ひとりぼっちの部屋
ゆう
ひとりぼっちの部屋
夜中の薄明かりの部屋で、私は机に向かっていた。
グレーのシンプルな壁掛け時計が23時前を指してる。
年明けが近い。
大掃除を済ませた部屋は私が思ったより殺風景となり、少し寂しい。
壁に貼られた可愛いキャラクターが描かれたポスターは、整理された部屋には少し違和感があった。
長く書いてきた手紙もそろそろ終わりが見えてきた。
『この手紙を書いたのは、心配をかけたくなかったからです。
お父さんも、お母さんも、どうか心配しないでください。
私は一人じゃないから。
困ったらお姉ちゃんがそばにいてくれるから。』
そこでペンが止まった。
この先、どう結ぶといいかな。
こういう時は、音読してみるといい。と、小論文の書き方を教えてくれた塾の先生が言っていた。
『困ったらお姉ちゃんがそばにいてくれるから。』
私は無意識にそこだけ声に出した。
私はお姉ちゃんなんか嫌いだった。
「ほら、可愛い妹が困ってるぞ、お姉ちゃん」
私は、私をひとりぼっちにした姉ちゃんなんか大嫌いだった。
でも、「お姉ちゃん」という私の呼びかけに、「どうした?」って答える、そんなとぼけたお姉ちゃんの声が聞こえた気がして、「うそうそ」って付け足して、一人で笑った。
* * * * *
お姉ちゃんがこの部屋をもらった時、私は泣いて両親に抗議した。
その時お姉ちゃんは「あんたには一人部屋は無理だよ」って言った。
それがすごく悔しかったことを今でも覚えている。
3つ離れたお姉ちゃんが中学校に入学するタイミングで、埃まみれだった屋根裏部屋を掃除して、お姉ちゃん専用の勉強部屋が出来上がった。
その当時はこの部屋がお姉ちゃんだけの秘密基地のように見えて、すごく羨ましかった。
お姉ちゃんだけズルい。
今日の夕食だってそうだ。
お姉ちゃんだけ唐揚げが一つ多かった。
いつもお姉ちゃんだけ。
お姉ちゃんなんて大嫌い。
でも、そう言ったあとはいつも、「うそうそうそうそ」って心の中で付け加えていた。
* * * * *
こんな時なのにお腹が空いた私は、そばを作ることにした。
そばは他の麺と比べて切れやすいから、一年の厄や苦労を切り捨てて翌年に持ち越さないように、年越しに食べるようになったらしい。
今の私には不釣り合いなチョイスだったが、私はこれが好きだった。
それに何より簡単。
だってカップそばだから。
最後の食べ物にカップそばを選ぶあたり、我ながら変わっていると思う。
中学1年の大晦日、スープもかやくも全部一緒に入れてお湯を注いだら、お姉ちゃんに笑われた。
「かやくは後で」って、そこで初めて知った。
だっていつも食べてるラーメンは、最初から全部入ってて、お湯を注いで3分待つだけのやつだもん。
でも、笑われながらお姉ちゃんと一緒に作った年越しカップそばは、それから私の大晦日の定番となった。
お姉ちゃんが作ってくれたカップそばは、なぜか美味しかった。
「私が作ってるやつには隠し味を入れてるからね」
そんなくだらない冗談が、お姉ちゃんは好きだった。
でもそんなお姉ちゃんのカップそばを年越しに食べたのは、2回限りとなったのだけれど。
* * * * *
お姉ちゃんが高校に行けなくなったのは、3年生の6月だった。
何があったのかは、実際のところ、私はよく分っていない。
家にいるお姉ちゃんは私のよく知っている、相変わらずくだらない冗談が好きで、私のことをばかにして、笑っているお姉ちゃんのままだったから。
でも、夜になると毎晩のように学校に行く両親を見ていたら、いじめかな、ってそう思った。
夏休み開けまで、お姉ちゃんは田舎のおばあちゃんの家に住むことになった。
私には、「田舎の方が誘惑が少くて、受験勉強がはかどるから」という、お母さんからの説明があった。
そして私はこの部屋をもらった。
念願だった屋根裏部屋は、お姉ちゃんが当時ハマっていたバンドやら、キャラクターやらのグッズで埋め尽くされていた。
でも6月まで参考書や問題集が山積みになってたお姉ちゃんの机は閑散としていた。
おばあちゃんの家に持っていったのかな。
それとも全部捨てたのかな。
そんなお姉ちゃんの机の横に、千羽鶴が飾られていた。
実際には千羽どころか三百羽あるかどうかも怪しいけど、それでも丁寧に色が揃えられいた。
同級生が心配して作ってくれたというこの千羽鶴を、担任の先生が家まで届けて来たときには、お父さんの怒鳴り声が聞こえてきたのを覚えている。
お姉ちゃんがほしいのはそんなのじゃなくて、もっと、あの、そのーーー。
この違和感を、私はうまく言葉にできなかった。
でも同時に、「せっかく作ってくれたんだし、先生もわざわざ届けてくれたんだから受け取るよ」というお姉ちゃんの声も聞こえてきた。
あのときの千羽鶴だ。
きれいに折られたそんな千羽鶴の数羽が、妙に不格好なことに私は気がついた。
多分、きれいに折られていたのをお姉ちゃんが開いて、また折り直したんだと思った。
お姉ちゃんがどうしてそんなことをしたのか、私にはなんとなく分かった。
私は、そっと、お姉ちゃんが折り直したのとは違う一羽を選んで、開いた。
たまたまこの1羽がそうだったのかもしれない。
