視点脳

小狸

短編


「――――」


 駅前のカフェは、隣接するショッピングモールのざわめきと、オーダーの声によって、良い感じに打鍵音をかき消してくれる。


 その位置故に土日は満席であることも多いが、今日は空きがあった。作業をするために早めに家を出たからだろうか。それとも天の采配か何か――まあ、カフェで作業をする、勉強をする、というのは、本来のカフェの「飲み物を楽しむ」という趣旨から外れていて、あまり良いとは思わない。無論、そんな思考を誰かに押し付けはしない。ならばどうしてそんな私がこうしてカフェの中で執筆活動に励んでいるのかといえば、まあ、気分転換である。いつも家に引きこもってパソコンと正面切って向き合って打鍵しているが、あまり健康的とはいえまい。だからといってカフェに行くというのも、別段健康的でも何もないのだが、せめて外に出るということで、土日引きこもりの罪悪感を帳消しにしているのかもしれない。


 私は、趣味で小説を執筆している。平日は全く執筆とは関係のない仕事に従事している。土日祝が休みで、福利厚生もある程度きちんとしている。まあ、第一志望ではなかったが、苦もなく4年続けられたということは、多分、合っているのだろう、と思う。


 まあ、仕事は仕事、である。


 皆そんなものだろう。


 そう思って、冷たいコーヒーを一口飲んで、再び画面に集中した。


 平時はパソコンを使って執筆している私だが、今日は少し趣向を変えてみた。


 タブレットにキーボードを有線接続させ、打鍵している。


 有線にするのは、ただのこだわり――というか、こんなことを言うと謙虚ではないことを承知の上で言うが、打鍵速度が無線やBluetoothだと追いつかないのである。打鍵スピードだけは無駄に速いのだ。


 だからといって中身のある小説を書けているのか、面白い小説を書けているのかと問われると、返答に窮する。大抵の場合、私は小説をネット上にアップするか公募に出しているけれど、良い返事が来た試しはない。別に専業小説家になろうと思ったことがないでもないが、企業から内定が出てから、或いは現実を見てから、それは諦めている。


 別にそこまで名を成して、何者かになろうなどとは思わない。


 社会の歯車で構わない。


 それでも私は、私を大切にする方法を知っているから。


 しかし。


 令和の今のご時世、「何者かになる」ということに、どうも躍起になり過ぎているように感じるのだ。


 こぞって人目を集める投稿をして目立ちたいインフルエンサーもどきの壁蝨だになんかがあちこちに湧いているのが、良い証拠だろう。


 そうでなくとも――例えば私の兄は、就職活動に失敗し、実家の自室に引きこもっている。本人は漫画家になると言って息巻いているが、まだ一作も完成させていない。何でも両親から話を聞くところによると、絵の練習をする→飽きる→ネットや掲示板を見に行く、の繰り返しらしい。せめて描けよ、という話である。私ですら、仕事の休日に細々と書いて投稿しているというのに――だ。完成したら僕は漫画家になれるなどと豪語している――現実がそこまで甘くはないことは、皆々も既知の事実だろう。兄は甘やかされ過ぎたのだ。いつでも子どもみたいに、何にでもなれると思っている。


 しょうらいのゆめ、は。


 いつの間にか将来就きたい職業になり。


 そして、進路希望になっている。


 そんな中で、人々は、半ば流されていきてゆくのである。


 そんなに重要だろうか。


 、ということは。


 いや、これはひょっとしたら、企業から内定を取れて、当たり前みたいに仕事と趣味を両立することのできている、私が恵まれているのかもしれない。或いは、執拗に「何者か」になりたいと思い続けるだけの兄を持っているから、誇張されて見えるだけなのかもしれない。


 それでも、時折思ってしまうのだ。


 今、カフェの店内には、色々な人がいる。


 フラペチーノを美味しそうに飲む男女、手帳を確認する仕事着の女性、ピアスを開けている男性、部活帰りの学生、買い物帰りのおばあちゃん、カフェの店員。


 彼らは、強い「何か」を持っている訳では無い。


 その証左に、私は彼らの名前も知らない。


 「何者か」を知らない。


 歳も、所属も、果ては性別だって、見えているものとは違うかもしれない。


 何者かになる――ということは。


 時にそれらを知られる、ということにも等しい。


 積極的に個人情報を開示する――というのは、今の世では相当窮屈な生き方を強いられるのではないか、と私は思う。


 何者にもなり切れず、それでも諦めきれずに、犯罪者として名を連ねる者がいるように。


 私はこう思う。


 だったら、「何者か」になろうなんて、初めから思わなければ良いのではないか。


 「何者か」になろうと思うことそのものが、傲慢なのではないか、と。


 まあ。


 色々と長々と、丁々発止立て板に水、口八丁手八丁、それらしいことを適当に並べた乱文雑文である、好き勝手に解釈していただいて構わない、まあ昨今の倍速視聴の風潮が如く分かりやすく簡潔な結論だけを欲しがる風潮に迎合して敢えて言うのだとしたら。


 要するに私は、こう言いたいわけだ。




 もうちょっと謙虚に生きたいよね。




 別に誰に対してでもない何に対してでもない――この言葉を虚空に投擲して。


 小説を終える。


 家に帰ろうと、私は思った。




(「視点脳」――了)

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