第23話「過ち」

 周期的に響く、鐘の音。アイアの魔法学校周辺で聞こえる音とよく似ているが、別種だ。

 どこかの屋内空間にいるようだが、あらゆる物の輪郭がぼやけているために、場所を推測することすら困難だった。

 男女の声が、いくつも聞こえる。声色からして、同年代だろう。もっとも、何を話しているのかまでは聞き取れないが。

 視覚と聴覚、共に機能が低下しているらしい。

 情報をほとんど入手できていない今、取り乱してもおかしくはないはずだが、『彼』はむしろ心地良さを感じていた。

 この場所を、時間を、『知っていた』と思えたからだ。

 ここで何を感じ、どのようにして過ごしたのか、今となっては何も思い出せないが、これが自身の尊い過去であると信じて疑わなかった。

 より、鮮明に。

 そう手を伸ばしたためか、一気に視界が良好になる。ただ、映し出されたのは期待していたものとは全く異なる光景だった。


「────また、か」


 目が覚めたハク。彼はベッドの上で体を起こし、何かに縋るかのように右腕を伸ばしていた。恐らくは、夢での思考と連動したのだろう。


(確か、僕は……)


 隣のベッドで眠っているクロを見たことで、自然と情報が整理されていく。

 火の国マーコを訪れた三人は、すぐに試練を受けることになったのだ。そして番人と戦い、手も足も出せずに完敗して三人とも気絶させられた。

 内装からして、ここは宿屋の一室だろう。受付をした覚えはないが、番人によって手配されたと考えられる。


(…… まだ痛むな)


 傷の処置まで済んでいたようで、ハクの全身には包帯が巻かれていた。ただ、レマイオが使う魔法のようにはいかないらしく、未だに強い痛みや倦怠感が残っている。動けない程ではないが、しばらくは安静にしている必要があるだろう。


「…… はっ!?」


 驚いたような声が上がるが、ハクによるものではない。

 クロだ。やや遅れる形で彼も意識を取り戻したらしく、上体を起こしていた。


「起きたかい?」


 そんな彼に声をかけながら、ハクは視線を向ける。

 クロもまた、全身に包帯を巻かれていた。死んでもおかしくない攻撃を受けたはずだが、その程度の処置で済んでいるのは彼自身の生命力によるものか、はたまた治療を担当した者の腕が良かったからか。


「…… 負けた、のか」


 悔しい事実を、クロが噛み締めるように呟く。


「そうだね」


 短いやり取りの後に流れる、重い沈黙。それを破ったのは、クロでもハクでもなかった。


「お前たち! 目が覚めたか!」


 喧しいぐらいの大声とともに、壊れてしまうのではないかという程の勢いで扉が開け放たれる。

 入室してきたのは、膨れ上がった胸筋が目を引く大男。火の国の番人、テッロだ。


「動けるか? 動けるな! ついて来い!」


 有無を言わさず、テッロが部屋を出ていった。仕方なく、二人は言われたとおりに従う。


「いだだだだ!」


 小走りで行こうとしたらしいクロが、絶叫を上げた。直後、彼はベッドに手を掛けて中腰になる。


「大丈夫かい?」


「あ、ああ。行くか……」


 ハクは肩を貸そうとしたが、断られた。

 傷が浅くないのは、互いに一緒。それがわかっていたためだろう。クロは足を引きずりながらも、自力で部屋を出ようとする。

 介助こそしないものの、そんな彼を見守りつつハクもテッロの後に続いた。


「こっちだ!」


 二人の姿を確認したテッロは、同じ階にある別の部屋へと入っていった。

 体に響かぬよう、ゆっくりと歩を進める。

 扉を開けた先にいたのは、先行したテッロ。

 そしてもう一人。ベッドで横になっているフランだ。

 部屋に入ると、彼女が苦しそうにしているのがわかった。眠ってはいるが、呼吸が荒く、顔は赤い。


「風邪を拗らせたらしい。試練の前から体調を崩していたのだろう」


「試練の前から……」


 思い起こされるのは、火の国の結界外にて、せいりょうに襲撃される直前のこと。

 温暖と呼ぶには暑すぎる気候に対し、フランはこれといった反応を見せていなかった。恐らくは、風邪を引いたことで感覚が麻痺していたのだろう。


「なんで気づかなかったんだ、俺は……」


 自分自身を責め立てるような、クロの呟き。だが、真に責められるべきは自分であるとハクは理解していた。


(僕のせいだ……)


