7-4【乱れ】

 三人での話し合いから数日後。


 全ての準備を整えた俺達は、迷宮のジオラマを持って世界の狭間に集まっていた。



「うぅむ、近場にはいないようだな」



 すっかり狭間での拠点となった古い家のリビング。


 窓から外を伺うリーンシェッテが、巨人の姿がないことにやや不満げな様子を見せる。


 しかし、いきなり目の前にいるからといって即計画実行というわけにもいかない。


 世界の狭間を包む力の流れに身を流しているだけの巨人を誘導するとなると、現在の流れを見たうえで慎重に行動する必要があるはずだ。


 以前のように世界の淀みに引っ掛かりでもしたら、それこそ予定が狂いかねない。



 とはいえ、力の流れや世界の淀みなんてものは目に見えない。


 それはこの場にいる全員その通りだし、かろうじて力の流れをリーンシェッテが感じ取れるくらいではないだろうか。



「こっちの視界を遮るものがあるわけでもないのに、何でこうも見通しが悪いんだか」

「そればかりはワガハイにも分からん。世界の狭間にはほとんど人の手が及んでいないからな」



 小さくため息をつき、リーンシェッテが俺達のいるテーブルの方へと戻ってくる。


 テーブルの上にはフィーちゃんが用意したお弁当が広げられており、大仕事の前の腹ごしらえをしていたところだ。



 現在は交代で外の様子を見張っており、俺とフィーちゃんはリビングのテーブルで食事の最中だ。


 今日のフィーちゃんは久しぶりに初めてであった時の法衣を身に纏い、傍らには例の杖が椅子に立てかけられている。



「少なくとも流れは穏やかということなので、それほど遠くには流れていないと思われますが」

「だな。しかしこの世界全ての流れが一定というわけではないはずだ。万が一流れの早い場所に捕まっていたらまずいぞ」

「それは……探すのに骨が折れそうだな」



 果てがあるのかも分からない広大な空間。


 例え巨人であろうとも、世界の規模からすれば微生物以下のサイズでしかない。


 それを、更に小さな俺達が探して回るというのはほぼ不可能だろう。



 だが少なくとも、これまで定期的にあの巨人の姿を確認することは出来た。


 つまりこの辺りの流れは循環しており、しばらくすればこの近辺に戻ってくる可能性が高い。



 こうなると、俺達と巨人との我慢比べが始まるというわけだ。


 幸い大学は夏休みで、こちらの予定は組みやすい状況にある。


 将来を思えばやっておきたいことは多いのだが、世界を守ることも大切だということで今は割り切ろう。



「それなら私がこちらに残りますので、お二人は一度元の世界に戻って頂いても」

「ダメだ。娘は一人にすると危なっかしくてかなわん」

「危なっかしい……」



 リーンシェッテに一蹴され、しょんぼりと肩を落とすフィーちゃん。


 だがフィーちゃんには申し訳ないが、これについては俺も同意だ。


 勇者に対し最も思い入れが強いために、万が一無茶な行動に出られる可能性が捨てきれない。



 それに、今や俺達は一つのチームだ。


 今更誰か一人に苦労を押し付けるのもいい気はしないし、見張りならば俺にだってできる。


 何より焦って事を進める必要がないのが現状だ。


 巨人に出会えなければ日を改めることも出来るし、時間がひっ迫していないのならその方が絶対にいい。



「フィーちゃんにだって大事な役割があるんだから、あまり体に無理させちゃだめだよ」

「あ、ああ……はい。そうですね」



 大事の前の小事とはよく言うが、フィーちゃんも俺の言葉に納得してくれたようだ。


 本当は細かいことを気にするな意味らしいけど。


 まああれか。万が一見逃したりとか、些末な心配はこの際気にせず行こうということで。



 しかし、何事もないとこの狭間の世界というのは実に静寂だ。


 力の流れが音や肌で感じられるものではないため、俺達が話していないと室内はほぼ無音となってしまう。


 稀に家鳴りが聞こえることくらいはあるが、万が一この場所から投げ出されでもしたら一大事だ。



