6-3【夏の幻覚】
……っと、いけない。
二人が調査中だというのに俺がベンチで寝ていては申し訳が立たない。
例え手伝うことが出来なくとも、迷宮のアイディアくらいはここでだってまとめられる。
そう思い、眠気を払うよう俺が首を振った直後。
「んん?」
周囲の光景に、俺は大きな違和感を覚えた。
なぜだろうか。聞こえていたはずの環境音が、今はものすごく遠く感じるというか。
風の吹く音も、小川の流れる音も、遠くを走る自動車の走行音も。
全てがまるで遠く……いや、もはや聞こえないといっても差し支えない。
それに周囲を見渡してみても、まばらにはいたはずの人の姿が見当たらない。
一緒に来ていたはずのフィーちゃんやリーンシェッテだって見つけることが出来なかった。
静寂と孤独。
盛夏真っ只中のはずなのに、秋の暮れのようなもの悲しさを感じさせる公園の風景。
異様な寂しさは俺の不安を掻き立て、じっとしていられなくなった俺は弾けるようにしてその場から駆け出す。
「何だ……フィーちゃん! リーンシェッテ!」
呼びかけてみても返事はない。
防風林沿いの歩道を走り抜け、公園の中心に位置する浅い池のある広場に出る。
角の落とされたレンガを敷き詰めて作られた円形の広場。
中心は直径五メートルくらいある角度の浅いすり鉢状の池になっており、デザインなのか子供の為なのか、上面が平たい一メートルほどの岩が置かれている。
日差しを遮るものがない、芝生の真ん中にある広場。
夏の午後にこんな場所のベンチに座る人などいるはずもなく、やはり人の気配は全く感じられない。
だがここから公園全体を見渡してみても、明らかに人のいる様子が確認できないのだ。
いや、ちょっと待て。
果たして違和感は人の気配だけなのか。
「ここって……おいおい、どこだよここ!?」
この公園は敷地の境に木が植えられており、その先には住宅街が広がっている。
本来ならば気の隙間から住宅の形が見えるはずなのだが、どうにもそれが見当たらない。
じゃあ何があるのかといえば、それがどうしてもわからなかった。
植木の向こうにも公園が広がっているような。
それとも、公園だけがどこか異次元に切り取られているのか。
少なくとも、俺が立つこの場所が先ほどまでいた町の公園でないことは確かだった。
(一瞬だけボーっとしてただけだぞ? なのに何があったっていうんだよっ!?)
孤独感は焦りへと変わり、危機感と恐怖を煽る。
フィーちゃんと出会ってから不思議なものを見聞きしてきたものだが、たった一人で異常事態に遭遇するのはこれが初めてだ。
こういった状況でも適切な知識があれば対処できるのだろうが、あいにく二人のような知識を俺は持ち合わせていない。
この場で何が起きようとも、俺はそれに身をゆだねることしか出来ないのだ。
実際その通りなのだから、こうしておかしな場所に投げ出されてしまったってことなのだが。
「いや、どうすりゃいいんだよこれ」
あまりにも手も足も出ない現状。
異常に直面してしまったというのに、俺の精神は逆に落ち着きを取り戻しつつある。
むしろ馬鹿みたいに慌てても意味がないと理解してしまったというか。
大体どうすればいいなんて考えるだけ無駄だ。俺に出来ることは何もない。
願わくば、この異常に早く二人が気付いてくれればといったところか。
改めて周囲を見渡してみる。
公園。空。遠くの景色。
音の失われた世界では、何故かどれもが遠く離れていくように感じられてしまう。
それはまるで、日々の積み重ねで思い出せなくなっていく幼少の記憶のようにも思える。
どうしてそういう風に見えてしまうのか。
この世界の光が、周囲をわずかにセピア色に染めているかのように見えてしまっているからか。
「……外側」
もう一度住宅街の方に目を凝らすも、やはりその先がうまく認識できない。
見えているはずなのに何があるか分からない違和感が気持ち悪く、同時に人間特有の好奇心が湧いてくる。
あまりあちこち歩き回るのはよくないのだが、見えない先のことが俺はどうしても気になってしまう。
