思い出は宝石のように輝いて、砂上の楼閣のように脆く儚い。そして君が歌い、世界は色付く。
鋏池 穏美
第1話 初恋の彼は少し様子がおかしい 1
「なんなのよもう!」
透き通るような青く長い髪を風にたなびかせ、一人の少女が足早に歩く。悔しそうに歯を食いしばり、目頭にはうっすらと涙を湛えていた。
ここはメリカ国シガン州、湖畔の街ボイガン。大きな大陸の中程に位置し、ユーロン湖とシガン湖と呼ばれる湖に周囲を囲まれ、豊かな自然に恵まれた穏やかな街である──
というのは過去の話で、今現在のボイガンは、草木は枯れ果て、水は濁り、荒涼とした大地が広がっている。国や州という表記で分類されてもいるが、そういった表記が意味をなさなくなってから久しい。
件の青髪の少女が足早に歩くのは、このボイガンで五番街と呼ばれる場所。無計画に密集した建物が迷路のような道を作り出し、慣れた者でなければ途端に迷ってしまうような暗く不気味な一画。その迷路のような路地裏、陰鬱な雰囲気にそぐわない、色鮮やかな花が描かれた白いワンピースを揺らしながら、青髪の少女がずんずんと進んでいく。目頭に湛えた涙は溢れ出し、その切れ長で大きな
なんなのよ!
なんなのよもう!
全然意味が分からない!
これじゃまるで私だけが好きみたいじゃない!
そう心の中で叫びながら、青髪の少女が涙する理由。それは想いを寄せる
せっかく……
せっかく運命的な出会い方したのに!
あんなの恋に落ちるに決まってるじゃない!
初恋よ初恋!
あっちだっていい雰囲気出してたのに!
終末世界で出会った二人が──って流れじゃない!!
それなのになんで……
なんで名前も呼んでくれないのよ!
青髪の少女が脳内で叫んだように、この世界は人類滅亡の危機に瀕していた。いや、今もそうなのだが──
今から百年ほど前、突如として
さらに
青髪の少女の想い人が世界に希望を
かっこよかったな……
きゅんきゅんするってあの時の気持ちだよね……
今でも思い出して胸が熱くなっちゃうよ……
でも……
「……なんで一度も名前を呼んでくれないのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
足早に歩きながらの青髪の少女の大絶叫。その声は五番街中に響き渡り、「なんだなんだ」と五番街に住み着いたゴロツキがぼろぼろの家から顔を覗かせる。
「え? おかしくない? あっちも絶対私のこと気になってるよね? 『君のことは命にかえても守る(キリッ)』『君の笑った顔が好きなんだ(キリッ)』『もう君がいない世界は考えられない(キリッ)』って若干ポエマー気味にキリッてしてたじゃん! そのくせ私にあんまり近付かないし! え? あれ? そういえばなんで近付かないの? え? もしかしてただの思わせぶり屋さんなの? 私が勘違いしちゃっただけなの? え? 嘘でしょ? 私の初恋を奪っておいてポエっておいて……」
青髪の少女が立ち止まり、「私の勘違いとか言わせないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」と再び大絶叫する。
青髪の少女は勘違い──と言ったが、確かに想い人の彼の行動は少しおかしく、何を考えているのかが分からない。青髪の少女に対してあまり近付かず、そのくせ青髪の少女のピンチには必ず駆け付けて助け、「君のことは絶対に守り抜く(キリッ)」「君の声は僕を癒してくれる(キリッ)」「君を悲しませる存在は僕が排除する(キリッ)」と、毎度の如くポエるのだ。そうしてこれも毎度のことなのだが、想い人の彼はすぐにその場を立ち去る。
それに対して青髪の少女は何度も「もっと話したい!」「もっと一緒にいたい!」と叫んでいるのだが──
想い人の彼がそれに応えることはなく、いつも眉間に皺を寄せてその場を立ち去っていた。
