第16話 さっきまで暴れていたのにね
「アイビー、悪いがこいつにも頼む」
「かしこまりました。ところで、この方はどちら様で?」
「シエナ・メイズ。こいつがいなきゃグレイは助けられなかった。いわば俺とグレイの恩人だ」
「そうだったのですか。それは感謝してもしきれませんね……すぐにご用意させていただきます」
シエナに一礼したアイビーは、すぐにキッチンへと戻っていった。
一方、グレイは落ち着きを取り戻したらしく、上品に手でちぎりながらロールパンを食していた。しかし、その視線はシエナに行っている。
「シエナ・メイズ……やっぱり聞かない名前……」
グレイに名を呼ばれたシエナは、顔だけを彼女に向ける。だが、脱力しきっており、目も半開きだ。グレイが初めて見たような鬼気迫る表情は完全に消え失せている。そのギャップがさらにシエナの存在をわからなくさせていた。
「あの……そろそろ彼の説明をしてほしいのだけど……」
よそよそしく言うグレイだが、彼女のことを知りたいのはシエナも同じだった。
「俺も色々知りたいんだけど。特にさっきの──しるふ? なんか瞬間移動してるし」
その言い草にグレイは「え?」と目を丸くさせた。口には出していないが、シエナにはそれが「自分のことを知らないのか」と言っているように見えた。
互いが互いに疑念を抱き始めている。そのことに気づいたゼファは、まずはグレイにシエナの説明をした。
「俺も先ほどたまたま出会ったのだが……ここに迷い込んだ旅の者らしい」
「迷い込むって、いったいどうやってこの街に入ってきたの?」
「さあな……偶然監視がいない時に入ってしまったんだろ。そうとしか考えられない」
ゼファは腕を組みながら、シエナに目を向けた。
だが、当のシエナは「腹減った~」と言いながら再びうなだれている。その緊張感のなさにゼファもグレイも頬を引きつらせた。
間もなくしてアイビーがシエナの分の食事を持ってきた。
「お待たせしました。どうぞ」
トレイにはグレイが食べているものと同じものが置かれていた。
テーブルにトレイが置かれた途端、シエナはガバッとはじけるように起き上がった。
「おお……メシッ……!」
今の今までの死にそうな表情はどこへいったのやら、顔を上げたシエナの目はキラキラと輝いていた。おまけに口にはよだれが垂れている。
「いただきます!」
屈託のない笑みを浮かべならが、シエナはアイビーがくれたパンをかぶりつく。その子供は成人男性とは思えないほどに無邪気だ。とても城の兵士を一人でねじり伏せたとは思えない。
本当にこの人は、いったい何者……?
ガツガツと食べるシエナを見つめながら、グレイはコップに入った水を飲み干す。スープもパンも完食しているから、空腹だった腹もようやく満たされたようだ。
そんなグレイを見て、アイビーは一つ提案をする。
「よろしければ、浴室をお貸ししましょうか?」
「え、でも……ここまでしてもらってシャワーまでお借りするなんて……」
「遠慮はしなくていいのですよ。汗ばんで気持ちが悪いでしょう? 麗しきレディなのですから──ね?」
アイビーの善意にグレイは申し訳なく思いながらも、「それでは……」と椅子を降りた。
「では、さっそく準備をしましょうか。服は──取り急ぎ亡妻のお古になりますが、よろしいですか?」
「はい。ありがとうございます。それじゃゼファ君、シエナ君、ちょっと行ってくるね」
二人に軽く会釈したグレイは、アイビーと共に奥の部屋──アイビーの居住空間へと入っていた。
残ったのはシエナとゼファだけ。不可抗力とはいえ、グレイの説明はゼファに託されたこととなる。
ばつが悪そうに頭を掻きながらゼファがシエナを見ると、シエナは屈託のない笑顔でロールパンを頬張っていた。そんなあどけない表情をされてしまうと、ゼファも気が抜けてしまった。
けれども、認識のすり合わせはしなくてはならない。
「……改めて聞くが、お前はこの街についてどこまで知っている」
「名前が『アクバール』ってことだけかな」
「つまり、ほとんど知らないっていうことだな」
そう言う割にお気楽モードなシエナにゼファはさらに呆れた。こんな様子で、よくこの街に来られたものである、と。無論、彼はシエナの状況など一切知らない。
一息ついて、ゼファはさらにシエナに尋ねる。
「……まず、どこから話せばいいか。いや、むしろお前がまず何から知りたいか聞けばいいのか」
ゼファが崩れた姿勢を正し、前のめり気味に両肘をテーブルについて指を絡める。「なんでも聞いてこい」という意思の表れなのだろう。
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