儚く散る桜が与えた名

Assuly

儚く散る桜が与えた名

朝起きてベットから体を起こす母を見て、

「お母さんおはよう。」

いつもと変わらない一日が始まる。

私は櫻田ひとは。私は母の影響で”桜”という存在が好きだ。母は私が生まれた時から重病を患っており、病院という名の檻から出たことはほとんどないそうだ。起きてベットの上で暇を潰すの繰り返し、”生きる”とは何か見失う毎日を過ごしている。そんな中、母の唯一の楽しみが桜を見ることだ。

私が八歳の時、両親が花見に連れて行ってくれたことがある。それは今でも鮮明に覚えている。周りを見渡すと満開に咲く桃色の花、

「これは日本の伝統的な花の桜だよ。」

そう母が言ってくれた。

それから私は”桜”という存在から母同様離れられなくなっていた。

ある日の夜、母はやけに上機嫌だった。

「お母さんどうしたの?何かいいことでもあった?」

「ひとは、ニュース見てないの?明日から桜が咲き始めるのよ。」

「そうなの!楽しみだね!」

私は母につられて上機嫌になる。

「今日は早く寝て明日に備えなくちゃね。」

そう言って私は母に”おやすみ”を伝えて家に帰る。

「お母さんおはよう。」

「ひとはおはよう。ねぇねぇ、外見た?桜咲き始めたね。」

と朝にしては少し高いテンションで私に話す。

「ね、少しづつだけど咲いてるね。」

私は母のテンションに合わる。

「一週間もすれば満開になりそうね。その時は外に出てもいいかしら?」

「それはお医者さんい聞かないとね。」

「そうね。」

母は不服そうにしつつも納得する。

そして時は流れ一週間後の朝となる。


「はい、お母さん乗って。」

母が起きて身支度が終わる時間を見越して車椅子を持って母の病室へ行く。お医者さんからは、「今生きているのが奇跡と言っても過言ではない」と言われ、残りの時間は好きにさせても良いと言われた。

「ありがとねひとは。」

私は母の車椅子を押して外へ出る。外は少し木が揺れるほどの冷たい風が吹く。

「はい、お母さん」

私は家から持ってきたグレーの毛布を母にかける。

私は車椅子を桜の木の根元まで押す。

「桜の木ってこんなに高かったのね。久しぶりで忘れちゃったわ。」

母は久しぶりの光景に涙が溢れる。見上げても一番上が見えないくらい高い桜の木、風に吹かれて揺れる木の枝、そして風の流れに沿って散りゆく桜。その花びらを追っている母の目が少しづつ細くなっているのが分かる。

私が少し心配になっていると、

「ひとは、なんで私たちがここに家を建てたか知ってる?」

私は突然の問いに戸惑う。

「この街が花見の名所って言われてるから?」

「うーん、少し違うかな。答えはお母さんが一番好きな桜の種類の名地だからだよ。」

「そうなんだ。この桜ってなんて言う名前なの?」

私が聞くと、その返事は返ってこなかった。母は大好きな桜の木の下でその生涯を閉じた。

母が亡くなった翌日、私は母が残した”母の一番好きな桜の種類”と言う謎を思い出す。母が亡くなった悲しみで忘れていたが、その謎を思い出すと気になって仕方なくすぐに調べ始める。するとある一つの桜の名前が出てくる。

『一葉イチヨウ』

私はその文字を見た瞬間涙が止まらなくなる。

「お母さん、お母さん、お母さん」

母が私のことをどう思っていたのか分かる気がする。母の一番好きな存在の『イチヨウ』という桜、それは私の名前『ひとは』と重なり、何よりも大切で守りたい対象だったと感じる。

母が亡くなった二日後葬式が行われた。そこで私は唯一の遺族としてお別れの言葉を話すこととなった。そこで母に、私の名前を桜の名前と重ねたことに気付いたという報告などをした。

葬式が終わり家に帰るとポストに封筒があった。手にとって見てみると送り主は母で受け取り人は私だった。

封筒を開け中の手紙を読む。

「ひとはへ

この手紙を読んでいる時には私は帰らぬ人になっていると思います。

話したいことはたくさんあるけどどうしても話したいことがあります。

それはひとはの名前の由来についてです。

もしかしたらもう気付いてるかもしれないですが、あなたの名前の由来はイチヨウという桜の名前からきています。

そしてもう一つあります。

それは強く生きてほしいということです。

両親を亡くしたことで心に大きな傷を負うかと思います。

でも植物の葉のように強く何度も立ち直ってほしいです。

最後に、ひとは、生まれてきてくれてありがとう。

今まで大したことをできずにごめんね。

これからのひとはの人生に花がありますように。

母、一花より」

涙で文字が滲みながら読み終わった時には様々な感情で胸がいっぱいだった。

母が自分のことを大切に思ってくれていたことに対する嬉しさ、母が亡くなったことに対する寂しさ。でも一番感じたのは感謝だった。

「お母さんの子に生まれてきて良かったよ。お母さん、本当にありがとうございました。」


母が亡くなって数年が経った。今私は会社員を辞めて、桜を撮る写真家として生きている。母が見たかった景色をカメラのフィルムに収めることで、母に対する供養の一つになると思っている。

母が亡くなったあの日、私の人生は今までとは全く違うものとなった。母の残した手紙と母が名付けた”ひとは”という名前の意味。それが私の心に一生宿り続けて、私を支えながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

儚く散る桜が与えた名 Assuly @Assuly

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画