第十八話 一体お前は…?

 私こと風霜 燐火が頂上まで辿り着いた瞬間、聖雷の薙刀が私の目に飛び込んできた。3年間風雨に曝されていたというのに、その刀身は錆一つなく、あの頃のまま鬼族の帰りを待っていた。


「久しぶりだね。聖雷の薙刀…そしてお父様」


 ゆっくりと薙刀に手を伸ばし、その柄を撫でる。

 この雷天塔の横で私は父上を失った。

 あの時はただ見ることしか出来なかった。だけど今は…!

 その瞬間、私の後ろから魔物の気配を感じた。その一瞬では防御もままならない。


「やば…!」


 次の瞬間、鈍い音が辺りを包み込んだ。だけど不思議だ。身体はどこも痛くない。

 恐る恐る目を開けるが、魔物の攻撃は私には届いていなかった。私の目の前で童次が魔物の攻撃を食い止めていたのだ。


「童次⁉なんでここに?力は貸さないって…!」

「事情が変わったんでな!」


 そう叫び、魔物を床にたたきつける。


「やれ!七天鬼の末裔!風霜 燐火!」


 私は勢いよく薙刀を手に取り、どす黒い色の空に掲げる。


「ああ、見せてあげるよ。君とお父様に、今の私を。さあ聖雷、私たちの出番だ。空を照らせ鬼将山!この地を…奴から永遠に守り続けろ!」


 そう唱えた瞬間、空に向かって薙刀から巨大な雷が放たれる。

 その雷は天空で爆発して雲を晴らすと同時に四散し、再び地上へ落ちてきた。


「グエェッア!」


 3年ぶりに地上に日が差し、無数に分かれた雷が鬼将山を支配していた魔物を貫いていく。

 分かれた雷の一部はフォージアの上空で爆発し、元あったレテーズ川を天空から囲いフォージアを隔離した。


「フォージア内の魔物も全て退魔の雷で打ち取った。ここに薙刀がある以上、もうフォージアに手は出せないよ」


 達成感とそう快感に打ちひしがれている私の肩を童次が優しく叩いた。


「久しぶりに親友に会ったんだ。フォージアに出かけて帰ってこなかったから、ずっと人間に殺されたと勘違いしていた」

「ああ、あとで合わせようと思っていたんだよ」


 久しぶりに見たな…童次の笑った顔。


「あとで彼らに謝っときなよ」

「そうするぜ」


 ああ、お父様…見ていてくれただろうか。そのために空を晴らしたんだから…。


 ▲  △  ▲


 フォージアで魔物との戦闘を終えた私こと西明 籠目は空を覆っている雷の檻から鬼将山に視線を移した。


「やってくれたようですね。△△△…」


 ▲  △  ▲


「先ほどはすまなかった。狭霧」


 俺こと屈魅 狭霧は地上で童次から謝罪を受けた。正直あまり気にも留めていなかったので、当然普通に許す。萃那に関してはどうなるかわからないが。


 3年ぶりの地上ということだけあって、鬼族は大盛り上がりだが、俺たちは周りに誰もいないところで二人、星を見ていた。


「結局俺たちも助かったよ。お前があの時来てくれていなきゃ、燐火は魔物にやられていたかもしれない」

「そう言ってくれるだけありがたい」


 あの瞬間、俺たちでは萃那の打ち上げには耐えられなかった。頑丈な身体を持つ鬼族である童次が来てくれたからこそ乗り越えられたのだ。


「借りは返さねえとな。鬼族を代表して…」

「?」


 そう言って童次は胸元から小さな小瓶を取り出した。


「ほら、お前が欲しいと言っていた“天秤の壺”だ。3年前地下シェルターに避難する直前に俺が持ち出した」

「それくれるのか⁉」

「ああ、俺の願いはお前たちが二つとも叶えちまった。もう持っていいても仕方ねえ」

「二つ?」


 一つは鬼将山の奪還だろうが、もう一つはなんだ?

