第25話「違和感:光」

「それにしても、旅を始めてすぐに病気なんて、気の毒ね。頑張りすぎちゃったのかしら」


「…… そうなる前に、休ませるべきだった。そうできなかった僕の落ち度だ」


「ま、気に病む程のことでもないとは思うけど、常日頃から乙女を労わろうとする気持ちを、忘れちゃ駄目よ。もちろん、アタシ相手でもね」


「お前とか例外中の例外だろうが」


「あらやだ。傷ついちゃうわ」


 わざとらしく胸を押さえるフィーマ。彼のおかげで、暗くなりかけた雰囲気がなんとか持ち直された。狙ってかどうかは、本人のみぞ知るところだが。


「ところで、ぼっちゃんは花火作りの進捗を確認しに来てくださったんですよね?」


「ええ。お父様はあなたの花火を大層お気に召してるみたいだからね。様子を見てこいってお達しが来たのよ」


「ありがたいことです。それなら先日、指定の場所に納品しやしたよ」


「そう。当日も頼んだわよ」


「合点承知!」


 ルカが満面の笑みで敬礼をする。礼儀正しくというよりは、茶化すように。それからすぐに、作業へと戻った。


「ルカさん。色々と拝見してもよろしいですか?」


「構いやせんよ。薬品とか、危なそうな物には触れないでくださいね」


 ルカは顔を動かさずに返事をする。


「わかりました。ありがとうございます」


 クロの方に視線を向けると、彼と目が合った。それを確認してから、ハクは短く頷く。

 今のうちに違和感の正体を探れと、目だけで伝えたのだ。幸い、何度も繰り返すことなくその思考は届いたらしい。


「じゃあ俺は研究資料でも見せてもらお!」


「それならこっちね」


 立ち上がったクロを、何故かフィーマが案内し始めた。案内、と言っても、この部屋はそこまで広くないが。

 部屋の片隅に重ねられた書類へと近づく二人を横目に、ハクも動き出す。散らかった部屋の中を物珍しそうに見るふりをしながら、全神経を集中させた。魔力の流れに異変がないか、感じ取るためだ。

 だが、どれだけ探しても、違和感の原因らしきものは見当たらない。まるで、悪い空気が部屋全体に滞留しているかのようだった。


「『世界から魔力が枯渇する可能性について』?」


 意識の外からでも聞こえてきた、クロの声。恐らくは、資料の題名でも読み上げたのだろう。


「魔法のない世界……?」


 続く言葉を耳にして、ハクは手を止めた。

 自身の帰るべき場所かもしれないその世界のことを、聞き逃すわけにはいかないからだ。


「ああ、懐かしいですね」


 クロの独り言を聞いたらしいルカが口を挟むが、その意識のほとんどは薬作りに向けられているようだった。


「魔法のない世界…… 資料には『異界』って記されてやすかね。異界の考察については好評だったんですが、魔力が枯渇するなんてあり得ないって批判を食らっちまいやして」


 考察、ということは、異界とやらの存在を観測できたわけではないのだろう。まして、移動する術など記されてはいないはずだ。

 資料を実際に確認せずともわかる。肩透かしを食った気分になったが、それでも念のため、ハクは耳を傾け続けた。


「備えとくに越したことはないと思うけどなあ。その批判をした人たち、魔法に頼りきりすぎません?」


「魔法に頼りきりというよりかは、魔法の研究に果てがなさすぎて、それ以外の研究が疎かになってるんですよ。電気一つ取っても、磁界やら磁力やらがうんぬんかんぬんというのはわかっているんですが、じゃあそれをどうすれば活用できるか、というところまで行き着かないんです。そんなのを研究するより、魔法の可能性を広げるための研究をした方が有意義だと判断する人間が多数派で」


「まあ、一理ある…… のか?」


「かくいうあっしも、報酬が振るわないんで積極的に研究することはなくなってしまいやしたがね。気が向いたときに進めることがありやすよ。ただ、いかんせん出費がかさむんでね……」


「国から援助できないのか?」


 クロがフィーマの方に視線を向ける。


「成果が出るかもわからないものを援助する余裕があるなら、他に金を回せってのが民衆の総意でしょうね。王様ってのも、好き勝手に動けるものじゃないのよ」


 壁に背中を預けながら、フィーマが質問に答えた。


「ふーん。色々と大変なんだな」


 言いながら、クロが資料を閉じる。違和感の正体を掴めるような情報もまた、記されていなかったのだろう。


「それにしても、魔法のない世界ねえ……」


 クロの呟き。

 物色に戻ろうとしたハクだったが、続く言葉によってまたしても引き留められた。


「つまんねえだろうな」


 その言葉は、なんの気なしに放たれたものだろう。だが、ハクにはそれが、やけに感情の込められたものにも聞こえた。


「ほう。それはまた何故?」


 食いついたのは、ルカだ。手を止めてクロの方に顔を向ける程、彼も今の一言に興味を引かれたらしい。


「いや、今まで魔法でできたことが、その世界ではできないって考えると、つまんないかなあって」


「まあ、一概に全部そうとは言えやせんが、資料にあるとおり、転移魔法陣なんかはどうやっても再現不可能でしょうからねえ。利便性が失われるのは間違いないですね」


「…… あんたは手を動かしなさい!」


「おわわっ!? ちょっ、危ないですってぼっちゃん!」


 饒舌に語り始めたルカの尻に、フィーマが思い切り蹴りを浴びせる。その衝撃で、容器に入った液体がこぼれかけた。


「何もないところから火を出したり、水を出したり。そういうのも絶対できなくなるだろうから…… やっぱりつまんないだろうな」


 利便性が落ちるという点よりも、退屈になるだろうという懸念の方がクロにとっては大きいようだ。


(やっぱり、僕らの元いた世界には、魔法がなかったと見ていいのかな……)


