4-3【猫の生活も悪くはない】

 ショッピングモールで昼食を済ませ、一通りの買い物を終えた頃には多少日も傾いていた。


 夏至を過ぎれば後は日が暮れるのも早まるものだが、この時期はまだまだ昼が長い。


 おまけに日差しもかなり強い。日差しが俺の地肌に突き刺さるようだ。


 バスの窓側に座る俺に向けて降り注ぐ日光は、まるで俺の体をじりじりと焼こうとしているかのように感じられた。



 俺は出来るだけ日差しに肌を晒さぬよう膝の上の荷物で腕を隠す。


 そのときふと隣を見てみると、そこには俺と同じように膝に荷物を抱えながらバスに揺られるフィーちゃんの姿。


 いかにもまぶたを重そうにしている辺り、これは間違いなく寝落ち寸前だ。



「別に寝てても大丈夫だよ」

「え……いえ、平気です……ふぅ」



 普段大分気を張っている上に、今日は慣れない市街地で疲れも溜まっていたのだろう。


 降りるバス停まではまだ時間があるし、俺が起きていれば問題はない。



 それでも俺に迷惑をかけたくないのか、フィーちゃんは必死に眠気と戦っている。


 何度も船を漕いでは眠気を払おうと頭を振る姿は、まるで小動物のような可愛らしさすら覚えた。



「まだまだ起きていられますよぉ、私はー……うー……」



 眉間にしわを寄せ、眠たそうな目をこするフィーちゃん。


 眠気覚ましなのか再び頭を振るうも、相変わらずまぶたは半開きだ。



 その姿がどことなく実家の妹と重なってしまう。


 親の運転する車で出掛けるときはよく後部座席で並んで座っていたし、こうやって眠いのを我慢していたものだ。


 まあそれは何年も前の話だが。



 そんなこんなで、俺はしばらくの間眠気と戦うフィーちゃんを見守ることにした。


 おかげで日差しの強さを多少は紛らわせられたものの、結局物の数分で彼女は眠りについてしまった。





 寿山の向こうに日が落ちる。


 山影が差す住宅街を、バス停を降りた俺達は並んで歩く。


 ここまで熟睡していた事を知ったフィーちゃんは、相も変わらず申し訳なさそうな様子で肩を落としていた。



「申し訳ございません……」

「だから気にしなくていいって」



 実際居眠り程度で迷惑などと思っていないし、ここまで落ち込まれると逆にこっちが申し訳なくなってしまう。


 それだけフィーちゃんが真面目だということなのだろうが、これから長い付き合いになるだろうし多少は遠慮を忘れて欲しいものだ。


 そんなことを考えながらしばらく歩いていると、視線の先にアットライフの看板が見えてくる。


 店舗は道路を挟んで反対側にあるが、ちょうど横断歩道も青信号を示しているようだ。



 そこで俺はタケルの姿……異世界の大魔女リーンシェッテのことを思い出す。


 人としての姿を取り戻したわけだが、そうなるとタケルはどうなるのだろうか。



「ちょっと店寄っていこうか」



 俺はフィーちゃんの肩を軽く叩き、店の方を指差す。


 顔を上げ看板を見た瞬間、フィーちゃんの表情が少し明るくなったように見えた。



「はい。私も改めて店長さんにご挨拶したいと思っていましたので」

「律儀だなぁ。じゃあ行こうか」



 というわけで、俺達は横断歩道を渡ってアットライフの方へと向かう。


 目的地が近くと分かると足取りは自然と軽くなり、俺達はすぐに店の自動ドアを抜け入店した。



「お、いらっしゃーい。昨日の子も来てくれたんだねぇ」



 夕方にはまだ早い時刻。


 店内には神主さん以外に人の姿はなく、カウンターで退屈そうにしている姿が目に入った。


 そんなだからだろうか。俺達の姿を見るや早速笑顔で手を振りつつこちらを出迎える。



 と、早速フィーちゃんが神主さんに一礼した後、カウンターの方へと歩み寄る。



「こんにちは。昨日はありがとうございました」

「えー、ワシ何かしたっけ? まぁいいか。悪い気はせんし」



 そう言いつつけらけらと笑う神主さんは、何だかんだ嬉しそうである。


 その後二人は何やら世間話を始めたため、俺はタケルを探すためカウンターの奥を覗く。


 が、いつも寝床にしている買い物かごの中にその姿はない。



 さすがに人間の姿になったのに猫の寝床は使わないか。


 というわけで何となく店内を見て回ってみると……。



「あ」



 俺が見上げるガラスケース。そこには最上部と天井の間に隙間が設けられている。


 そこにある棚に置ききれていない在庫の箱と箱の間にタケルの姿はあった。



 あの場所はタケルの定位置であり、いつもそこに嵌まり込むようにしてこちらを見下ろしてくる。


 だがその正体が魔女だと知ると、むしろ店にいる人間を見下していたのではないかと邪推してしまう。



(さすがにそこまで性格悪いことはせんぞ)

「うわぁっ!?」



 突然の耳元で囁かれたかのような声に、俺は驚きの声を上げる。



「んー、どしたの青島くぅん?」

「あ……ああいや、何でも」



 こちらを見る神主さんとフィーちゃんに大丈夫だと手を振ってアピールし、改めてタケルの方を見る。



 先程聞こえた声は、明らかにリーンシェッテのものだ。


 だが当人……タケルは今もガラスケースの上にいるし、耳元で声が聞こえるはずがない。


 しかし相手は魔女だぞ。この程度は容易にやってみせるのではないか?