 完全な無音というのは、人間の精神にとってかなり良くない環境だという。


 それを直に経験するのだけは何があっても勘弁願いたいものだが。



「そうだぞ。今はこうして腹ごなしをしつつだな……む?」



 フィーちゃんの作ったおにぎりへ手を伸ばそうとしたリーンシェッテ。


 だが直前でその手を止め、窓の方へと再び向き直る。



「まさか巨人が来たか?」

「いや。だが妙な気配が……」



 原因不明の気配に警戒しつつ、リーンシェッテがそっと窓際へと移動する。


 建物の陰に身を潜め、窓の端から横顔だけを覗かせる。


 俺とフィーちゃんもその場で身を引くし、窓から姿が見えぬよう外からの気配とやらに備える。



「何か感じる?」

「い、いえ……」



 小声で尋ねるも、フィーちゃんは困惑した様子で首をかしげる。


 リーンシェッテは沈黙を保ったまま外の方を睨み、その間も静寂は続いていく。


 異様な緊迫感が俺達の周りを包み込み、息を呑む音すらもやけにうるさく聞こえてしまう。



 五分……十分……。


 何も起きない時間が過ぎていき、俺の中でリーンシェッテが勘違いをしただけなのではという疑問が湧いてくる。


 ではそう尋ねればいいだけなのかもしれないが、これだけの時間彼女が警戒を続けるとなると、本当に勘違いなのかという自信が持てない。


 結構な時間が経過していることに対し、リーンシェッテが疑問を抱かないとは考えられないからだ。



 一際大きな家鳴りがリビングに響いたその瞬間。


 案の定、俺の抱いた疑問はただの油断に過ぎなかったことを実感させられた。



「うわっ!?」

「きゃあ!」



 床下を大きく揺るがす振動。


 突き上げられるような衝撃を受け、俺とフィーちゃんは悲鳴を上げてしまう。



 リーンシェッテも身を低くし、壁に手を当てながら歯を食いしばる。



「くそっ、下だったか!」



 そう叫ぶと、リーンシェッテがドアへ向け駆け出し、そのまま開いて外へと出て行く。


 倒壊や破断の劈くような音に耐えつつ、俺達もその後に続こうと立ち上がる。


 しかし床から襲う振動があまりにも強く、俺は半ば四つん這いという情けない恰好で外に飛び出す。



 どうにかこうにか姿勢を立て直した後、敷地の端に立つリーンシェッテの隣に立つ。


 ここから先は地面のない完全な空間になっており、脚を踏み入れようものなら空中を移動する術がなければ二度とここには戻れない。


 そんな危険な空間だというのに、リーンシェッテは何の躊躇もなく身を乗り出し下の方を覗き込む。



 この敷地の下の方は五メートル弱くらいの地面だ。


 元はスチレンボードの土台だったが、今はフィーちゃんの魔法によって本物の土に変わっている。


 まるでチョコレートケーキの断面のような土の層が重なっており、表面からは芝生の根が飛び出している。


 そんな地面から、再び大きな突き上げが俺達を襲う。



 想像以上の衝撃に俺の体は浮き上がり、体の半分が地面の外に飛び出しそうになる。



「危ないっ!!」



 そんな俺の右腕を、後から追いついてきたフィーちゃんが慌てて掴む。



「あ、ありがとう」



 フィーちゃんに引っ張ってもらいながらどうにか礼を告げる。


 だが彼女の表情は険しく、今にも泣きそうな様子を見せていた。



 一体何があったのか。


 その理由を確かめようと彼女を見るが、小脇に抱えたそれを見て思わず納得してしまった。



 彼女が持ってきたそれは、壁と天井が取り外された状態にある迷宮ジオラマの最上階。



 きっと、最初の衝撃で倒れでもしたのだろう。


 三つに分割できる壁が、本来別れてはいけない部分から割れていたのだ。



「これ、壊れて……」



 彼女にとって、要でもある迷宮の最上階。


 壊れたそれを見つめるフィーちゃんの姿は、見ていて心が痛むものだった。

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