第51話

 あれ? 熱くない?


 詩兎は恐る恐る双眸を開く。

 周りの板張りの床が焦げているが自分はどこも怪我がない。

 手も足も顔も、衣服すら焼けておらず、詩兎は不思議で目を瞬かせた。


 周囲も無傷の詩兎に騒然としており、一体何が起きたのか分からない様子だった。

 その時、ふと瑛の存在を思い出した。


『あなたは竜眼石は効かないのですし』


 確か、あの夜に露火はそう言っていた。

 そういう体質がもしかしたらあるのかもしれない。


 私もそうなの……?


「な、何で……何で平気なのよ⁉」


 まるで怪物を見るような目で華陽は叫んだ。

 

 私だって死んだと思ったわよっ!


 詩兎は心の中で怒鳴る。

 自分でも一体何が起こっているのか分からないのだ。


「やり過ぎましたね。大丈夫ですか?」


 そう言って階段を下りてやって来たのは露火だった。

 露火の赤い竜眼石が淡い光を放っているのを見て、詩兎を攻撃したのは露火だとすぐに分かった。


「どういうことですか?」


 詩兎は露火に訊ねると、露火が口を開く前に華陽が露火の胸に飛び込んだ。


「露火様! 私、すっごく怖かったです!」


 甘ったるい猫なで声で華陽は言った。

 男に媚びるいつもの手法で芸がなさ過ぎるのではないかと詩兎は思った。


「そうですか」


 淡白な声で露火は答える。

 そこまではいつものことなのだが、驚くべきことに露火が胸に飛び込んできた華陽の背に手を回したのだ。


「⁉」


 それを見た詩兎は膝から崩れ落ちた。

 

 裏切られたの……? 今までのことは全部嘘だったの……?


 私の作品で最高の華祭りにしたいと言ったのは嘘だったの?

 私を妻にすると言って私に触れたのも全て嘘?


 目の前が真っ暗になり、絶望感に襲われる。

 打ちひしがれる詩兎を横目に華陽がほくそ笑んだ時だ。


「どこも怪我はないはずですが。腰が抜けたのですか? それは悪いことをしましたね」


 露火は華陽の背中に手を回し、そのままぺいっと引き剥がして突き飛ばす。


「きゃあっ」


 突き飛ばした華陽は尻餅をつくが、そんなことには目もくれず詩兎の側に歩み寄り、身体を支えて立たせてくれた。


「大丈夫ですか? 驚かせ過ぎましたね」


「…………とりあえず、何が起きてるのか教えて頂けますか?」


 もう、本当に一体どうなってるんだ。


 詩兎はもう訳が分からない。


「ちょっと、露火様! 一体、どういうことですの⁉」

「そうですぞ! どういうおつもりですか⁉」


 焦げた床に座り込んだまま華陽は抗議する。

 人混みを搔き分けて華陽に駆け寄って来た陶辰も一緒だ。


「どうもこうも、妻となる人が疑われているので無実を証明するためにここへ」


 露火が見せつけるように詩兎を抱き寄せるので周囲は別の意味で騒然とした。

 菊陵庵の一件でも同様の発言をした露火だが、あの場で箝口令が敷かれたために詩兎が露火の妃になる予定であることは周知されていないのだ。


『周知させるのに相応しい場がありますので』


 しかしこれだけ多くの人の前で発言したということは今がその時なのだろう。


 こんな騒ぎの中での宣言では周囲も混乱するに決まっている。

 今がその相応しい場であるかは詩兎には疑問である。


「妻ですと……⁉ それは華陽のはずでは……」


「そうです! 私を妻にすると言ったではありませんか!」


「俺はそんなこと一言も言っていませんよ。『桜家の娘を』と求めたのは事実ですが。そちらが勝手に勘違いしただけです。元々、研磨師としての腕を評価したからであり、妻として求めたつもりはないですし、研磨ができないあなたはお呼びでなかった」


 勘違いもいいところだ。

 どうも華陽達は『桜家の娘』という文言を当然華陽のことだと思い込んだらしい。

 実際、露火は腕の良い研磨師を求めていたので研磨ができない華陽ではなく、最初から詩兎が欲しかったのだ。


「俺の婚約者だと有り得ない噂を広め、妃であるかのようにあちこちで振舞っていたようですね。非常に不愉快でした。我慢するのが大変でしたよ」


「何故、敢えて勘違いさせたままでいたのですか……」


 詩兎は呆れた視線を露火に向ける。


「勘違いしたままの方が真実を知った時の絶望が深くなるでしょう?」


「…………露火様……」


 爽やかな顔で言ってのける露火に詩兎は引いた。

 分かっていた。こういうえげつない所がある人だということは。


 真実を知った目の前の親子の絶望の色は確かに濃い。

 しかしこれで黙る華陽ではない。


「その女は不義の子よ! 竜血でなければ貴族じゃないっ! だって、竜眼石を扱えないんだもの! 皇族と結婚できる身分じゃないわっ! 私は水の竜眼石を扱えるもの。こんなに素晴らしい研磨の技術もある! 私以外にあなたの妃に相応しい女はいないわ!!」


