5-2【魔女が上がり込む家】

 次の日の夜、時刻は夜十時。


 バイトを終え自宅アパートへと帰宅した俺を待ち受けていたのは、テーブルを囲って夕食を食べるフィーちゃんとリーンシェッテの姿だった。


 いや、遠慮なしに食べているのはリーンシェッテだけだ。


 豚の生姜焼きと人参ともやしの野菜炒めをおかずに、茶碗一杯のご飯をかき込むリーンシェッテ。


 フィーちゃんの怪訝そうな視線をものともせず、ナイトドレスで正座をしながらご飯を食べる姿は何とも言えない庶民感がある。



「おお、おそかったな坊。先に頂いていたぞ」

「遅かったじゃないよ。何勝手にうちで飯食ってるんだ?」

「ここじゃないと人間の食事にはありつけんだろう」



 ありつけんだろうって、俺の質問の答えになってないんだが。


 だが今更この魔女が遠慮するなんて考えは既に俺の中に存在しない。


 すっかり我が家のようにくつろぐリーンシェッテを横目に、俺は背負っていたリュックを壁際に置いた後シンクで手を洗う。


 食器かごにはフィーちゃんが使ったであろうフライパンや鍋が置かれ、冷蔵庫を開けてみると二人分の生姜焼きと野菜炒めが目につく。



 元々俺は料理なんてしないクチで、フィーちゃんに教えるだけの能力もない。


 それでもこれだけの料理を覚えたのは、どうやらバイト先で彩さんに教わったのだとか。


 おかげでおいしい手料理が毎日食べられるんだから、しがない学生からすれば至高の贅沢に思える。



 冷蔵庫から皿に盛られたおかずを取り出し、電子レンジに入れて温めのボタンを押す。


 動き出したのを確認してから、俺は改めて二人がいるテーブルの方へと向かった。



「すみません。大事な用件があるということで仕方なく」

「ああうん、いいんだよ別に」



 申し訳なさげな様子のフィーちゃんに手を振り、二人の間に座る。


 相変わらずリーンシェッテは生姜焼きをおかずにご飯を頬張っているが、その姿に気品などといったものは微塵も感じられない。


 だが箸の使い方はやたらと上手だ。千年の間に覚える機会でもあったというのだろうか。


 いや、ずっと猫だったんだからそんな訳ないか。



「そっちの世界に箸ってあったの?」

「いえ、ありませんね。ナイフやフォークは同じようなものがありますが」

「そりゃまた不思議だなぁ」



 全く異なる世界であっても、効率を追求すると同じような道具が生まれるのだろうか。


 確か動物にも異なる種で同じような特徴を持つ進化をするって話があったな。


 もしかしたら異世界にも、それに似たような現象があるのかもしれない。



 何よりこの二人だって俺達と全く変わらぬ人間だ。


 異世界でもそういう知的生命体が生まれるのであれば、文化が似通るのも割と自然に思えてくる。



「細かいことなんぞ気にするな。下手に違いが大き過ぎたら色々と都合が悪いだろうが」

「そんな身も蓋もない……てか飯食いに来たわけじゃないんだろ?」



 食事に集中するリーンシェッテだったが、ようやく箸を動かす手を止める。


 テーブルに置いた茶碗の上に箸を並べて置き、近くのティッシュを取って口元を軽く拭く。


 使ったティッシュが彼女の手の上で燃え尽きた後、不敵な笑みを浮かべるリーンシェッテが俺を見た。



「うむ。そろそろ坊達の作る迷宮とやらの進捗を聞きたくてな」

「進捗って、まだそんな進めるほど話は進んでないぞ」



 俺の言葉に、「だろうな」と告げて鼻で笑うリーンシェッテ。


 馬鹿にされているようで少し腹が立ったが、こういった態度は今更か。


 だがのんびりとしているなという自覚は多少ある訳で、たまには膝を突き合わせてしっかり話をすべきだろう。


 その場にリーンシェッテも参加するのであれば、何だかんだ頼りになるかもしれない。



 そこで俺は、昨日頭を過った疑問を尋ねてみることにした。



「所で迷宮作りなんだけど、時間制限みたいなのはあったりするのか? 例の瘴気ってやつの影響とかで」

「制限……期間はどれほどということですよね」



 俺の言葉を受け、まずフィーちゃんが顎に手を当て考え込む。


 その後ろでは電子レンジが温め完了を示す音を建てている。



 俺が立ち上がろうとするよりも先に、フィーちゃんが俺を手で制止した後自ら立ち上がり、電子レンジの方へ向かう。


 中から温まった野菜炒めを取り出し、入れ替わりに今度は生姜焼きの皿をレンジに入れボタンを押す。


 その後野菜炒めの皿を持ってこちらへと戻ってきた。



「確かに悠長にしてられんだろうが、それは娘にも分からんだろうて」



 「ワガハイにも分からんからな」と、半笑いで首をかしげるリーンシェッテ。


 彼女がそう言うのならば、確かに誰も答えることは出来なさそうだ。



「じゃあ今は両方の世界がピンチみたいな状況なんだな」