(そりゃあそうさね。坊の頭に声を送るくらい容易いわ)



 やっぱりそういうやつか。


 俺はため息を漏らしつつ、顔を合わせる必要もないと思い視線を落とす。


 すると向こうはその場から床へと飛び降り、俺の目線のど真ん中へと鎮座した。



(何だい、急に目を逸らすとは礼儀がなっていないじゃないか)

(いやだって、居場所を確認したかっただけだし)

(そりゃあそうだろう。ここはワガハイの家なのだぞ?)



 やはり脳内で言葉を思い描けば、向こうは普通に語り掛けてくるようだ。


 しかしどうも頭の中がむずかゆいというかくすぐったいというか。


 何とも変な感覚だ。



 頭がかゆいわけでもないのに、自然と頭に手が伸びる。



(というか何でまだ猫の姿なんだ?)

(何でって、人間の姿であ奴の前に現れたら腰を抜かすだろうが)



 そう言いつつ、タケルが神主さんの方を見る。


 言いたいことは分かるが、俺が尋ねているのはそう言うことではない。



(そうじゃなくてさ、人の姿に戻れるなら猫になる必要なくないか?)

(ほう、それはどうしてだ?)

(どうしてって、本来の姿に戻れるならそっちの方が気分もいいじゃないか)



 普通に考えればそういう結論に至るはずだ。


 そんな率直な考えをタケルにぶつける。


 だが向こうはまるで何を言っているのかといわんばかりに俺を見つつ、ゆっくりと首をかしげた。



(はて、それはすなわち畜生の姿は人の姿よりも劣っていると言いたいのか?)

(えっ? いやそこまで言うつもりはないけど)



 別に姿に対する優劣を付けたいわけではない。


 そうは思っていても、先程の自分の言葉を考えるとそういう風に考えているようにしか聞こえないよな。


 確かに人間は優れていると思うけど、もしも人と同じ知性を持つ猫がいたとしたら?


 優れた敏捷性や感覚器官を持つのだから、それはきっと一筋縄ではいかない相手となるだろう。



 それでも人という形は何かをするにおいて便利な構造をしている。


 その利点を無視して猫の姿でいることが、俺にはどうしても疑問に思えて仕方がない。



(やれやれ)



 そんな俺に、タケルはあきれた様子を見せる。


 尻尾を大きく振りつつ、目を細め俺の顔をじっと見つめる。



(よく考えてみろ。ワガハイは千年もの間、この異界の地で猫として過ごしてきたんだぞ)



 前足を上げ、顔を洗うような仕草を見せるタケル。


 傍から見れば、この猫と俺が会話しているようには決して見えないだろう。



(そんなワガハイに今更人として暮らせと言われても、どうやって社会に溶け込めというのだ?)

(そこは……魔法を使ってどうにか?)

(馬鹿者。魔素を持たぬ世界の人間は魔力の影響を受けぬと言われただろうが)



 その言葉で思い出す。フィーちゃんがこの世界の人間に瘴気の影響はないと教えてくれたことを。


 瘴気はつまり強い魔力であり、つまり魔力がこの世界の者に干渉することはない。


 だとすれば、例えリーンシェッテであっても魔法でこの世界の人間を操るようなことは出来ないのだ。



 そうなると、人の姿に戻ったリーンシェッテは文字通りただの人。


 むしろ戸籍や履歴が存在しない分、一般人よりも圧倒的に不利な生活を強いられる。



 現代社会というのは、異世界の人々にとってあまりにも溶け込みにくい場所ということか。



(やっと気付いたか。要は黙っていれば飯をもらえるし働かずに済むこの姿から、なぜ苦労しかない人の姿に戻る理由がないのさ)

(……それだけ聞くと、何だか羨ましいな)

(はは、そうだろう。だが猫には猫の苦労というものもあるのだぞ?)



 目を細め、低い鳴き声を上げるタケル。


 その姿が俺には、大口を開けて笑うリーンシェッテの姿に重なって見えた。



 強大であり優美である為に、その裏にある苦労を見抜くことが出来なかった。


 いや、きっと彼女は自分が抱える問題を隠すのがうまいのだろう。


 そして見事にそれを乗り越え、千年という長い時間を無事に過ごしてきた。



 たかが猫。されど猫。


 俺は改めて、目の前にいる魔女に敬意のような感情を抱いてしまった。



 そんな俺をよそに、再びカウンターを横目で伺うタケル。



(あと、坊は分かっていると思うが)



 俺の耳に入る、こちらに歩み寄る足音。



(ワガハイと同じ悩みを、奴も抱えているということだ)



 足音の方に顔を向けると、嬉々とした様子のフィーちゃんが近づいてくるのが見えた。

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