コウサイゴ

水月 梨沙

司馬仲達の妻が亡くなった。

当然家の者は皆が沈んだ顔をしていたが、夜中に長男の子元と次男の子上を呼び出し、仲達は言った。


「――実は私は、せいせいしている。あの口煩い女が……ようやく、我が元から去ったのだからな」


……この言葉を聞いた二人の息子が絶句したのは、言うまでもない。


そして、翌日。

「これを……見て下さい」

押し殺した様な声で息子達から渡された物は、妻の手記だった。

仲達は、仏頂面で受け取り、言う。


「一応、少しは読んでやるが……私の、あいつに対する気持ちは変わらんぞ」


手記を手に、人払いをして自室に入った仲達は嘆息した。

そして、静かに腰を掛ける。

しばし瞑目した後、仲達は静かに頁を開いた。

そこには見慣れた……未だ記憶に鮮明な妻の文字が並んでいた。


仲達は一度、それから目を背ける。


そうして……中に書かれている文章を、読み始めた。



 

   ――『仲達様と、私の死について』――




『最期』について、考える。


もしも私が死んでしまったら。

やはり、仲達様は悲しむのでしょうね。



「いかないでくれ」と……寝言で、毎晩。

涙しながら、仲達様が呟く言葉。


敬愛していた文帝は226年、翌年には戦友である徐公明殿。

四友の一人であった呉季重殿は230年、文帝から顧命を共に受けた曹子丹殿はその翌年、陳長文殿は235年。

おそらく『最後の主』になるであろう明帝ですら239年には――亡くなった。



……仲達様は、人前で『本心』を見せない。

長く交際して、ようやく『本当の』心を見せてくれる様になる。それは、親類であっても例外は無い。


仲達様が心を許し、相手を『他人』として接していた時には決して見せない様な『素顔』を覗かせる時は、ごく僅か――それを見て私は、あなたを余計に好きになってしまうのですけれど……



仲達様には、長く交際している相手が少ない。

何故なら、仲達様の本心を知り得た頃に……

『原因』は様々であるものの、『相手が死んでしまう』から。



そう考えたら、私は少し『異質』なのかもしれないですね。

だって、まだ……こうして『生きている』から。



ですが私も天命には逆らえませんし、いつ果てるとも知れぬのです。


『今』はこうして仲達様の隣に居られますが。

……やはり、『先』に逝くのは私なのでしょう。

戦場には出ないとはいえ……何となく、その様な感じがします。



けれど、もしも『そう』だとすると……


あなたは、また、泣くのでしょうね。


どんなに誇り高くて冷徹という印象を他人に植え付けていたとしても。本当は、凄く涙脆くて……淋しがり屋なのですもの。



けれど、今。

この状況で、私が消えたら。


仲達様は一体……誰の元で泣けば良いのでしょう?


慰めてくれる相手は既にいなくなっていて、新しく心を開いた人もいない。

その様な孤独の中で……


――そんな状況で、先に私が死んだら?



――今朝の事です。


「……相変わらず……早いな……」

体を起こしながら、仲達様が呟く。

「ええ。だって、身嗜みに時間が掛かるものですから」

私は微笑みながら仲達様の元へ。


――その時も、目が赤かった。泣きながら眠るのだから、仕方の無い事かもしれませんが。


「仲達様、朝議は……」

「言われなくとも判っている」

素早く身仕度を整える仲達様。

そんな彼の顔からは『甘え』や『寂しさ』といった感情は……微塵も感じられない。


――これが、『他人』と過ごす時の顔。

今もきっと、内心では死んでしまった方達の事を思い出して、泣きたい筈なのに……そんな素振りは、絶対に見せたくないのですよね。


「――仲達様」

「何だ?」

「今日も……」


無理していますね、と言いたい所でしたが。


「素敵でいらっしゃいますよ」

一生懸命に虚勢を張る、あなたを知っているから。

……私は、ただ褒めるだけに留めておきました。



……私が死ぬ時。

あなたの側に、もしもまだ『泣き付ける相手』が居なかったのだとしたら。


せめて、私はこれ以上……あなたを泣かせない様にしたい。



具体的には、そうですね……

――喧嘩でも……してみましょうか。


あなたの言う事を一切聞かずに反発ばかりしてみて……

あなたに嫌われる事が出来たら、きっと私が死んでも。悲しくなど……無い筈。



ですから、ねえ?

お願いですから、私の為なんかに。

あなたの顔を、涙で曇らせたりなどしないで下さい。


一人の時も。

寝ている時も。

悲しみは……あなたは既に背負い過ぎているから。

だからせめて私の事だけでも、置いていて欲しい……



本当に……どうぞ。

お願いしますね、仲達様……。




 

ゆっくりと。

仲達は、手記を閉じる。


「やはり間違ってはいなかったではないか」

憤りながらも、二人の息子に向けて。仲達は、毒づいた。

「私の、あいつに対する気持ちは……少しも、変わらなかったぞ……」

言い、目頭を仲達は押さえた。



本当は、知っていた。

妻が自分に対して思いやりの心を持っていた事。

妻が自分の性格を、すっかり見抜いていた事。

そして――妻が自分から嫌われる為に、敢えて嫌な態度を取っていた事を。


仲達も、それを承知で辛く当たっていた。

だから……最初から、何も変わらないのだ。

妻は自分を思い、自分は妻に合わせる……ただ、それこそが二人の間では良いとされていた『仲違い』の理由。


自分が妻を想わない事こそ、彼女の意志。

それを、あの愚息達は……



「――春華……」



部屋の中に、仲達の声が小さく漂う。

それは、彼等夫婦の意思に反して……明らかに、『涙声』であった。




 <終>


――――――――――


 <後書き>


タイトルの『コウサイゴ』は

『考、最期』と『交際後』の二つの意味

で付けました。


春華さんは、何となく『自分の死期を悟った人』という感じで……更には相手の負担にならない様に愛を貫く人、というイメージでしょうか……。


司馬懿さんは多くの方に置いていかれながら、長生きしています。

ですがそれは、やはり悲しい事ですよね……。


そして春華さんと司馬懿さんの仲違いも、実際にはこの様な感じで春華さんが『わざと』行ったのだと思うと――『また違った世界』が見えて来る様な気が致します。

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コウサイゴ 水月 梨沙 @eaulune

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