもう俺の拠点は函館だ」

 「家族は?」

 「そんなものはいない。手伝いに来てもらっていた隣人に別れを告げておしまいだ」

 「でも、生まれも育ちもあっちなんだろ?故郷とか恋しくないのか?」

 「故郷には誰もいないし、懐かしむ風景ももはや残っていない。それに俺の帰るところはここがいい。お前たちがいるここがいいんだ」

 そう言って僕の背中にあった彼の手はすがるように僕のシャツを掴んだ。

 

 あと数年もすれば慎之介は高校を卒業してここをでていくかもしれないのに。今のこの形はもってあと数年なのに故郷を引き払ってまでここにいたいなんて言われたら、僕は何も言えなくなってしまった。


 「史郎、何か言ってくれ」

 

不安そうなまなざしで腕の中から見上げられた。

これは反則だ。何だこの全部を備えてしまった生き物は。頭の中を覗かれないように、僕はミーシャの後頭部に手をやると自分の胸に押し付けた。あぶなかった。こいつに一瞬でもときめいたとかなんてバレたら一生ネタにされかねない。


 「あんたはバカだな。僕たちはここ以外に行き場所はないし、ここはそもそもあんたの管理下だ。あんたが来たければくればいいし、来たくなければどっかに行けばいいだけの話しだ。そうだろう?」


 そう言って今度は彼の顔を覗き込み、その涙で濡れた瞳を見つめた。


 「いいか、よく聞けよ。あんたなんて、大っ嫌いだ。何なら今のところ世界で一番嫌いだ。」

 

 そして再び抱きしめると、


 「だから、ずっとこうして僕の視界に入らなければいい」

 そう言って力を込めた。自分でもわかるくらい心臓がドキドキしている。


 「…お前は俺の知っている中で一番の嘘つきだ、しかも一番ヘタクソだ」

 

 胸のあたりからくぐもった声が聞こえたので、ああ、何だって一番は光栄だよ、と返した。泣きながら笑ったミーシャに、僕は少しホッとして、落ち着くまで背中をさすってやった。やがてミーシャは静かに寝息を立て始めた。




 

 


 


 

 


 

 


 



 

 

 


 


 

 


 


 

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