(三)チャイナタウン
部屋に差し込む陽が鋭く、眩しい。
その煩わしさに
「やっと起きたか」
ヘアアイロンで髪を巻きながら、キルディは嘲笑した。
昨夜の記憶はほぼほぼない。酒を飲んで、そのままなんとなく布団に入り、気が付いたら眠っていた。特に身体に異変があるわけでもなく、
「朝食を頂いてくるわ」
ただ一人、身支度を完全に済ませてあるヴァレエラは、陽茉が起きるのを見ると、一階へ向かった。
「今日の計画は?」
キルディが庵に問うと、彼は少しだけ考えた後に答える。
「仲間集めかな」
「…仲間ねえ」
少々眉を
天を滅ぼすための仲間。その条件は、なかなか難儀であった。
第一に、天国の存在を信じるもの。非科学的なそれを追う仲間は、「天国なんてあり得ない」という思想はあってはならない。
第二に、天国を信仰していないもの。天と根本的に敵対するのだ。当然である。
第三に、屈強なもの。天という強大な力に反抗するには、可能な限り武闘を心得ている者が好ましかった。陽茉は例外だが、新たに仲間に加えるのであれば、戦力になる者が望ましいだろう。
このような条件に当てはまる都合のいい人など、思い当たるはずがなかった。現にキルディ達も、天国と敵対するための人材を何年間も待っていたのだ。ジーザイルの教会に隠居し、待ち続けていた。世界中を探し回りもしただろう。それでも見つからず、庵と念願に出会えたのも奇跡に等しく、また新たに人物を探すのは気の遠い所業だった。
「…まあ、いそうな場所にとりあえずで行ってみるしかないか」
庵はため息を吐くと、地名に幾つかの印を立てる。
極道の事務所に、ボクシングジム、空手教室。そして中華街。
それらの共通点は粗方、戦術を心得ているであろう人が集まる場所だった。ただ一つの例外に、陽茉が疑問を抱く。
「中華街…?どうして?」
眠たげな目を擦って首を傾げた陽茉は、地図をじっと覗き込んだ。
「この中華街は、所謂スラム街なんだよ」
「へえ…横浜にあるのよりも、ずっと広いね」
キルディは陽茉に説明してやるように、新しく雑誌を取り出す。
中華街の旅行案内の誌面は小さく、赤字で注意喚起すら書かれていた。見出しには「日本のスラム街」と明言されており、食べ物の他に、主に治安の悪さが纏められている。他の観光名所の紹介と見比べると、中華街に立ち入ることはあまり推奨されていないことが容易に理解できた。
「中国人が流れ着いて暮らしてるんだ。治安が悪い分、戦える人もいるかなって」
「なるほど!じゃあ、そこにしようよ」
「危ないだろ、他の場所を周ってからでも…」
陽茉は全く聞かずに立ち上がり、出掛ける準備を始めた。
「まあ、大丈夫だろ。中華街にしようぜ」
心配性な庵を置いて、一同は動き出した。庵は暫く納得できない様子で資料を眺めていたが、朝食を頬張りながら急かす陽茉の声についに折れた。陽茉だけは、安全に帰してやらなければならない。庵はあらゆる全てを捨ててでも陽茉を守る決意を胸に、一息ついてから立ち上がった。
大きく、派手な鳥居。真紅の染料は鮮やかで、一目で一級品だとわかる。
赤い提灯が夜を妖しく照らしており、その鳥居は、異世界へ誘うものかのように見えた。
キルディとヴァレエラは悪魔だから目立つということで、建物の屋上から見守ることにした。極力手を出さず、危険が近付いたら援護する。この中華街とは、それほど慎重に立ち回る必要があった。
「陽茉、俺から離れるなよ」
「がってん」
彼らはゆっくりと鳥居に近付き、人の流れに紛れて、何食わぬ顔で歩み進む。少しも挙動を怪しまれぬように、中華街に住まう者の顔をして。
瞬間。
「待て」
鋭い金属音が、鳥居を罰印に塞ぐ。
「お前ら、中華街の奴じゃないな」
重なったそれは、二本の鎌の柄だった。鳥居の傍に立っている男達に、行く手を阻まれる。彼らの声に、周囲の住民はそそくさと離れ、ざわつき出した。
「…住民以外立ち入り禁止なのか?」
「最低限の治安維持は必要だ。立ち入る人間のことは、把握する必要がある」
男は鎌を引き摺りながら庵に近付き、睨み付けた。瞳は小さく鋭利で、光が無い。髪は硬く尖っており、彼のその風貌には、充分な威圧感があった。庵は多少なりとも怯んだ様子を見せる。陽茉に至っては縮こまって、庵の後ろに隠れていた。
「どういった御用でいらしたんですか」
対してもう一人の男は随分と穏便そうで、柔らかい印象を得た。白いふわふわの髪に、溢れんばかりの睫毛とまん丸の目。庵に放られたその笑顔には、母性すら感じるような優しさがあった。
「なんなんだ、お前ら」