そんな思いが自然と俺の脚を動かしてしまったのだろう。
俺は【外】の風景を見るため、公園の出入口へと歩み始めた。
最初に通ってきた公園の入り口。
目の前には遊歩道があり、みんなで昼食を食べたベンチもそこにある。
何てことはない。やはり公園の外には住宅街があった。
無個性な建売住宅や四角いアパート。少し視線を遠くに向ければ団地が立ち並び、その先には学校らしき建物も見える。
しかし、そんな公園の外の風景全てが張りぼてに見えて仕方がない。
まるで公園の境目に風景を描いた絵を立てかけたかのような異様さ。
それらが公園の四方を囲み、まるで箱型の風景に閉じ込められているかのようだ。
恐る恐る手を伸ばし、風景の張りぼてに手のひらを添える。
俺の手に伝わる平たく冷たい感触は、間違いなくそこに壁があることを示している。
しかしどうだろう。軽く押してみると、壁はまるで支えがないかのように揺らめているようだ。
思いっきり押し込めば容易く倒れそうなほどに、それは頼りないものだった。
「やっちまうか」
俺は意を決し、公園の外を見るためにこの弱々しい壁に両手を当て、奥に向けて押し倒す。
案の定目の前の……というか、俺のいた面の壁全体が音を立てて倒れていく。
十メートルほどの壁が人間の力だけで容易く倒れ、煽られた空気が風となって俺の体を流れていく。
その風圧の強さに驚き、俺は顔を両腕で庇いながらわずかに後ずさる。
風と砂ぼこりが通り過ぎていくのを肌で感じ、俺は覆っていた腕を避けて目の前の状況を確認する。
「これって……」
壁の向こうに隠されていた風景を前に、俺は驚きよりも先に不思議と納得してしまっていた。
そこには青空と芝生とは違う草原。どうやら俺は小高い丘の上に立っているらしい。
遠くには雪の残る稜線が続き、標高が高いのか冷たい風が吹き抜ける。
夏場の格好では肌寒く、俺は両腕に手を添え肌をさする。
草原の広がる丘の下へと視線を落としてみると、牧柵のようなものが離れたところに見える。
遠くにはもそもそと動く黒い点がいくつも見えるが、近くに赤い厩舎があることから多分牛か馬か。とにかく家畜だろう。
厩舎の傍には木造の民家もあり、ここが広い牧場だということにはすぐに気付くことが出来た。
しかしそれは、北海道や長野にあるような日本の牧場とは違うし、じゃあ外国かといえば何かが違う気がする。
ただ一つ分かることは、この場所が夢や幻ではなく、どこかの世界に実在する場所だということ。
確証はないというのに、不思議とそう信じることが出来るのだ。
(んっ?)
遠くの風景に目を凝らしていると、民家の方から人影らしきものが姿を現す。
それはこちらに向けて手を振っているようで、しかしそうではないようにも見えてしまって。
その人物が何者なのか気になってしまい、俺は人影の方へと意識を集中させる。
だがあまりにも距離が離れており、その人物が長い金髪の子供だということ以外把握することが出来ない。
気になる……。
何故かあの場所にいる人の正体にばかり意識が向いてしまい、本来取るべき行動が何なのか分からなくなってくる。
気付けば俺は公園の舗装された道から、草原の中へと足を踏み入れていく。
生えている草は足首を覆うほどに伸びており、まるで緑色の海を水をかき分け歩いているような感覚を覚える。
しかし、そんな感覚は一瞬のことで……。
「うわっ!?」
急に俺の体が地面に沈み込み、何の抵抗もなく暗闇の中へと落ちていく。
立っていたはずの草原は一瞬で見えなくなり、見上げれば一つの光がどんどんと遠ざかっていく。
手掛かりもなく、ただひたすら暗闇へ。
あんなにはっきりとしていた意識も混濁し、もはや自分の状況すらちゃんと把握することが出来ない。
ただ、落下しているのにもかかわらず、不思議と死の恐怖を感じることはなかった。
落ちているはずなのに、まるで眠気に意識が飲み込まれていくように……。
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