私が選んだのは、数百羽分の1羽だったのかもしれない。
でももしかして、この千羽鶴全部がそうなのかもしれない。
千羽鶴の裏には、「死ね」と、赤い文字でそう書いてあった。
* * * * *
私が作ったカップ年越しそばは、当たり前だけど、毎年食べているもとの同じ味がした。
もう、「かやく」を「火薬」だと勘違いしてお姉ちゃんに笑われることも、かやくを入れるタイミングも間違えることもなかったけど、今年もお姉ちゃんの味にはならなかった。
カップそばの湯気が天井にのぼっていった。
この部屋を私が使うようになって3年。
「ほら、あんたには一人部屋は無理だったでしょ?」
そう言って笑うお姉ちゃんの声が天井から降ってきた。
ばか姉貴。
「お、それいいじゃん。カッコいい!」
ばか。
ばかばか。
お母さんたまに泣いてるんだよ、私がいない時。
でも私が行くと笑うんだよ。すごく無理して。
「知ってる。ばかだよね、私」
ばかだよ。
でも、私もばかだった。
お姉ちゃんの言う通りだった。
一人部屋は寂しい。
ねえ、お姉ちゃん聞いて。
『この手紙を書いたのは、心配をかけたくなかったから』って書いたけど、ちょっと違うんだ。
本当は理由なんてなかった。
私には生きている理由がなかった。
この屋根裏部屋は静かだから、いろいろ考えちゃうんだ。将来のこととか、自分が何したいんだろうとか。
でも何も浮かばないの。
おかしいの。
大学に入ることだけが人生のように感じる。
なんかね、そう考えてたら、静かで、耳が痛くなるの。
ヒーターの音だけがやけに大きく聞こえてさ。
そのうち秒針の音が聞こえてくるの。なんでこんなに大きく聞こえるの?ってくらい。
私だけ、この世界に置いていかれてるみたいなんだよ。
でもなんなことを聞いてくれるお姉ちゃんはもういなくて。
それなのに、お姉ちゃんの年齢を超えて私は生きようとしている。
どうして一人でいったの?お姉ちゃん。
私は連れて行ってくれてもよかったのに。
ねえ、お姉ちゃん。
答えてよ。
もう、なんの声も聞こえなかった。
涙が一粒こぼれて、手紙の『お姉ちゃん』の文字を滲ませた。
それを慌てて拭いて、そういえば封筒が必要だったことに気がついた。
私はもう何も入っていないって知っている、今は私のものになった机の引き出しを開いた。
折り鶴が一羽入っていた。
お姉ちゃんが大好きだった青色の、折り鶴だった。
机の中は全部片付けたのに。
何度も確認したのに。
こんな目立つものを残すわけがないのに。
几帳面に角を合わせて折ってあったあの日の折り鶴とは違って、すごく不格好な折り鶴だった。
お姉ちゃんは遺書を残さなかった。
だから、私はちゃんと残そうって思った。
だから、今日一日かけて、長い手紙を書いてきた。
これはお姉ちゃんが折ったものだって、なんとなく思った。
お姉ちゃんはちゃんと残してたんだ。
そっか、お姉ちゃんは不器用だったもんね。
手先も、生き方も。
私だってそうだよ。
そうつぶやいて、私は、その青い折り鶴をそっと開いた。
誰に宛てたのだろう。
両親なのか、私なのか、それとも自分自身になのか。
懐かしい、癖の強いお姉ちゃんの文字で、私の遺書の結びと似てるけど、少しだけ違う言葉が書いてあった。
『でも本当は生きたい。私はひとりぼっちだけど、一人じゃないから。』
文字が涙で滲んだ。
カッコ悪いと思ってあの日から必死にせき止めていた涙があふれた。
誰も分かってくれない私の心を、お姉ちゃんがだけが分かってくれた。
つっかえ棒をなくしたように流れる涙をもう止めようとはせずに、机に突っ伏して、私は泣いた。
自分の思いが伝えられなくて、分かってもらえなくて、誰ともつながっていないって感じていた。
それはとても辛くて、胸が張り裂けそうになるほど苦しい。
私はひとりぼっちだった。
でも、お姉ちゃんもひとりぼっちだったんだ。
あの時はうまく言葉にできなかった思いが、今なら言える。
お姉ちゃんが欲しかったものは、千羽鶴でも励ましの言葉でもなくて、ただ、そっとそばにいてくれる人。
だからこんなにも哀しかったんだ。
私もただ、誰かにそっとそばにいて欲しかったんだ。
でも最初から分かってたじゃないか。
『お姉ちゃんがそばにいてくれるから。』
ひとりぼっちが二人いたら、それはもう、ひとりぼっちじゃないから。
私はひとりぼっちじゃなかった。
これからも、ずっと。
だから私は、一人で手紙の続きを書こうと思った。
涙をぬぐった。
両親宛てに書いていた手紙だけど、今から書く言葉は、私自身へ宛ててだ。
もしかして、お姉ちゃん宛てなのかもしれない。
今日一日かけて長く書いてきた手紙の前半部分はほとんど覚えていない。
でも、今から書く最後の一文は、忘れない。
どうしてそう思ったか、一生忘れずにいるから。
ありがとう、お姉ちゃん。
私はそうつぶやいて、シャープペンシルを握った。
シャープペンシルをノックする音と、新年を告げる時報とが重なった。
ひとりぼっちの部屋 ゆう @youme07
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