 己の不甲斐なさに、唇を噛む。

 フランが体調を崩していることに、ハクは薄々気がついていた。だが、彼女が弱音を吐かないのをいいことに、見て見ぬふりをしていたのだ。

 自分の気のせいだと。ただ、疲労が溜まっているだけだと。彼女の努力は、彼女自身のためにも必要なものなのだと。

 そう自らに言い聞かせ続けた結果が、これだった。


「傷の治癒はともかく、病気に関しては免疫機能を高めるような薬を投与した方がいい。国の東の方に、薬剤の調合を得意とする者がいるから、早めに治してやりたければ行ってみろ」


「はい……」


「じゃあ、俺はこれで失礼させてもらう。またいつでも挑みに来い!」


 そう言って、テッロが去っていく。試練の後始末を全部できる程、暇ではないのだろう。むしろ、ここまで運び、治療まで手配してくれたことを感謝するべきだ。


「で、どうする? 早速行くか?」


「うん。早く楽になってほしいからね」


「決まりだな」


 足早に部屋を出ようとした二人。だが、ハクはふと声が聞こえた気がして、足を止める。


「…… か、ないで」


 フランの声だ。

 ただの寝言かとも思ったが、クロが彼女に近づいたことでハクも留まらざるを得なかった。


「置いてかないで……」


 絞り出すような、フランの声。

 薬の調達に行く二人を引き留めようとしての言葉か、はたまた、自分より先を進んでいる存在に対しての言葉なのかはわからない。

 どちらにしろ、彼女を安心させるには一言伝える必要があった。

 だが、ただの気休めを言うつもりにはなれない。

 彼女のその願いを聞き入れられなくなってしまう未来が、いずれ訪れるとわかっていたためだ。

 クロが閉口しているのは、ハクと同じことを考えたからだろう。記憶の手掛かりをほとんど得られていないはずであるため、直感から来る懸念と言えるが。


「…… 人は、ずっと一緒にはいられない」


 言葉を紡ぎながら、ハクはフランの方へと近づく。


「遠く離れた地に行くことになったり、死によって隔たれたり、原因は様々だ。僕たちも、いずれそれぞれの道を進み、離れ離れになることがあるだろう」


 そう遠くない未来に、必ず訪れる別れ。それがどのような結末によるものかは、わからない。


「でも、だからこそ。断言するよ」


 微笑んでから、ハクは続けた。


「それは、今じゃない」


 柔らかな声色で、安心させるように、フランに言葉をかけていく。


「少しだけ出かけるけど、すぐに戻ってくる。だから、フランは安心して休んでいて」


「…… うん」


 熱で頭が上手く回っていないであろうフランに、その言葉が届いたのかはわからない。だが、ハクの目には、彼女の表情が安らいだように見えた。

 やがて寝息が聞こえ始めたが、先程よりは穏やかで、彼は一安心する。


「…… 行こうか」


「ああ」


 足音を立てないように、二人はその場を後にした。

 既に日が傾き始めている。

 どうやら、山の麓にある宿屋にいたようだ。試練の直前に利用した転移魔法陣設置場所が、すぐ近くに見える。


「東の方って言ってたよな」


「うん。とりあえず向かおうか。転移したら、街の人たちに道を聞いてみよう」


 二人は歩き始めた。

 険悪な雰囲気でこそないが、フランがいないためかいつもの活気はなく、どことなく寂しさが感じられる。


「…… ハク」


「なんだい?」


「俺さ、覚悟できてなかったよ。全然」


「…… そうすぐにできるものではないさ」


「それでも、してなきゃ駄目だったんだ。俺は。別れがいつ来るかなんて、わからないんだから」


 冥王の復活を阻止し、瘴気も撲滅することと、記憶を取り戻すこと。これらを何事もなく達成することができたとして、その先、三人がずっと一緒にいられる保障はない。それを、クロは今になって理解したようだった。