 俺の思考を読んだのか、童子は口元に人差し指を当てて…。


「内緒だ」


 と、不敵に笑って見せた。


 ▲  △  ▲


「お疲れさまでした。萃那さん」


 鬼将山を奪還し、そのお祝いをしている最中、私こと兎梁 萃那に聞き覚えのある声が掛けられた。

 急いで声の方向に視線を飛ばすと…。


「ラジアンさん⁉貴方何でここに?」


 そこには私たちを鬼将山に導いた張本人ゼロ・ラジアンが笑みを浮かべて立っていた。


「私が何故ここにいるか…その答えはここにあります」


 そう言って地下シェルターの中を指差し、手招きをするラジアン。歩を進めるラジアンについて行く。


「魔封洞?」


 ラジアンが向かっていた先は、燐火に教えてもらった魔風洞だった。


「ええ」

「そこ立ち入り禁止らしいですが」

「そりゃそうでしょう。あの妖怪は鬼族のみでは対処不可能でしょうしね」

「え?」


 ▲  △  ▲


 上空には鬼将山にとって久方ぶりの星空が広がっている。

 3年間この空は荒れた天候で覆われていた。そもそもとして鬼族は地下で生活していたわけだから、彼らにとってはこの空こそが平穏の象徴とも呼べる。


 俺こと屈魅 狭霧は一人星空を眺めていたヴァルを見つけると、彼の元へと駆け寄り隣に座った。


「ヴァル、ここにいたか」

「おう」

「綺麗だな」

「ああ、ここは特に光の少ない地域だから星が良く見える」


 無言のまましばらく星を見ていた俺はここにきた本来の目的を思い出す。


「そうだ、これ見てくれ」


 俺はポケットから童子にもらった壺を取り出すと、ヴァルの前に差し出した。


「おい、まさかそれ…」

「そのまさかだ。天秤の壺。童次に譲ってもらったんだ」

「それで何を願う気だ」

「記憶を取り戻すに決まっているだろう。お前の前にいたほうが安全だと思ってな。どんな代償が付くかわからないし」


 その願いは天秤の壺をもらったときから既に決まっていた。この際代償など少しも気にしていない。このためだけに生きてきたと言っても過言ではないからだ。

 3年前俺の身に何が起こったのか。俺の家族友人はどんな人だったのか。それを思い出すためにここまでやってきた。


 だからこそ、昔からの友人であるヴァルが傍にいるときにやりたい。

 俺の記憶が戻ったらヴァルはどんなことを語ってくれるだろうか。俺に未だに秘密にしている事象、それらも解き明かすことができるのか期待を膨らませる一方、知人の最期を思い出してしまう恐怖が俺の心臓の鼓動を速めた。


「ああ。それで今から願うのか?」

「ああ。そのつもりだが」

「そうか」


 ヴァルは一瞬残念そうに肩を竦めた後、すぐにこちらに向き直った。


「…なら俺もそろそろ動かないといけないな」

「ん?」

「…悪いが、ここまでのようだ」


 ヴァルの雰囲気に違和感を憶えたのも束の間、彼はものすごい速度で天秤の壺を叩き割った。萃那ほどではないがそれでも人間が出せるような速度ではない。

 まったくの無警戒だった俺はその事象に反抗することもできずにいた。


「は?お前何してんだよ!」


 手の中からばらばらになった壺の破片が零れ落ちる。

 理解が追い付かなかった。ヴァルがなぜこんなことをしたのか、その疑問だけで俺の頭はオーバーヒートする。


「狭霧」


 ゆっくりと立ち上がったヴァルは座ったままの俺を見下しながら腰に手をまわした。


「お、おい!」

「…この復讐はここで終わる」


 その手には腰から取り出したナイフが握りしめられており…。


「3年前の因縁を晴らさせてもらおう」


 その瞬間、ヴァルは高速で俺に向ってナイフを振るった。

 条件反射でそのナイフを躱した俺はすぐさま距離をとる。


「ちょっ、おいおい!止めろ!どうしたんだヴァル⁉」

「今のお前にそれを答える義理はない。潔く死んでくれ」

「おわっ⁉」


 俺の制止を効かずに一切のためらいなく攻撃を仕掛けてくるヴァルに、流石にこちらも武器を手に取るしかない。


「武器を取ったな…」


 そういってヴァルはニヤリと笑った(ように見えた)。


「ずっと不思議だったんだ。お前は他の人間とは違う魔力を持っている」

「…」


 俺のその言葉にヴァルは沈黙を貫いた。

 ヴァルの放つ魔力にずっと違和感を憶えていた。彼の魔力は独特で他の人間と似ても似つかない。だからこそ最初は魔族ではないかと疑っていたが、彼と過ごしていくうちにそんな疑念は取り払われていた。