 華陽は詩兎の弱点を並び立てた。

 そして私こそ露火に相応しいと主張する。


 髪を振り乱し、血眼になる華陽に露火は冷たい視線を注いだ。


「研磨の件ですが、桜華陽。あなたが提出した作品は盗品であることが分かっています」


「何ですって⁉」


 露火の言葉に華陽が取り乱すのが分かった。

 すると露火の側近である鋼牙が一人の男性を連れて来た。


「あ、あなた様は……!」


 詩兎はその男性を見止め、声を上げる。

 男性は華陽が提出した作品をまじまじと見つめ、深く頷く。


「竜王殿下、この度は深く感謝申し上げます。詩兎、そなたにも」


 現れたのは菖家の当主である菖畝山であった。

 

「この青い薔薇は孫娘の婚礼祝いの品として桜詩兎に一年以上前から制作を依頼したものです。緑の竜眼石は孫娘を、青い花を婚約者に見立て、互いが支え合い家門の繁栄と二人の幸せを願う意味を込めた品。受け渡し間近になり、桜家の職人達からこれが盗難にあったと謝罪連絡を受け、探しておりました」


「そんな! 嘘よ!」


「そうだ! そんな事実はない!」


 華陽と陶辰は往生際悪く、否定した。

 おそらく、二人は職人達に受け渡しの日を延期してもらえ、とでも言われたのだと思う。

 しかし、そこで素直に従わないのが六孫だ。

 事実を知りつつ、『盗まれた』ことにしたのだろう。


「証拠はここに。花弁の裏に孫娘と婚約者の名前を彫ってもらった。この世で一つしかない桜詩兎の傑作だ」


 詩兎はその言葉に胸が熱くなる。

 それと同時に菖家にこの青薔薇が無事に渡ると思うと嬉しさと安心感で胸が一杯だ。


「殿下! この者達の戯れ言を聞いてはなりません!」


「そうです、殿下! 不義の子の言葉など聞く必要はありません! 皇家の血も流れる正当な血筋の私と、どこの馬の骨か分からない女の―――」


 そこまで口にした所で華陽は言葉を切った。

 正確には恐怖で言葉を失ったのである。

 

「黙って聞いていれば随分と無礼な女だ」


 詩兎の視界に蘇芳色の髪が広がる。

 詩兎よりも濃くてはっきりとした鮮やかな蘇芳色の髪は日の光で白っぽくなり、詩兎と同じ色になって見えた。


 詩兎や露火を背にして華陽に正面から剣を突き付けた蘇芳色の髪を持つ男の声に詩兎は聞き覚えがあった。


「⋯⋯瑛?」


 詩兎はポツリと呟く。

 すると男はくるりと振り返り口元に笑みを浮かべた。


「よお、詩兎。市の日ぶりだな」


 詩兎の予想した通り、蘇芳色の髪をした男は瑛だったのだ。


「だ、誰だ貴様は!」


「知らないのですか? 隣国の皇太子でいらっしゃる瑛珠様ですよ」



「えっ!?」


 嘘でしょ!?


 てっきりどこかの良家のお坊ちゃまだと思っていた詩兎は瑛の正体に心の中で悲鳴を上げた。


「誰が不義の子だって? 詩兎はれっきとした虎江国の皇室の血とこの国の皇室の血を引く娘だ。詩兎を侮辱する発言は我が国を侮辱するものだと心得ろ」


 突然現れた瑛珠と瑛珠の発言によって会場は大混乱に陥った。


「以前、この国と虎江国の和平のためにこの国は竜眼石が採れる土地を、虎江国は二人の姫を互いの国に差し出しました。しかし、二人の姫は道中賊に襲われ、幼い姫が行方不明になりました。彼女は運良く研磨師の夫婦に助けられ、その後夫婦の取り引き先の貴族に預けられます。そこが詩兎の母君のご実家です」


「その幼い姫が私の母⋯⋯ということですか?」


「その通りだ。道中に賊に襲われたのは一緒に嫁いだ姉姫がここの先王が自分より妹を選ぶ可能性を潰すため。命を狙われていた妹姫は自分の正体を世間に知らせないでくれと頼み込み、隠し通したんだ」


 露火の説明に瑛珠が補足する。


「そんな⋯⋯嘘よ! そんな訳ないわ!」


「嘘じゃない。詩兎はこっちの皇室の血が濃い。蘇芳色の髪と虎江国皇家特有の青い目、極めつけは詩兎には竜眼石の攻撃が通じない。白虎神獣の加護があるからだ」


 この国に竜神の加護があるように虎江国にも白虎神獣の加護がある。


 それは如何なるでも術でも無に返す特殊な力だ。


 白虎神獣の加護がある虎江国で竜眼石が使えず、長い戦争の末、結局侵略することができなかったのだ。



「あれだけ派手に攻撃してもかすり傷一つできませんでした。虎江国の血筋である証拠です。詩兎が竜眼石を扱えないのに研磨はできるのも虎江国の血が関係してるのでしょう」


 何となく気付いてたけど、やはりあの炎は露火様の仕業だったのね。


 確証があったのだろうが、もし外れていたら詩兎は今頃焼死している。

  

 怖っ⋯⋯!


 本当に露火は容赦がない。

 加減というものを知らない。


 困った人だわ。


 詩兎はこの先ずっと露火と付き合っていかなければならないと思うと少し気が重くなった。

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