青春はきっと、異種族のありふれた世界でも変わらない

鷸ヶ坂ゑる

編入編

第1話:オークの教師

 転入初日からやらかしてしまった。

 狼塚遥斗おいのづかはるとはガッツリと寝坊していた。今日は高校の始業式で、しかも二年生からの編入だ。余裕を持って来るようにと学年主任に口を酸っぱくして言われていた。

 だが、既に手遅れだ。

 部屋から出ると、既に同居している従姉弟の姿はなく、テーブルの上には実に日本らしい焼き鮭に卵焼きの皿が置かれていた。マンションのLDKに置かれた食事用のテーブルに座ると、遥斗はそそくさと腹に詰める。大欠伸をしながら人間族用のブレザーに袖を通した。

 鏡の前で、黒髪のウルフにカットされた髪の寝癖を軽く整えた。灰色の瞳とそれなりに整った顔立ちはドイツ出身の父親譲り。左目の下にある二連の泣きぼくろは母親譲りだ。

「行ってきます……」

 誰もいない部屋の中に向かって言うとドアを開ける。そして、ホールで六階までエレベーターが上がってくるのを待った。やっとエレベーターが上がって来た時には時間は八時だ。高校の場所も一度春休みに行ったっきりで大して覚えていない。

 確実に遅刻である。

 エレベーターが到着したことを告げるベルの音ともにドアがゆっくりと開く。そして、乗り込もうとした時、「待ってええええ!」と叫び声が聞こえてきた。

 正面からブロンドの髪を右側でサイドポニーにした女子高生が走ってくる。息を上げ、そのハイスペックな胸部を跳ねさせていた。

 (朝から眼福ご馳走様ありがとうございます)

 心の中で女子高生と神様と言う不確かな何かに感謝し、開くを押した。そのつもりだったが間違えて閉じるを押してしまい、声の主はガッツリとドアに挟まれてしまった。

「あ……すみません。ボタン間違えました」

「いててて……大丈夫です、はい……」

 しゃがみこんで頭を抑えている女子高生の後ろでドアが閉まり、エレベーターは一階へとむかっていく。とても気まずい気分で、遥斗は女子高生から目を逸らした。のだが、遥斗は綺麗な二度見をしている。

 そう、あろうことか、その女子高生の制服は今日から彼が通う学園のものだったからだ。

 白のカラーの入った灰色のジャケットにブラウス。首元には赤いネクタイがヨレヨレで巻かれている。スカートはネクタイと同じ垢のチェック柄だ。

「あの、すみません。筑紫ヶ丘学園の生徒ですよね?」

「えっ、はい──って、君も?」

「はい、そうです。俺は狼塚遥斗、よろしく」

「あ、私は星月ほしづきセレン。見ての通り、エルフよ」

 自己紹介をしてきた少女の耳を見ると、彼女の言う通りエルフ族特有の長い耳をしている。瞳の色は青色で、目の形は綺麗なアーモンド型だ。彼女もエルフ族の例に漏れず、美少女という言葉がふさわしいだろう。

「俺は……あー、その、見たまんまです」

「ふぅん、人間族?」

「まぁ、そんな感じ」

「赤、なんだ」

「赤?」

「あ、ごめん。えっとね、赤っていうのはネクタイの色で、一年生は青、二年生──私たちだけど赤。それで三年生が緑なんだ」

「なるほどね。てことは、君も二年生ってことか」

「そうだね! よろしくね!」

 手を差し出されて遥斗は躊躇うが、握手を返した。

 その時、一階に着いたエレベーターはゆっくりとドアを開けた。すると、このマンションの年配の女性オーナーの姿が現れた。

「あらあら、若いわねぇ」

「あ、オーナーさん、おはようございます!」

「ち、ちちち、違うんです! えっと、とにかく違うからぁ!」

 何が違うんだろうと遥斗は疑問に思う。

 と言うより思い切り振りほどかれた手を壁にぶつけて痛い。

 手をさすりながら遥斗は一足先にエレベーターから降りる。すると、その後をずっこけながら女子高生が降りてきた。玄関ホールから出ると遥斗は地下鉄の駅へと向かおうとする。