 そしてポラリスやスピカとの対峙、それによりヴァルが魔族ではないということはわかっていた。


「俺にとって魔力とはその者の正体を映し出す鏡だ。だけどお前は人間とも…魔族とも違う魔力を持っていた」

「…」


 依然、ヴァルは沈黙を返す。


「俺はずっと、お前を親友だと思って生きてきたわけだが…違ったようだな。ヴァネット・サム。お前、俺の親友…否、そもそも俺たちは本当に知り合っていたのか?」

「答える義理はないと言ったはずだ」


 そこでようやく口を開いたヴァネット。俺はニヤリと笑みを浮かべた。

 まるでパズルみたいに全てが繋がっていく。数々の疑問を少しずつ明るみに照らしていく、そんな感覚が俺の口角を自然に上げさせた。


「その仮面、もう外していいぜ」

「あ?」

「正体がばれないように付けていたらしいが、今となっては必要ない。ここに来て燐火や童次に会ってピンと来たよ。お前の魔力の違和感の正体に」


 燐火のヴァネットをしっているような反応。そして彼女から感じられる魔力が、俺の中で一つの答えを導き出した。


「お前、鬼族と人間の混血だな?どうなんだよ、ヴァネット・サム。少しは話してくれてもいいんだぜ」


 そうだ。もしこの答えがあっていたとしたら全て辻褄が合う。魔力の違和感。その強さ。顔を隠していた理由。日常で見せてきた鋭敏な感覚。

 その全てに説明がつく。


「…正解、と言いたいところだが一部不正解だ」

「ほう」

「仮面を付けていた理由、鬼族だってばれないためではない。俺の顔は人間よりだったし…」

「ならどうして…?」

「隠せなかったんだよ」

「?」


 ゆっくりとヴァネットはその仮面を取り外す。

 そうしてヴァネットの素顔が俺の目に映った瞬間、俺の背筋は凍り付いた。

 隠していたのは素顔でも身分でもなく、ただ純粋な…。


「この仮面がないと…お前への殺気がな」


 俺への殺意だった。

 目をカッと見開き、顔全体で表現された殺気は、俺が今まで感じたことのないものだった。

 身の毛が立ち、四肢が震え、身体中から警戒信号が発せられる。だが引くわけにはいかない。ここから逃げ出したい欲よりも、3年前の答え合わせをしたいという欲が勝っていた。


「どうしてそこまで…俺が過去に何かしたのなら謝ろう。だが悪いが俺には記憶がないんだ」

「構わない」

「?」

「俺は別に、お前が俺にした件について謝ってほしい訳じゃない。ただ単に俺の自己満足なんだよ」

「もしかしてロビスが死んだ理由は俺にあるのか?」

「お前、まだそこにいたのかよ。俺の予想位置と周回遅れでぴったりだった」

「悪いな。だがその様子を見るとロビスの死には俺が絡んでいるようだ」

「その通り。これはただの復讐だ。そしてそれも今終わる。ようやく俺も楽になれそうだぜ。ずっと苦しかったんだ。お前と暮らすのが…」

「…ダウト」


 言葉の発音、声のトーン、速度。そして何より始めて見せたその表情。それらで3年間ヴァネットと共に過ごした経験から、その言葉が嘘だということを俺は瞬時に見抜く。


「本気だぜ?お前を殺すことができそうで今にも胸が躍りだしそうだ」

「…ダウト!」

「お前が殺すことだけが俺の生きがいだった!俺がここまでこれたのは全てお前への復讐心があったからだ!」

「ダウトォ‼」

「⁉」


 俺が声のトーンを上げると共にヴァネットの表情から余裕がなくなっていく。それが俺は心の底から嬉しかった。

 彼が本当に俺の事が嫌いだったら、俺は自分自身を保てなかったかもしれない。


「やっぱり仮面を付けてた方が良かったんじゃないか?お前の心透け透けだぜ」

「お前に…俺の何がわかる」

「なんもわかってなかったよ。この3年間一緒に暮らしてきたが、何一つわかってない。自分の正体すらあやふやな俺が他人の事をわかった気になるのは如何なもんだろ?だが、少なくともお前は俺を本気で殺そうとはしていない」

「⁉」

「さっきの攻撃、お前の実力にしては弱すぎ、遅すぎ…俺の事好きすぎだぜ。復讐相手を殺すことに躊躇するなんて可愛いこっちゃ」

「…そんな訳ないだろ。俺はずっとお前を殺そうと…」

「なら3年間お前は何をしていたんだ?」

「⁉」

「この3年間、俺は完全にお前の事を信じ切っていた。寝込みを襲う、食べ物に毒を盛る、何だって出来たはずだ。けどお前はしなかった」

「否、何度もしようとした」

「なら何度も躊躇したんだ。そうだろう?ヴァル。俺についてきてくれよ。何があったのか教えてくれよ。共に戦ってくれよ。俺たちがこの先、魔王を打ち倒すその時まで!」

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