第9話 マリ、リュカにダメにされる

鼻の頭がぬれた気がして、マリは目覚めた。


「ばうっ!」


目の前には、なぜか巨大犬のベルがいた。


「おはようございます……。でも、なぜここに?」


マリが、ベルの頭からのど元までなでてやると、ベルはうっとりする。


「ベルー?どこ行ったのー?」


声が聞こえてきて、リュカがマリの寝室に顔を出した。


「あら、リュカくん。おはよう」


マリはあおむけに寝そべったベルのお腹をなでていた。ベルは舌を出してよろこんでいる。


「マ、マ、マ、マリー様!?なぜここに!?」


「昨日からここに住んでいるんです」


「ええっ!?ご、ごめんなさいっ!勝手に散歩コースにしてましたっ!」


リュカはすぐに白状して謝った。


「もしかして、夜もお散歩に来てたりします?」


「ええ、たまに……」


なるほど。幽霊が晩餐会を開いているとシモーヌさんが言っていたけれど……。


マリは寝転がっているベルの手を取り立ち上がった。ベルもうれしそうに二本足で立ち上がる。マリとベルはまるでダンスするようにぐるぐると回った。


「わわっ!?」


マリがリュカの手を取ると、今度はふたりと一頭でぐるぐる回る。リュカは最初こそとまどっていたものの、すぐになれた様子になり、楽しそうにぐるぐる回った。


夜中にこうして遊んでいたのを、外から見た人がいたのね。


昨夜ラファが飛びおりた窓を、マリは見た。




昨日朝食をごちそうになったお礼にと、マリはリュカとベルに朝食を作ろうとした。


だが、台所の使い方が分からなかった。自分で火を起こすところから始めなければいけないようだが、いくら頭をひねっても火起こしのやり方は記憶から出てこない。


マリーさんは火起こしをしたことがないみたい。さすがはお嬢様。わたしも当然ないし、どうやらここは引き分けですね。


火打ち石を手にフリーズしているマリを見て、リュカが「あの……ぼくがやりましょうか……?」と言ってくれたので、お願いすることにする。


リュカは、あっという間に火を起こしてしまった。


「すごい」


マリはすなおにおどろいた。


「えへへ」


リュカは、照れ笑いをうかべる。


これからひとりで暮らすというのに、ずっとできないのも困ってしまうので、リュカに教えてもらうことにした。


マリが火打ち石と火打金を手に持ち、その手をリュカに包んでもらって、実際に火をつける動きをしてもらう。


「んっ、むずかしいですね……」


リュカの動きを忘れないうちに、マリもまねして何度もやってみた。しかし、火種は起きない。


「そ、そうですね……」


リュカの手は、子どもだからか、燃えるように熱かった。




結局、リュカが朝食を作ってくれた。


包丁の扱い方がいかにも危なっかしく、リュカに止められてしまったのだった。


マリはベルをなでている。


生活力の低さという点では、わたしとマリーさんは似た者同士みたい……。


「かんたんなものですけど……」


そう言って出してくれたベーコンの入ったタマゴスープは絶品だった。散歩中に見つけたという森の香草が後味を引く。


「おいしいです」


「よかったあ!あっ、パンも温まったみたいなので、どうぞ!」


昨夜食べたクルミパンのうえにチーズをのせたものだ。ほかほかだった。


マリはかぶりついた。


「……!」


言葉を失うほどおいしかった。昨夜食べた時も自然なあまさを感じたが、ちょっと温めることでそれが何倍にもなっている。加えてチーズである。


チーズというのは、なぜこんなにも美味なのであろうか……?


単体でのおいしさはもちろん、サポート役に回ることでメインの食材を何倍にも引き上げてしまう。


ひとりでも生きていける実力がありながら、あえてバディと人生を楽しむ道を選ぶナイスガイ。それがチーズだ!


また森の恵みのクルミと、地の恵みであるミルクより生まれたチーズの相性が当然のように良い。


待って……!クルミを反対から読むと……ミルク!?まるで合わせ鏡のようなふたりが、今わたしの舌の上でめぐり合って……!?


マリは口をおさえ、ときめいた。


こんなの反則だ。


「リュカくん、お嫁さんに来てください」


「はい!?」


「その『はい』は了解のはいで良いんですよね?」


「え……?ええと……」


リュカは真っ赤になって返事に困る。だが、なんとか返事をしようとした。


「失礼。取り乱しました」


「……あ、はい」


リュカは出鼻をくじかれたように落ち込む。


「あまりにおいしくて、変なところにトリップしてしまうほどでした。リュカくん、ありがとう」


マリのほほ笑みを見て、リュカはますます照れた。


ふと見ると、ベルも同じものを食べている。


こんなにおいしいものを毎日食べられるなんて、ベルさんは幸せ者ね。ふつうのワンちゃんなら身によくないのかもだけど、きっと魔狼の一族だからだいじょうぶなのでしょう。それにしても……。


「ベルさんは、量、足りてますか?」


ベルの体にくらべて、量は少ないように思える。


「ああ、ベルはお腹がへったら、勝手に森で狩りをして食べるんでだいじょうぶなんです」


「たくましい」


「この森の主ですから」


「わふんっ!」


ベルはご飯を食べ終えて、満足そうに鳴いた。おいしかった!と言っているみたいで、そのかわいさに、マリはまたもときめいたのだった。




今さらながら、玻璃の館は森のなかにある。だから、リュカたちの散歩コースでもあったのだ。


マリが森のなかを案内してほしいとたのむと、リュカはよろこんでうなずいた。


とりあえず、玻璃の館からリュカの家までを目指して歩く。


当然ながら、整えられた道などなく、あってもケモノ道だった。それがマリにとっては面白い。


「だいじょうぶですか?おつかれになったらいつでも言ってくださいね」


「ええ」


リュカは常に気を配ってくれた。つかれたと言えば、ベルの背中に乗せてくれるだろう。それはいつだってうれしいことだけど、今は自分の足で森のなかを歩くのが楽しかった。


リュカが途中途中で目印になるものを教えてくれる。


ツタだらけの木、見たこともない大キノコ、コケにおおわれている石像、人くらい大きなコウモリが住むという洞窟、突然現れるガケ、その下には川が流れている。


川へと続く道を下って、マリたちは休憩した。


「マリー様、ぜひこちらへ!」


どうしても案内したいところがあるらしく、リュカはいつの間にかつないでいた手を引っぱる。マリはそれがイヤじゃなかった。


もしも弟がいたらこんな感じ?


マリはリュカの小さな後頭部を見て、ほほ笑ましく思う。


「ここです!」


案内された場所は、川の一画を石や岩で区切ったところだった。


そこからは、わずかに湯気が立っている。


「えっ、温泉?」


「そうなんです!この場所は底から温泉がわいてるんですよ!ささ、ここならぬれませんから、どうぞ座って足湯を楽しんでください!」


座る用の平たい石が、つまれていた。マリは言われるがままに、クツをぬいで平たい石に座る。安定性はバツグンだった。


「っ!?」


温泉に足を入れると、いたみにも似た感覚がおそってきた。


だんだんとそれはなじんでいき、今度は逆に、緊張させられた体がときほぐされていく。


「いかがですか?」


リュカがワクワクした瞳で問いかけてくる。


「……リュカくん」


「はい?」


「リュカくんはわたしをダメにしようとしているの?」


「ええっ?」


「なんだか至れり尽くせりすぎて……」


まあ、マリーさんがリュカくんの仕えている家のお嬢様だからなんだろうけど……。


だが、リュカは悩ましげな顔をした。


そして、ある告白を始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る