わたしのブルースクリーン

北見 遥

第1話 カーネル


レポートの締め切りに追われているのに、今日は夕方の5時からバイトが運悪く入っている。テストシーズンにバイトが入るのは困るからシフトはなんとかずらしたかったのだけど、店長からのどうしてもの依頼を断るのは難しかった。

ホールには女の子が一人でもいたほうがお客さんも優しいんだよね、との理由らしい。普段は楽しく働いているので、まあ今回は仕方がないかと恩を売ったのは間違いだったかもしれない。


そんなことを考えながら、キッチンでアイスティーを淹れて窓際の席についた。アパートの窓の外からは朝の暑さに拍車をかけるように鳴いている蝉の声が漏れてくる。集中するために、スマホと接続したイヤホンから動画サイトの音楽を流す。

パソコンを開くと書きかけのレポートが表示された。本当は涼しい図書館にでも籠もっていたいのだけれど、いまは時間が惜しい。レポートは西洋美術史についてで、丸の内で開催されている企画展を参考にしつつ歴史的な変遷を論じよ、というものだった。


構成はある程度考えていたので、自分の思いついた言葉を対話AIに打ち込みながら、使えそうな回答が返ってくるように編集していく。チャットを模したシンプルな画面のAIに思いつく質問を投げては編集を繰り返し、切った貼ったしながらレポートを仕上げていく。


わたしも、時間に余裕があるときには自分の言葉でレポートを書いていくのだけれど、今回はAIの回答を採用する割合が高くなりそうだ。でもこちらにも事情があるのだから許してほしい、美術史の先生。先生の名前は思い出せないけれど、授業自体はそこそこ楽しかったです。





アイスティーとクッキーがなくなったので追加を取りに行く。いつもより早いペースでレポートが進んでいるのが嬉しくて少し高い紅茶を淹れて席に戻ると、心做しか部屋がしんと静かになっているように感じた。イヤホンを取ってみると、さっきまで窓から聞こえていた蝉の声が止まっているのに気づく。窓の外に注意を向けると、外は雲が出てきていて、昼前だというのに日が沈んでしまったような暗さになった。

しばらく外の様子を窓越しから眺めたあと、席に座るとパソコンのスクリーンの端がちらついているのに気がついた。さっきまではなんともなかったのに。

パソコンに接続されているケーブルをひとしきり触って確認し、暑さでおかしくなってしまったかも、と冷房の温度を下げてみたがちらつきは消えなかった。その後もちらつきは大きくなる一方だった。

レポートの残り文字数もあと5000字となったところでノイズは画面全体に広がりとても作業できるような状況ではなくなってきた。うーんと唸ったあと、画面の端を軽く叩くと、一瞬画面が暗転してのっぺりとした青い画面が表示された。

なにかのメッセージが英語で書かれている。ちなみに、わたしは英語が得意ではない。

「あれ、壊しちゃったかな…。」

一人でつぶやく。青い画面に変わってからちらつきは収まったが、パソコンの再起動をかけても必ず同じ画面に戻ってきてしまう。今日を迎えるまでパソコンに不調が出たことなんてなかったのに、大事な締め切りがある時に限って異常が起きるのはなんでだろう。

「終わった…。」

いっきに気が抜けて机に突っ伏す。時計を確認するとしばらくは時間があることが分かった。AIスピーカーに30分後に起こしてと頼むとそのままわたしは目を閉じた。起きたらスマホで続きをやればいいやと朧げに思いながら、昨日の夜から我慢してきた眠りについた。






スヌーズの音を何度か消したあと、背伸びをする。机の上のマグカップを取って席を立ち、振り返ると目の前には白髪に四角い眼鏡のおじさんが立っていた。

「こんにちは。あなたがこのあたりで一番困ってそうだったからお邪魔しているよ。」

マグカップに入った残りの紅茶を口に含んで飲み干してから、わたしは言った。

「…どちらさまでしょうか?」

一呼吸おいたあとでおじさんが言った。

「レポートを手伝ってやろうか。いま全世界で私の不具合が起きているんだが、あなたたが一番困っていそうだからやってきたのだよ。」

「不具合?わたしのパソコンの話をしてる?」

「そうだ、君のパソコンの画面が青白くなって英語のメッセージがでているだろう。これは全世界で私がクラッシュしているからなのだよ。」


まったく要領を得ない会話だった。話している内容は理解できなかったけれど、白髪のおじさんは白の立派なスーツを着ていて身なりはきちんとしている。どことなくあのフライドチキンチェーンの人形に似ていて親近感があった。

