トー横青少年救済論への応援コメント
反骨精神と申しましょうか。青少年のある意味での健全な自浄作用なのでしょうか…
ですが大人と青少年との明確な基準とはなんだろう。法令で18歳が成人の境目となろうが、青少年がある意味で「大人」を連想させる煙草や酒は未だに二十歳からでありそこに大人の狡さや保護意識が働いている様にも感じます。
青少年は幾つになれば大人となるのか…江戸時代等は10代での結婚や飲酒喫煙も赦されていたではないか。
抵抗、反骨精神が他人への「怒り」に変わるとしたら大人は犯罪となる前に鎮火しなければならない。セネカは「怒りについて」の中で大人に向けて怒りの攻撃性や残忍さを諭しつけています。
だが重ねて大人にはいつ成るのだろう。論語に「十五にして学志し」とある様に精神年齢の事だろうか?「四十にして惑わず」…そこからが大人なのか…人間そう簡単に昆虫が幼虫から成虫に変わる様に姿形も変わるのなら分かり易いのだが…
等と自分にも照らし合わせながら拝読させて頂きました。
作者からの返信
たびたびのご感想まことにありがとうございます。
大人とはどうあるべきものであるか、ということを考えて生み出されたものがこれになります。私の力量では社会全体を見渡すことができず、トー横をとりまく環境に視野を絞って、その中で完結させるほかなかったのです。
言い方はあれですが、精神的に未成熟な状態を表すものとしてトー横を用い、必然的に精神的に成熟した、これは常識的な判断が可能になったという意味ですが、そのような状態の人々を大人と定義しています。この作品では。
常識的な判断というものも、どのようにそれを常識的であると判断するかはまた難しい話ですが、ここのところはまたいずれ書こうかと考えております。
ご感想頂いたこと改めて感謝申し上げます。
トー横青少年救済論への応援コメント
私はトー横に行く系の若者を日本全国の人口密度が小さめの自治体に送り込んで、自由な村を作ることができる環境を大人が提供するのが良いと思います。その際にトー横を最大拠点として情報網を張り巡らせ、すべての村が広域的に繋がりを持っているという一つの圏、いわゆる、全国規模の「トー横」を作るのが良いと思います。全国各地に送り込まれたトー横キッズは各土地のキッズと交流することになり、酒やドラッグだけが幸せの形ではないということがすぐに体感できるでしょう。
物理的事実を書くと、東京(首都圏)の人口はあまりにも過密すぎます。その一方で子供または子供的精神を持つ20歳以上の者は、新しい土地を発見してそこを開拓し、新しい村を作って新しい共同体を形成する欲が強いかと思います(もちろん全員の子供ではなく、トーヨコに行くような連中。もっと言うとそれら連中の何割かかもしれない)。
限られた狭い領域に多人数が押し込められると、個々が快適さを得ようとするために隣の者の快適さを奪うことが起こると思います。大人が快適さを求めるとき、隣の者とは(あらゆる意味で)まさに子供であり、衣食住を満足に与えて外敵から守るという本能的快楽に走ると思います。しかし子供は(筆者様が述べたように)大人に、あるいは親に反抗したいのが普通であり、それは「未知なる領域を見たい、つまらないところから脱したい」という本能的欲求からくる行為だろうから、親が護衛可能な領域より外に出る可能性はかなり高いでしょう。すると親は叱りつけ、領域内部に戻そうとする。この繰り返しが、例えば子供が高校生とか大学生あるいは社会人になった時点においてもまだ行われているとすれば、それはもはや支配であり、子供を玩具のように扱うという卑劣な行為だと思います。
地方はどんどん人がいなくなっている一方で情報網の発達はネットや様々なデバイスのおかげで著しく進んでいます。トー横の土地も人も加速度的に汚くなるのを防ぐには、大人が遠隔地や過疎地に彼らを放逐しつつ様子を見るという、大規模かつ新鮮な試みが有効でしょう。それが排除と表現できるかもしれないし、親離れとか自立などと表現することもできます。そうやって大人と子供の別れを大人が認めれば、同時に子供は別の地域で別の生活様式を送る「新しい」大人に巡り合うことになるし、その大人が尊敬できる者の場合は自動的に大人に従う(師と仰ぐ)ことも起こるでしょう。
やはり、東京が過密なのが極めて悪だと思います。
作者からの返信
応援コメント、レビュー有難うございます。
過密がそういったコミュニティを発生させやすい環境であることはわかります。過密の解消により、コミュニティの弱体化を図ろうとするのは決して悪い案だとは思いませんが、密集地から追い出す人を子どもに限定する必要はないと思います。
大人が子供たちを放逐し、様子を見るといった試みは既に学校という機関が長年にわたって行っていることであり、トー横に集う彼らはその枠組みからも外れた存在なのです。その具体的理由は各個人それぞれであると思いますが、それら全てに共通する部分は、学校という場所が、大人たちによって築かれた、子供たちの自治区であるというところにあると思われます。彼らの言う自治区とは、新たに土地を開拓することではなく、大人たちから土地を奪取することを意味し、大人と空間的に断絶することではなく、社会的枠組みから外れること、即ち非合法的集団であることが彼らが求める在り方なのだと思います。よって我々は彼らの望んだ非合法的な在り方を実現しよう、それが社会の悪意に紛れ込むような、現在の彼らの危険な在り方から彼らを救い出す方法ではないかと、そう言ったわけです。
これはトー横問題について逆説的な立場からアプローチしてみようという試みであり、実際正しい方法かどうかは社会学者でないのでわかりませんが、彼らが自らが大人と対等な立場であると信じている以上は、こういった場は未来永劫残り続けるものであると思いますし、改めて解消する必要もないと思います。
改めて、応援コメントありがとうございます。様々な意見を残してくださることが、今後の創作の力となります。