二人は奇妙な組み合わせだった。対照的で、それでいて似通った容姿をしている。トゲトゲとふわふわ、冷酷と温厚。ツリ目とタレ目、直毛と癖毛。悪魔と、天使。そんな対の中で、髪は同じ色で、ピアスや衣服と鎌は、色違いの似た物を身に付けている。そんな二人に、庵はより一層困惑を見せる。
「質問に質問で返すな。今すぐ斬ったっていいんだぞ」
「まあまあ」
好戦的な彼を宥めると、男は刃を収めて一礼する。
「俺はユウリェン。イタチに凛々しいって書いて、
一通り自己紹介をすると彼はまた、優しく笑う。
「庵だ。俺は人探しで、ここに来た」
「ぼ、ぼくは陽茉だよ」
庵が端的に話すと、慌てて陽茉も顔を出した。
「そっか。誰を探しているのかな」
「誰、ってわけじゃ、ないんだけれど」
歯切れが悪くなりつつも、庵は噓をつかず、正直に話すことにした。自分たちが旅をしていること。そのための仲間を探していること。天使がどうこうといった話は非現実的で厄介なので、省いて話すことにした。少なくとも鼬凛は、庵の話を頷きながら、熱心に聞いてくれている様子だった。
「そういう感じだったら、まずは姐さんに相談した方がいいんじゃないか」
「それもそうだね」
颯凜の言葉に鼬凛は頷くと、一つ咳をしてからゆっくりと説明を始めた。
「俺達が君に協力する義理はないんだけれど…この街を歩いてもらうには、まず、会ってもわらなくちゃいけない人がいる」
「その、姐さんってやつか?」
また頷くと、鼬凛は道のずっと遠くの、大きな建物を指さした。
立派で豪勢で華美なその塔は、中華ながらにいかにも「城」という印象を得られる建物だ。街の最奥に有するその建物は、おそらく中華街を取り仕切っている建物なのだろうことが予想できた。陽茉はぐっと空を見上げるようにして建物を観察する。塔の後ろに、月が隠れていた。
「姐さんはあの建物にいる。俺達が話を通して、紹介してあげるよ」
「随分親切だな」
「勝手に荒らされるよりはマシだからな」
庵が感謝しようとすると、颯凜はすぐに敵意を見せて返した。親切心などではなく、業務の一環であると言いたげだ。そんな彼に庵は苦笑するが、相手せずにただ鼬凛に従うことを心に決める。
彼らは案内するために、二人を挟むようにして歩き始めた。鼬凛は道を案内するため前方に、颯凜は何か不審な動きをしないか監視するために後方に。まるで刑務所の囚人かのように歩くその様は、中華街の住民から注目を集めていた。中華街の住民達は民族衣装を身に纏い、口にする言葉は日本語と中国語が常に入り混じっている。日本にいながら海外にいるかのような感覚で、尤も、そこは日本に違いないのだが、歩けば歩くほど異世界に迷い込んでいくような感覚に陥っていった。
彼らはそのまま何の問題の一つもなく、いよいよ例の塔というべきか、城というべきか、中華街の砦に辿り着いた。
「姐さんに用がある。外の客だ。俺達が連れて行くから、通してくれ」
番人として置かれている男に鼬凛は一言声を掛け、重たい扉を両手で押した。
外装に似通い、内装も金の派手な装飾が施されていた。庵は眩しさで目に痛みを感じる。金属同士で光が反射しあって、とにかく眩しい。
「…陽茉」
庵はふと思い出して、陽茉に手招きをした。
「キルディとヴァレエラはいるか」
屋外であれば、彼らは屋上を伝うだけで我々を追尾することができた。しかし、屋内となってしまうとどうだろうか。陽茉は彼の言葉を聞き、周囲を見回して耳を澄ませる。
「…どこにいるかはわからない。でも、気配は感じるよ」
「そっか。なら、いいんだ」
庵はそれを聞くと安堵し、再び鼬凛の背中を追った。
階段を上っていく。大広間を囲うように建てられた階段はとにかく長く、目が回ってしまう。吹き抜けた一階が、時々恐怖を煽った。
「エレベーターとかないわけ?」
「従業員専用だ」
颯凜は吐き捨てるように答える。庵はまた苦笑した。そのまま彼らはただひたすらに、無言で上り続けた。
ついに頂上に辿り着き、特段豪華な扉を前にする。鼬凛はふっと息をついてからノックをし、ゆっくりと扉を開く。
開いてすぐ、奥にはベランダが見えた。提灯で煌びやかに照らされた夜の中華街が一望できる。
「如何様かね、忠犬よ」
妖艶なその女性は、扇子を指に挟んで頬杖をし、笑いかけて見せた。彼女はまさに姉御、姐様といった風貌で、静かで冷たい風に、長い髪を靡かせていた。両耳には、鼬凛と颯凜二人と同じピアスを、両耳に着けている。
「他所の者です。旅をしているそうで、この中華街に用があると」
彼らは中国語を交えて話し始めた。いくら学のある庵でも、中国語は得意分野ではない。少なくとも、彼らが自分達の処遇について長考しているのであろうことが、庵には理解できた。