「ああもう! 訳が分かんないよ! じゃあなんで毎回助けるわけ!? なんでいつも私が行く場所に先回りして潜んでいるわけ!? え? もしかして遊ばれてるの私!? なんかよく分からないけど『特定の女を落とす遊び』みたいなのを仲間内でやってるとか!? それを遠くから眺めて『ぷーくすくす』してるとか!? いやいや彼は友人がいません! そんなことはあり得ません! え? じゃあなに? 新手の変態さんなの!? 助けた相手がきゅんきゅんしてるの見て……家に帰ってから一人であれやこれやしてるの!?」
青髪の少女の独り叫びが止まらない。そう、青髪の少女は想い人の彼のせいで、情緒が壊れ気味になっていた。と言っても、元から独り言が多い質ではあるが──
青髪の少女が困惑し、情緒が壊れ気味になるのも仕方がないことではある。なぜなら想い人の彼はやはり少しおかしいのだ。
青髪の少女の行く先々に先回りし、そうして危険となり得るものを極力排除して回っている。それが
想い人の彼は
「今日こそ……、今日こそ絶対に逃がさないんだからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
三度目の青髪の少女の大絶叫。少し叫び過ぎな気はするが──
青髪の少女は、叫ぶことで想い人の彼を召喚しようとしているのだ。ここはゴロツキが多く住む陰鬱で物騒な五番街。世界が滅亡の危機に瀕してからは、治安が最低最悪に悪い。殺人や強姦は日常茶飯事であるし、その他諸々の犯罪で溢れかえった場所。だが実はこの五番街が、青髪の少女が初めて想い人の彼に出会った場所。その思い出の場所で想い人の彼を召喚して捕まえ、彼の真意を聞くつもりなのである。
そのためにパンツが見えそうなくらいに短いワンピースを着てきたし、胸を放り出さんばかりにボタンを開けている。メイクもいつもより濃くしたし、甘く蠱惑的な香りの香水だって付けてきた。そんな状態で五番街で叫んでいれば──
「ぐへへ」「うへうへ」と不気味な笑い声を上げ、ゴロツキが集まって来る。その数は見るまに増え、ゆうに三十は超えただろうか。ゴロツキは口々に「たまんねぇなぁ」「久しぶりの若い女だぁ」「最初は誰からだぁ?」「順番……順番にぃ……」と、これから何をするのかを容易に想像できる言葉を呟く。そうしてゴロツキの一人が青髪の少女の腕を掴もうとしたところで──
ゴギンッ! と、ゴロツキの腕が変な方向へとねじ曲がり、たまらず汚い叫び声を上げた。集まった無数のゴロツキが「なんだなんだ」と視線をやれば、そこには一人の男性が立っていた。切れ長で涼やかな黒い瞳が印象的で、鍛え上げられた体が逞しい。年齢は若そうなのだが、髪は白髪混じりの黒い短髪で、手にはなんだか大きな黒い布のようなものを持っている。その男性を見た青髪の少女が「ウッドレイ……やっぱり来てくれた……」と、頬を赤く染めて呟いた。
「だめだよ、こんな危ない場所に来たら。君にこの場所は似つかわしくない」
「だって……あなたに会いたかったから……」
「君にそう言って貰えて僕は幸せ者だな。それより──」
現れた白髪混じりの男性──ウッドレイはそう言うと、手に持った黒い布を広げて青髪の少女をふわりと包み込み、その布の中に手を突っ込んで何やらゴソゴソと始めた。布の中からは「ああ!」「い、いや!」「な、なんで脱がすの!?」「んんっ……!」「きゃあっ!」と、青髪の少女の恥じらいの声が漏れる。そうしてウッドレイが黒い布をどけると、中からは膝丈のワンピースに着替え終わった青髪の少女が姿を現した。もちろん胸元のボタンは全て留めてあるし、デザインは青髪の少女がいつも着ているワンピースとまったく一緒だった。
そう、
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