「確か駅はこっち──」

 急に袖をセレンに引っ張られて、遥斗はふらついていた。セレンは急いでいる様子で、説明もなく遥斗を引っ張っていく。

「あの、星月さん?」

「こっちの方が近道なの! 私に着いてきて!」

「あ、うん」

 無言のままセレンの後ろをついて行き、裏道を抜けて行く。すると、予定よりも大幅に時間を短縮して駅までたどり着いていた。セレンは一度腕時計を確認すると、「ひいっ!?」と声をあげる。

「狼塚君、だっけ? あと一分で次の電車来ちゃうから! 急いで!」

「あ、はい」

 正直な話、もう遅刻してもいいかと考えていたが、遥斗も走ってセレンの後ろを追いかけていく。そして、ギリギリのところで電車へと飛び込んだ。

 セレンは両膝に手を着いてゼェゼェと苦しげに肩で息をしている。一方の遥斗は軽く息が上がったくらいで涼し気な顔をしていた。

「はぁ……はぁ……狼塚君って体力あるんだね……? もしかして陸上部とか?」

「体力は普通だと思うよ。別に運動部だったわけでもないし」

「そっかぁ……」

 ハンカチで汗を拭きながらセレンは空いている席を探す。まだ通勤ラッシュ中だったが、運良く一席だけ空いている。だが、遥斗が一緒だということもあり、一人で座るのは申し訳なく思ってた。すると遥斗の方から先に声をかけてきた。

「星月さん、あそこ空いてるよ」

「うぇっ!? い、いいよ。私だけ座るの悪いし……」

「じゃあ、俺が座る──」

「あ、わ、私が座りますぅ!」

 思わず声を上げてしまい、乗客の視線がセレンへと集まっていく。顔を真っ赤にしながらそそくさとセレンは席に座った。周りには人間族の他にもドワーフやエルフ、オークの様々な種族が電車に乗っている。

 田舎から引っ越して来たばかりの遥斗にとって、同時にいろんな種族が同じ空間に揃っている光景は珍しいものだ。遥斗が引っ越してくる前の地域はほとんどが人族で、今までに見たことがあるのは、家を建ててくれたオークの大工、エアコン修理に来てくれたドワーフくらいだ。エルフ族を見たのは、遥斗にとって初めての経験だった。

「あのさ、狼塚君ってずるいよね」

「何が? というか、初対面の人にそんなこと言われたの初めてだ」

「あ、ごめん」

「別にいいよ。ところで、星月さんって毎朝遅刻しそうになってるの?」

「えへへ……昨日はちょっと遅くまでアニメみてたら、ね? だ、だから毎日じゃないよ?」

「なんで疑問形なんだよ」

「なんでだろ?」

 二人は揃って吹き出していた。

 途端にうるさいと言わんばかりの周りの視線を感じ、二人は黙り込んだ。喉元過ぎればなんとやら、セレンは声を落とすと遥斗に話しかけていた。

「そういえば、狼塚君も六階に住んでるの?」

「うん、607号室」

「えっ、隣じゃん。私、608号室なんだよね。あれ? でも、607号室は……」

 以前607号室の住人とすれ違ったが、その時は黒髪ロングの女性だったのを思い出す。軽く世間話をしたのだが、独身でOLをやっていると聞いていた。そうなると、つまり遥斗とその女性は禁断の恋をしてるのではとセレンの脳内はお花畑になっている。

「ああ、従姉弟の部屋に同居してるんだ」

「なんだぁ、そっかぁ」

「なんで残念そうなんだよ」

「そりゃ人の恋路ほど気になるものはないからじゃない!」

「ドヤ顔で言うことじゃないぞ?」

「えへへへ」

「別に褒めてねぇぞ?」

 二人は筑紫ヶ丘学園前駅に着くまで他愛のない話を続ける。駅に着くと、改札をぬけてバスに乗り換えた。駅までくると、筑紫ヶ丘学園の生徒が増え、次々とバスへと乗り込んでいた。

 さっきセレンから聞いていたおかげか、ネクタイの色で遥斗は何年生か見分けが着くようになっている。例えば、斜向かいにいるホビット族の男子は小さく見えても緑のネクタイをしていることから三年生だとわかる。後ろの方で小さくなって身をかがめて座っているオークは青色のネクタイだから一年生だ。だが、ふと疑問に思って遥斗はセレンに話しかけていた。