わたしはあのチキンがたまに食べたくなるタイプだったのでまだ夢の世界なのかもしれない。とりあえずそう納得して話をすすめた。

「なんでわたしのところに来たの。全世界があなたのせいで困っているんでしょう?」

「そうだね。私のせいで飛行機が飛ばなくなったり、銀行の取引ができなくなっている。」

「どう考えてもそっちのほうが重要そうじゃない?」

「いや、君。レポート終わらせないと留年するかもしれないんだろう。こういう状況で単位落とした人は、10年経って就職しても夢にでてくるものだよ。」

確かにわたしは窮地にある。全世界の困りごとを差し置いて、わたしを助けに来ているなら乗っておいても損はないのかも。本当にこのおじさんがレポートをどうにかできるか怪しかったけれど、その身なりと雰囲気からなんとなく頼もしさを感じた。

「それじゃあ、そのレポートがあと5000字残っているのだけどどうにかできる?」

おじさんは、いいよ。それじゃあバイトに行く準備でもしていなさいと言って、机の上のパソコンに手をかざして目を瞑った。

キーボードを打つわけでもなく本当にただ手を置いているだけだったが、さっきまでどうすることもできなかった青い画面は瞬時に消えて、人間の入力ではあり得ない速さでレポートが出来上がっていく。おじさんの脇に寄って画面をよく見ると、一文字づつ右から左に流れるように文字の羅列が出来上がっていく。

「いいから、君は準備していなさい。これが終わったらこちらから声をかけるから。」

わたしはあっけに取られていたが、促されるままにバイトの準備のために着替えを取りに行った。クローゼットから服を取って来ると部屋全体の空気が乾いていて暑く感じた。おじさんはパソコンから手を離して、ちょうど終わったよ、と言う。確かに画面には加筆された文章がそれらしく書かれていた。

文章の内容を見ると、はじめに考えていた構成はきちんと踏襲されていて、私が書いたと言い張っても全然おかしくない文体が生成されていた。そしてわたしの考えられる枠を出ていないのが自然だった。

せっかく書いてくれるなら高い評価がもらえる内容にしてくれてもよかったのにと思ったが、そこは言わないでおくことにした。

「ありがとう。この一瞬で終わらせたの?」

「その通りだ。これでバイトには間に合うだろう。」

「内容も見たけど、チャットAIとそんなに変わらないぐらい良く出来てる。すごいよ。」

わたしは褒めたつもりでいたのだけれど、白髪のおじさんはむきになったように言った。

「失礼な。じゃあ他の課題もあるだろう。よこしてみなさい。」

「確かに来週までにミクロ経済学の課題もやらないと。でもこっちはわたしの経験も踏まえないといけないから難しいと思うよ。ネットには乗っていない情報だし。」

「大丈夫、今なんのために緊急モードで稼働していると思うんだね。すべてのアクセス権、そしてクッキーを統合して処理できるんだよ。もし君が許可してくれるなら。」

急に早口になったおじさんは、そう言うと、誓いを立てるようにして片手を上げた。

「許可をもらえるかな。」

更に分からない単語が並んだので一瞬考えたけれど、お願いします、とわたしは同じように片手を上げて誓った。

「ありがとう。では早速取り掛かかろうと思うのだが、その前に君の机にあるお菓子とバナナをもらってもいいかな。」

「いいけど、あなた機械なのに、食べ物必要なの?」

「そう、今は緊急モードで動いているので今ここで調達が必要なんだ。私は考え事をするとすぐに腹が減ってしまうのでね。」

そう言うと、おじさんはまたパソコンに手をかざして目を閉じた。


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