「はい……すみません、お話しする機会はいくらでもあったのに」



 伏し目がちに答えるフィーちゃん。


 ちゃんと説明していなかったことを申し訳なく思っているのだろう。


 確かに早いうちに教えて欲しい気持ちはあるが、俺も最初はそういったことを気にしてなかったしなぁ。


 それにこうして普通に生活できているわけだし、正直本当に世界の危機が近づいているのか実感が湧いてこない。



「だが明日いきなり世界が瘴気に包まれるというわけではないぞ。少なくとも向こう数年は何ら影響を及ぼさん」

「そうなのか?」

「ああ。そもそも向こうとは違い、こちらが影響を受けるには相当長い間瘴気に触れていなければならんからな」



 リーンシェッテが腕を組み、更に言葉を続ける。



「これは主らの迷宮製作にも関わってくるだろうからな。よく聞いておけよ、坊」



 珍しく真面目なトーンで話すリーンシェッテを前に、俺の背筋が自然と伸びる。


 フィーちゃんの方も彼女の方を真剣なまなざしで見つめている。



 俺達の様子を目線を送り確認した後、一息ついてリーンシェッテが語りだす。



「娘は知っているかもしれんが、瘴気というのは物体に染み込み侵食するような動きを見せる。これについては魔力を持たぬこの世界においても同様だ」

「えっ、魔力の影響を俺達も受けるってことなのか?」

「極論で言えばな。とはいえ瘴気の強さにもよるが、それでも一日二日でどうにかなることはないぞ」



 所謂直ちに影響はないっていうやつか。


 それなら安心といえば安心だが、逆に言えば絶対に魔力の影響を受けないって訳じゃないということだ。



「数年から十数年かけて侵食された物体は、実質的に地の魔力を帯びた状態へと変化する。こうなるとどうなるか」



 話を区切り、フィーちゃんへと視線を送るリーンシェッテ。


 それに促されるように、フィーちゃんが俺の方へと顔を向ける。



「康介様には以前、モンスターの誕生経緯をご説明しましたよね?」

「うん。瘴気の影響で理の影響から外れた異形がどうとか」



 「その通りです」とうなずき答えるフィーちゃん。



「物体に瘴気が宿るというのは、いわばその第一段階。ここから瘴気は連鎖的に拡大し、やがて特有の生命体へと実体化します」

「実体化……つまりモンスターってのは瘴気に侵食され続けた場所から生まれてくるって訳か」

「はい。領域内の生命を変質させる場合や、より強い瘴気はそれ自体が異形へと変貌します」



 生命を変質させるというのは、以前フィーちゃんが実際に見せてくれたことだ。


 あれ自体は可愛らしいケモミミって感じだったが、実際はそんな生易しいものではないのだろう。



 さて、瘴気は集まるとかなり危険であり、長年影響を受けた場合はこの世界の物体であっても魔力を帯びてしまうということが分かった。


 これら両方を加味して考えると……。



「じゃあ俺達で迷宮を作ったとして、瘴気の発生源になってる巨人を中に入れてたら……」

「いずれ迷宮全体が瘴気に侵され、内部はモンスターの巣窟になるという訳さ」



 リーンシェッテが両腕を広げ、にやりと笑う。



 つまるところ、俺達が作る迷宮はいつの日か良くも悪くも賑やかな場所になるということだ。


 だがこれは問題なのか? 俺は思わず首をかしげてしまう。



「別にどこの世界にもつながっていない迷宮なら、どれだけモンスターが増えても問題なくないか?」

「甘いぞ坊。万が一高い知性を持つ輩がモンスターを束ね、巨人の瘴気を利用し他の世界への侵略を企てたらどうする?」

「あ……」



 変わらず不敵な笑みを見せるリーンシェッテを見て気付かされる。


 獣みたいな理性のない怪物ばかり生まれると勝手に思い込んでいたが、知的生命体がそこから誕生する可能性があったのか。


 こうなると、放置するのは確かに危険だと俺でもわかる。



「主らが良かれと思って作り出したものが、やがて本当に魔王を生み出す結果となる。ワガハイが言いたいのはそういうことさね」



 けらけら笑うリーンシェッテに対し、俺とフィーちゃんは閉口してしまう。


 実在しなかったと言われていた魔王を、下手をすれば俺達の手で作り出してしまうという恐怖。


 真面目に取り組んできたつもりではあるが、あまり危機感を持たずに構えていたことを改めて反省してしまう。



 果たしてフィーちゃんはそこまで考えていたのだろうか。


 それとも、リーンシェッテの指摘で改めて自らの行いが起こす危険に気付かされたのか。



 少なくとも、今の彼女は神妙な面持ちでテーブルの上を見つめている。



 背後で動いていたはずの電子レンジ。


 温め終えたことを告げるアラームに、俺が気付くことはなかった。

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