十分ほど立たされていると、彼女は庵の方に体を向けた。扇子を開いて口元を隠して笑い、ゆっくりと話し始める。
「貴殿、名前はなんと言う」
「祟羽、庵。…庵です」
「そうか、庵。私はジンロンだ」
「絶景であろう、我らが楽園は」
肯定のみを待つその自信満々の笑みは、実に美しかった。夜の似合う女だ。絶景と言えるその中華街が、背景程度にまで格が落ち、ぼやけて見えてしまうほどの美女だ。
「綺麗です、とても」
「そうであろう。私が
瑾龍は満悦そうに笑うと、扇子を閉じる。そしてそれをまた指に挟んで、今度はゆっくりと庵の首に指した。瑾龍の笑みは消える。
一層冷たい夜風が吹く。何よりも触れられたくない秘密。心拍数が自然に上がって、多少呼吸が乱れた。
「天の遣いではあるまいな」
その言葉に庵が目を見開くと、瞬時に鼬凛と颯凜が庵の身体を抑えた。
瑾龍は庵の「縫い目」に扇子をグリグリと押し当てる。庵は常に、首が隠れる衣服を身に着けている。一目してわかるはずのない傷が容赦なく抉られて、庵は少々喘いだ。
「貴殿、やはり天の者か。多少は顔に出ぬようにしたらどうだ」
誤解が膨らみ、瑾龍は更に力を入れて抉る。庵の目がチカチカと裏返る。
その様子に、すかさずキルディとヴァレエラはベランダから侵入した。即座に鼬凛と颯凜に鋭い爪を向ける。キルディの瞳が、普段よりも強く発光し、渦巻いていた。
「…ほう?これはこれは」
瑾龍は非常に興味深い、と言いたげに悪魔二人を一瞥した。
「天の賜り者が、悪魔連れとは。実に不可解だね」
「そいつを放せ。俺が悪魔だってわかるなら、敵対する必要はないだろ」
「命令されるのは好まない性分なのだがな」
つまらなさそうにしたが、彼女は扇子を手元に戻した。それと同時に、鼬凛達も庵を放す。苦しそうに息をする庵の背中を、陽茉は懸命に撫でた。
「何故…何故、わかった?俺の身体に、天使の手が加わっているって」
庵は瑾龍を睨みつける。瑾龍に代わって、颯凜が答えた。
「天が悪だなんて、政治の下では有名な話だ。姐さんは、それを識別するための扇子を持っている。それだけのことだ」
にやりと笑う瑾龍は、自慢げに扇子を開いて見せた。金色の龍の柄が庵の方向に延び、点滅するように浮き上がっている。こんなものが作られているなど、知らなかった。
庵は無意識に、自分の首を掻く。憎い。憎かった。やはり、憎くて仕方がない。天のことが。
「なら、わかるだろ。俺は、天を滅ぼそうと思ってる。そのための仲間を、俺は探しているんだ。この悪魔だって、俺が引き入れた。確実に、徹底的に滅ぼすために!」
つい、声に力が入る。拳を強く握った。手入れされている長い爪が、自分の肌に刺さる。
瑾龍は長い瞬きをし、陽茉を見つめた。それから鼬凛と颯凜を見て、頬杖をした。
「…気は勧まぬが、適役は他におらぬな。忠犬よ」
呼ばれた二人は一瞬固まり、異議を申し立てるように体を乗り出す。
「俺達は姐さんの他に就く気などありません!」
「こんな餓鬼についていくなんてあり得ない、冗談はほどほどにしてください」
「私とて、君達のような優秀な部下を手放したくはないとも」
苦笑した瑾龍は、再び陽茉を見る。見つめられている陽茉が暗い顔をしているのを、庵は一瞬だけ視認した。陽茉は庵に見られているのを気付くと、すぐに笑顔を見せる。多少の焦燥が、瞬時に向日葵に抹消される。何事もなかった様、真っ平に。
「貴殿。天を滅すと約束できるか」
瑾龍は庵に問う。庵は、自信満々に即答した。
「当然だ。億万賭けてやろう」
「そうか」
再び視線をやられた二人組は、不安げだった。主人の元を離れたくない。彼らは互いの手を撫で、指を絡め、握る。
「私としても天は放っておられないのだ。滅すに越したことはない。…行けるか、鼬、颯」
「…知道了」
二人は頭を下げて、主の願いを了承する。しかし彼らは名残惜しそうに、瑾龍に近付いて各々頭を撫でられていた。いつでも帰ってきますから。そんな別れを告げて、彼らは庵に近付く。
「主人の命令だ。失敗は許されない。わかってんだろうな」
依然として高圧的な颯凜は、庵を睨みつけた。
「失敗なんてしない」
庵はそれ以上の自信で、颯凜を跳ね返す。失敗などしたことはない。庵にとっては、愚問に等しかった。
「よろしくね」
鼬凛は少し寂しそうに笑って、挨拶だけする。
また二人、新たな仲間ができた。
「よろしくね!」
陽茉はいつも通りの笑顔で、ただ祝福した。
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