 大きな手掛かりを得たわけではない。先程のクロの反応から、主観的にそう感じられただけだ。

 そのため、慎重に、早合点することなく、ハクは思考を続けていった。


「ハク?」


「えっ?」


 肩を叩かれたことで、ハクは我に返る。

 すぐ横には、クロの顔があった。どうやら、なんらかの問いかけを聞き逃してしまっていたようだ。


「ああ、ごめん。なんだい?」


「いや、大したことじゃないけど。ハクはどう思うかなって。魔法のない世界」


「うーん…… 突拍子もなさすぎて、よくわからないかな」


「そっか」


 深く聞くことなく、クロが資料探しに戻っていく。

 今言えることはない。ひとまずは、違和感の原因究明に尽力しなくては────そう気を引き締めて動き続けること、およそ十分。

 他にも様々な研究をしていることがわかったが、怪しいと思えるようなものはなく、ルカという人物は見た目とは裏腹に真面目なのだという情報しか得られなかった。


「できやした!」


 ルカのその一言に、他の三人が一斉に視線を向ける。

 彼の手には、小瓶が握られていた。その中には、少し濁った水のような液体が入っている。


「…… 飲み薬ですよね。それ」


「色々混ぜてるんで、多少見た目が良くないのはしょうがないです。ですが、安心安全、効果覿面の優れ物ですよ!」


「騙されたと思って使ってみなさい。アタシが保障してあげるわ」


 フィーマの太鼓判がついた一品。王子のお墨付きともあらば信頼度は増すのだろうが、疑念を抱くかのようなクロの表情に変化はなかった。以前、碌でもない王子に遭遇してしまっているためだろう。


「それで、そのぉ、代金の方は……」


「もちろんです。こちらを」


 ハクは代金を手渡す。


「毎度あり!」


 丁寧に数えた後、ルカが満面の笑みでそう言った。そしてすぐ、小瓶をハクへと手渡す。


「では、僕たちはこれで」


 クロはどうかわからないが、少なくともハクはなんの手掛かりも掴めていない。ただ、用が済んだというのにもかかわらず長居すると怪しまれる恐れがあったため、足早にこの場を去ることにした。


「ええ。今後ともご贔屓に」


「アタシもお暇するわね。長居しすぎちゃった」


「またいつでも来てくださいね」


「ええ。ありがとね」


「ありがとうございました」


「みなさんお元気で!」


 三人揃って部屋を出る。それからすぐに、フィーマは二人とは反対の方向へ去っていってしまった。

 二人もまた、帰るべき方向へと歩き出す。


「薬は買えたけど、結局、違和感の原因はわからなかったな」


 そうクロが話し始めたのは、歩き出してしばらく経ってからのことだった。外はもう真っ暗で、月明かりが街を優しく照らしている。


「うん…… ただの思い過ごしならいいんだけど」


 二人が同じことを感じている時点で、その可能性はほとんどない。それでも、手掛かりを掴めなかった以上、何も起こらないことを祈るしかないだろう。


「なあ。薬見てもいいか?」


「うん。落とさないでね」


「わかってる」


 小瓶を受け取ったクロが、その場で立ち止まる。数秒程眺めた後、彼は蓋を開け、傾けて何滴かを口内に含んだ。


「クロ!?」


 予想外の行動を受け、ハクは驚きの声を上げるとともに立ち止まる。


「口つけてねえからいいだろ」


「いや、そうじゃなくて……」


「大方、自分で先に飲んで安全かどうか確かめようと思ってたんだろ?」


「それは……」


 図星を突かれ、ハクは言い淀んだ。

 安全性の信頼ができない代物を、仲間に薦めるわけにはいかない。そのため、二人のいない所で試飲するつもりだったが、先を越されてしまった。


「ハクにもしものことがあったらどうすんだよ。旅の目的を果たせなくなっちゃうぜ?」


「でも、そしたらクロが……」


「俺がくたばっても、世界はなんら変わりねえだろ。危険なことは俺に任せておけって」


 クロは自分の胸を叩いて、笑顔を作る。

 自虐的なその言葉に、返事などできない。


「今んとこ変な感じはねえな。宿に戻っても平気そうなら、フランに飲ませてやろうぜ」


「…… そうだね」


 クロも、大事な仲間の一人だ。危険に晒したくはない。彼自身の意志だとしても、そのような行動は控えさせたかった。

 だが、言葉にできない。自分と同じことを考えて取った行動なのだろうと、わかっていたためだ。

 歩き始めた彼の後ろに、ハクは何も言えないまま続いた。


「そういえば、さっきなんか考え事してたみたいだけど、あれなんだったんだ?」


「…… 考えが纏まってから話すよ」


 少し間を空けてから、そう返す。

 クロの記憶を刺激するわけにはいかないからだ。

 まだ、『今』の精神の安定を確認できていない。明確な基準を用意することはできないが、どれ程早くとも、証集めの旅が終わるまでは待つべきだろう。

 若干の心苦しさから目を逸らしつつも、ハクは情報の秘匿を続けることにした。


「わかった」


 疑う素ぶりを微塵も見せないクロ。彼の視点では、今ハクが抱えている情報はルカに関連するものと考えるのが妥当であるため、そのような反応になってもおかしくはないだろう。

 それ以降、二人が会話を交わすことはなかった。

 理由のわからない胸騒ぎが気になりつつも、フランの回復と試練の突破を願いながら、眠りに就く準備をする街の中を歩く。

 昼間はあれだけ騒がしかったが、今はそれが恋しいとさえ思える程の静けさだ。未だ落ち着かない心を同調させるかのように、ハクはこの静寂に耳を傾け続けた。

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