「さっきは助かった。ありがとな」


「…… 僕も、同じだからね」


「え?」


「いや、なんでもない。礼には及ばないよ」


 意図せずして漏れ出た言葉だったが、クロの耳には届いていなかったらしい。追及されても困るため、ハクは話の流れを戻すことにした。


「本当にすげえよ。ハクは」


「そんなことないさ」


「謙遜すんなって」


「…… でも、フランに無理をさせてしまった」


 沈んだ気持ちに引っ張られるように、視線が落ちる。


「僕は気がついていたんだ。フランが寝る間も惜しんで励んでいたことも、その無理が祟って体調を崩していたことも、全部」


 真実を黙秘することに負い目を感じていたためか、言葉が次々とこぼれていった。


「それなのに、僕は見て見ぬふりをした。フランが強くなるなら、その方がいいと思った。でも、結果はこうだ。彼女のためと自分に言い訳して、僕は彼女を苦しめた」


「ハク……」


「僕はすごくなんてないよ。ただ、ずるいだけさ」


「それは、違うだろ」


 食い気味に放たれた、クロの声。ハクの連ねた言葉をまとめて吹き飛ばすかのような力強さが、そこにはあった。


「ハクは、良かれと思って黙ってたんだろ? それなら、フランが自分から言わなかった以上、こうなったのは仕方がないって」


「でも……」


「俺なんて、あいつが体調崩してることには気づきもしなかったんだぜ?」


「それは、まあ……」


 フラン自身が隠そうとしていたため、気がつけないのも無理はない。そうわかっているはずだが、もっともらしく並べ立てられた言葉の前に、ハクは納得してしまいそうになった。


「あんまり気にしすぎると、フランも困っちまうだろ。そりゃ、心配とか気遣いは必要だけど、自分を責めることはねえって」


 クロとて、自分を責めたい気持ちはあるはずだ。それは、先程の宿屋での反応を見ればわかる。

 そんな彼にここまで言わせる程、自身の感情が面に出てしまっていたかと、ハクは内心で反省した。


「…… これ以上無理をさせるくらいなら、フランにはここで抜けてもらった方がいいのかな」


「決めるのはまだ早いんじゃねえの? さっきの戦いでフランが全力出してたなら、厳しいかもしれねえけど…… それはもう一回試練受けてみねえとわかんねえだろ」


「…… また、フランのためって理由をつけて、間違えるところだったよ」


「ま、何がフランのためになるかなんて、本人にもわかんねえことだろうしなあ」


 本人が望んでいることが、本人にとって最善であるとは限らない、ということだろう。


「…… クロこそ、すごいよ」


「んなことねえって。ただ能天気なだけだ」


「なら、そういうことにしておこうか」


「おう」


 そんな会話をしているうちに、二人は転移魔法陣設置場所の建物へと辿り着く。


「それにしても強かったな、番人」


「うん。瞬発力、筋力、魔力量、魔法の精度…… どれも最上級だった。まるで隙がない」


「どうしたら勝てるんだろうな」


 水の国での試練とは違い、今回は勝利することが突破条件だ。

 だからこそ熟考して、入念に作戦を練り上げる必要がある。もちろん、鍛錬も欠かせないが、それは一朝一夕でどうにかなるものではない。ならば、今あるもので勝負しなくては。


「それを三人で考えるためにも、早く薬を調達して、フランに元気になってもらわないとね」


「そうだな」


 国の東側へ行くための転移魔法陣に、足を踏み入れる。


「案外、フランが今回の鍵になったりしてな」


「かもね」


 微笑みながら見つめ合う二人を、魔法陣による眩い輝きが包んだ。

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