「来年の一年生は何色なんだ?」

「緑だけど。再来年の一年生は私たちと同じ赤で、順繰りで色が変わるんだよ」

「そういうことね、ありがと」

「どういたしまして!」

 疑問が解けたところ、バスが止まり次々と生徒が降りていく。流れに沿って遥斗たちもバスから降りると、数日前に制服諸々を受け取りに来た時に見た校舎が現れる。

 地元の校舎より都会にあるこっちの方がグラウンドが小さく見えるが、そこはかとなくオシャレ感というものを感じる。

「狼塚君、職員室は分かるよね?」

 生徒用の昇降口に向かうセレンと正面玄関へ向かう遥斗。分かれる直前に思い出したかのようにセレンは声をかけた。「大丈夫」と返事すると「またね」とセレンは手を振って昇降口へと向かった。

 心做しか遥斗は寂しさを感じながら、正面玄関へと向かう。靴を来客用の靴箱へと入れると持ってきていた上履きに履き替える。指定された上履きのつま先は赤く、なんで赤なんだろうと思っていたが今ならその理由が理解出来た。

 正面玄関から入ってすぐのところが職員室だ。

 スマホで時間を確認すると、朝の八時二十八分。

 三十分には登校し、四十五分からは朝のホームルームが始まる。少し遅れたかなぁと思いながら遥斗はノックして引き戸を開けた。

「失礼します。おはようございます。今日から編入する狼塚遥斗です」

 挨拶をした瞬間、教師の視線が集まり遥斗は居心地の悪さを覚える。だが、直ぐに教師の一人が「こっちに来なさい」と声をかけた。その声の元に行くとそこには巨体の教師が体に合わない小さな椅子にちょこんと座っている。

 黒縁のメガネをかけてた男性の巨体の教師はどう見てもオーク族だ。オーク族はその巨体とパワーから建築業、警察官、もしくは消防官として働いているものが多い。遥斗は初めてオークの教師というものを目にしていた。

 そんな遥斗の反応に気づいたのか、彼は苦笑するが直ぐに優しげな笑みを浮かべる。今までに見たとこのない物腰が柔らかく、温かな口調と声でオークの教師は遥斗に話しかけた。

「初めまして、狼塚遥斗君。私はグレゴール・ストーンヒルだ。見ての通り、オーク族だ。今日から君の担任になる、よろしく」

「あっ、よろしくお願いします」

「はっはっはっ、そんなに緊張しなくてもいいよ。取って食ったりしないさ」

「いえ、別にそんなことは……」

「はっはっはっ、ああ、そうだ。九時から始業式が始まるが、君はしばらく私と行動してもらう。クラスメイトとは別に始業式に出て、その後のホームルームで紹介することになっててね。むさっ苦しいおっさんと一緒なんてすまんな!」

「あ、ああ、いえ、大丈夫です」

「おっと、すまない。良かったら座ってくれ」

 遥斗が立ったままなのに気づいてグレゴールは丸椅子を用意する。まるでおもちゃのように軽く人差し指と親指でつまみ上げると遥斗の前に置いた。

 なんだか世間の言うオークとは全然違うなと遥斗は感じていた。そんな視線にもグレゴールはやはり気づいている。

「珍しいだろ? オークの教師なんて」

「そうですね、初めてお会いしました」

 なんだか、グレゴール相手に取り繕っても無駄な気がして、遥斗は正直に思ったことを言うことにした。メガネの奥の黒い瞳は優しげだが、心の奥まで見透かしてくるように思える。

「実はね、この校舎を建てたのは私の祖父で、改築したのは父なんだ」

「そうなんですね。ん? ストーンヒル?」

「気づいたかい? 私はストーンヒル建築の社長の息子さ」

「ええっ!? なのに社長を継がなかったんですか!?」

「それよりも、私はやりたいことがあってね」

「それで教師ですか?」

「そうだね。苦節十年、やっと夢が叶ったよ」

 苦労をしてきたというのに、グレゴールはカラカラと笑っている。遥斗はなんだかこの教師なら好きになれそうだなと思っていた。

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