第50話 時の精『クロノア』

 シエナはうろたえながらももう一度グレイに尋ねるが、グレイは力なく微笑むだけだ。


「ごめんねシエナ君……きみを呼んだの、やっぱり私だった」


 静かに、それでいてはっきりと口をするグレイにゼファもシエナも返す言葉がなかった。


 それでもグレイはオーブを見ながらポツリと呟いた。

「そうでしょ……時の精クロノア


 グレイに呼ばれた青いオーブが、グレイに応えるように上下に揺れる。その青いオーブを見て、シエナはハッとした。この青いオーブのことを彼は知っているのだ。


 やがて、青いオーブが淡い光を放ち、人の形へと変化した。現れたのは黒いローブを着た男だ。フードをかぶっているため顔は見えないが、中年の雰囲気を醸し出していた。


「主……」


 グレイを見つめながら、クロノアは静かに呟く。その声も堅苦しい口調もシエナは知っている。他でもない、彼自身をこの世界に連れて来た張本人だ。


「旅人、礼を言う」


 悲しげな顔をしながらクロノアは言う。


「これで、主の願いは叶った」

 それに同意するようにグレイは小さく頷いた。それでもシエナは混乱していた。


「お前……なんなんだよ」


「我か……我が名はクロノア。時を操る精霊だ」


「時を……操る……」


 その言葉で、ようやくシエナの頭で全てが繋がりだした。彼が「主」と呼んだ人物のことも。過去に飛ばされた原理も。そして、彼の主の「願い」だって。わかったからこそ、彼は納得できなかった。


「……自分を犠牲にしてでもこの街を護ることが……お前の主の願いだっていうのかよ……」


 シエナが悔しそうに歯を食いしばりながら、ギュッと拳を握る。その目には大粒の涙が溜まっていた。その涙を浮かべたまま、シエナはクロノアに向けて叫んだ。


「お前が時を操れるなら……もう一度時を戻せよ! そうしたら! 今度こそお前の主を救ってやるから!」


 けれども、彼の請いを拒んだのは、他ならぬグレイだった。


「いいの……多分、過去の私は自分の命を助けてほしいなんて願ってないと思う……そうでしょ? クロノア」


 彼女の問いかけに、クロノアは黙っていた。その沈黙こそ、肯定を意味していた。


 それ以前に、もう彼女にはクロノアを操る力は残っていない。こればかりはクロノアも、召喚士であるグレイ本人もどうにもできなかった。そのため、彼女の運命はもう変えられない。それでも彼女は良いと思っていた。むしろ、この結末こそが彼女の望んだ未来だ。


 ──この国を、助けて。


 クロノアの脳裏には、かつてのグレイの姿が蘇っていた。


 助けてくれたゼファと共に兵士に襲われた彼女は、ゼファ諸共、兵士に切り捨てられた。


 その時、偶然にも魔法陣から出られた彼女は絶命の前にクロノアに請うたのだ。


 ウィスタリアが自分と同じ召喚士だと知っていた彼女は、この国の良からぬ運命を悟っていたのだろう。だから彼女は、時の流れに全てを委ねたのだ。それも、もう気の遠くなるような昔の話だ。


 国が滅びた未来で、クロノアはこの国を救える者をひたすらに待っていた。たった一人で、何十年も、何百年も……そこで現れたのが、シエナだった。


 きっかけは、彼がグレイとゼファを救ったから。彼の勇気と力が、この国の未来を変えたのだ。


「ありがとう、シエナ君……これで、ようやく私も救われる」


 力なく、それでも心のこもったグレイの言葉に、シエナはその場で泣き崩れた。未来を変えた。この国は平和になる。そのはずなのに、溢れる涙はとまらない。


 そんなシエナの嗚咽交じりの涙を、ゼファは黙って聞いていた。黙って聞いていながらも、彼の目からは大粒の涙が流れ出ていた。


 そんなゼファに向け、グレイは優しい言葉でこう告げた。


「ゼファ君……助けようとしてくれて、ありがとう」


 あの時ゼファが彼女を救おうとしなければ、この国の未来はとっくの前に終わっていた。いや、そもそも彼の行動力がなければ、グレイも未来にかけてまで国を救おうとはしなかった。彼女は気づいていたのだ。本当に救いたかったのはこの国ではなく、ゼファだったということに。


 だからこそ、グレイはこれ以上未来に望むことはなかった。もうこの国に、ゼファの命を脅かすものは存在しない。それだけで十分だったのだ。


 息を吐くと、途端に眠気がグレイを襲った。彼女の時間が、残りわずかとなったのだ。あとは、召喚士としての最後の仕事をこなすだけ。


「クロノア……シエナ君を元の時代に帰してあげて」


「──御意」


 グレイの命令に、クロノアが姿を青いオーブに戻す。


 泣いてうつむいていたシエナが顔を上げると、彼の周りに青いオーブが飛び交っていた。「準備はいつでもできている」シエナにはそう言っているように見えた。


「さあ──行って。もう、時間がない」


 グレイが死んでしまったら、精霊との契りが切れてしまう。となると、シエナはもう元の時代には戻れなくなってしまう。グレイはそれだけは断固避けたかった。シエナにはまだ託すことがある。


「──わかってるよ、グレイ」


 グレイが自分に何を望んでいるのか。彼女が口に出さずともシエナは察しがついていた。


「未来は──俺が見届けるから」


 シエナのその言葉に、グレイは満足そうな表情で小さく頷いた。

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