第26話 再会
イザヤ、と声がしたので振り返ると急に辺りが明るくなり、突然の光に目が開けられなかった。だが、徐々に目が慣れ、うっすらと目を開くと、そこには小夜子と少し前に会った外国人の男が立っていた。小夜子が小柄なせいか、やけにその男が長身に見えた。だが近づくと本当に長身で、180㎝ない僕は彼を見上げる形になった。
僕の視線に気付いた小夜子は、
「大丈夫です。彼は私の守護天使です。昔から私を見守ってくれています。」
すると、その男は、
「あの使徒は何をしているんだ。こうも簡単にお前を取られるなんて」
「すいません、僕がその人から視線を外してしまったのがいけなかったんです。」
「お前の失敗は守護の失敗になる。分かっているのか?」
何の話だろう。僕の怪訝な顔を見てその男はわざとらしくため息をつき、
「しっかりしているのかそうじゃないのか、とんと掴めない」
すると小夜子は、あら、と言いながら男の方をみて、
「おきぬはしっかりしていますとも」
あなただって知っているでしょう?と続けると、男は何か言いかけたが口をつぐんでしまった。
「えっと、助けて頂いたってことですよね?ありがとうございます。お名前は…」
「ニコライよ。」
小夜子が答えた。
「昔、函館に来たの。私がまだ小夜子だった頃にね。」
そう言ってニッコリ小夜子は微笑んだ。ニコライと呼ばれた男は不機嫌そうに明後日の方向を見ていた。
***
アガタは病室の床に倒れているイザヤを見下ろし、首を傾げた。何かがおかしい。規定どおり写真師が魂を取り込んでいる時には聖域、いわゆる結界を作っていた。こう言っては何だが、今まで聖域を破られたことはない。
窓の外を見ると、大きなキンモクセイの木が見える。紙垂は見えるところに巻かれていなかったが、固い結界が張られているのが見えている。つまりちゃんと管理されたものだから、悪さをするようなことは考えにくかった。
とすると、内側から破られたか、別の聖域に入ってしまったかだろう。だが、アガタの作り出す聖域はせいぜい半径5メートルだ。この病室なんて3メートルもない小さい聖域だった。聖域内にいたのは、小夜子とイザヤ、この二人が内側から聖域を破ることはない。とすると、この聖域の外にもう一つの強力な聖域がある可能性が高い。アガタは使徒の中でも上位にいるし、職位では管理者になる上級守護候補のリストにもいる。そんなアガタの聖域を飲みこむ聖域を張れるのは、さらに上位の存在しかいない。白く大きな翼をもった天使だ。この教区を管理している天使はだれだっただろう。普段は教区長が天使との窓口になっているのでアガタ自身直接のやり取りはしたことがなかったし、気にしたこともなかった。
ただ、ピーターから話を聞く限り、彼女達を使徒と呼んでこき使う彼らが好きではなかった。彼らは情緒を理解しないので、話しが通じないのだ。人間が人間らしいのは、情緒の揺らぎがあるからで、それをそぎ落とした合理的かつ論理的な思考が行動指針である彼らは、時に残酷で苛烈だ。もちろんそうでもない、もっと穏やかな天使もいるようだが、それは少数派だ。
さて、この聖域を解いたら、どんな天使がいるのか。一体なんの目的があってここにきたのか。手続きは何ら問題ないはずだ。上役である天使とことを構えることはないが、普段自分達の活動に姿を現さない彼らなのだ。今、ここに来ているということはやはり何かがあるのだろう。ポケットの内の懐中時計を握りしめた。
できることは何もない。ただ、一刻も早くイザヤを戻さないと、身体に戻れなくなってしまう。小夜子の魂だってどうなるかわからない。
心を決めると、アガタは聖書の一文を詠唱し空に十字を切った。すると周囲は溶け落ち、急に明るく光りの満ちた広い空間が現れ、そこにはイザヤと小夜子、そしてよく知った男が立っていた。
「…コーリャ?」
今日はやたら懐かしい再会が続く。
昔から人ではないと思っていたが、まさか天使だったとは思わなかった、いや連想はしたことはあったが。その亜麻色の髪もハシバミ色に緑が混じる美しい瞳も昔のままに、男はアガタを懐かしそうに見つめた。
その瞳にアガタはまたあの吸い込まれそうな感覚を覚えて、慌てて視線を逸らした。
「ニコライ・ミハイロヴィッチ、何故あなたがここに?」
あの頃のニコライと違い目の前の男は堂々として、むしろ尊大と言ってもいいほどで、とても友軍という雰囲気ではなかった。同時に目の端で小夜子もイザヤの様子を探っても特に危害を受けた様子はなかったことに安堵する。
「おきぬが使徒だったなんて想像もしなかった」
道理で見つからないわけだ、と呟いた。
「私を探していたんですか?私から逃げたのに?」
「逃げていない」
ニコライは何か言いかけて、飲み込むと咳払いをして、
「子供は?」
「自分の子供が死んだことすら忘れましたか?作之介は死にましたよ」
「だからもう一人の子供がいただろう?もう一人の作之介が」
アガタは絶句した。この男は今何と言った?
「何故あなたがトマスの事を知っているんですか?」
「あの日、あの男娼をピーターが拾うように仕向けたのは私だ」
あの汚い私娼窟から逃れられたんだから、丁度よかったとまるで雨が上がって丁度よかったぐらいの軽さで言ってのけた。
祐之進が作之介を運び込んだ日のことを思い出す。ボロ雑巾のようだった幼い作之介は、抱き上げれば恐ろしく軽く、握ったこちらの手を握り返すこともできず、体中折檻やそうでない傷やあざだらけでひどく痛々しかった。
これだから連中が嫌なのだ。
おそらくその差配は正しかったのだろう。トマスは惨めな生活から抜け出すことができ、失意の底にいた自分はトマスのいる生活を守るた為に必死に生きた。
だが、私の心は?私の心はあの時から何も感じなくなってしまったのに。唯一感じるとすれば目の前の男に対する激しい怒りだろうか。ただ、それさえも怪しい。あまりにも時間が経ち過ぎた。現に、私はこの男との再会に驚きこそすれ、恨みの言葉はでてこなかった。ただ、胸が痛むことが私には未だあることに驚き、そして、その原因がやはりこの男であることに、未だに彼が自分の中のくびきであることに諦めにも似た気持ちと僅かな安堵が私を包んだ。
「…あなたって人は」
ため息と共にでてきた言葉がこれだった。
イザヤも小夜子もぽかんとしている。ただニコライだけが悲しそうに目を伏せた。
「私を探してどうするつもりだったんですか?」
黙り込んだニコライに助け舟を出すように、
「おきぬ、そんなに彼を責めないで。彼はね、この後地獄行きなの。だって」
彼はあなたの為に人を殺しているのですから、と小夜子は事もなげに言い放った。
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