永遠の16時59分
雨宮悠理
遥の時間
窓から差し込む朝日が、黒板に反射して目が痛い。遥はゆっくりと顔を上げ、周囲を見回した。クラスメイトたちは、いつもと変わらない会話を交わしている。
「ああ、また始まったんだ」
遥は小さくため息をつく。一週間前から彼女の人生は狂い始めていた。毎日16時59分に死を迎え、そして翌朝、いや、同じ朝の8時に目覚めるのだ。何度も何度も、同じ一日を繰り返している。つまり一週間前とはいってもあくまでも体感時間での話であり、実日では日付の経過はない。
「遥、おはよう」
背後から声をかけられ、振り返る。クラスメイトの
「おはよう」
遥もなんとか疲労を悟られないように振り絞った笑顔で挨拶を返す。この繰り返しの日々の中で、唯一変わらないものがあるとすればそれは彼女だろう。沙織は遥が死を迎えるたびに、必ず彼女の側にいてくれるのだ。それがどれだけ心強いことか。
「ねえねえ、今日一緒に帰らない? 駅前に新しいカフェができたんだって!」
鈴木沙織は目を輝かせて言った。彼女は遥の親友だ。少なくとも遥はそう思っているし、沙織もきっとそう感じてくれているはずだ。しかし、この日々の中で、彼女の笑顔を見るたびに遥の胸は痛む。
「ごめん、今日はちょっと用事があって……」
「そっかー……じゃあ仕方ないか」
残念そうに肩を落とす沙織を見て遥は罪悪感を覚える。本当は一緒に帰りたい、けれど。実は沙織とカフェに行く展開も既に経験済みだった。その時の結末は、言うまでもない。
遥はまったくの無意識で深いため息をついた。
「どうしたの?また悪い夢?」
沙織の心配そうな表情に遥はハッとして苦笑いを浮かべる。説明しても無駄だ。明日になれば、いや、もう一度今日がやってきたならば、沙織はすべてを忘れてしまうのだから。
「ううん、ちょっと寝不足なだけよ」
そう言って立ち上がった瞬間、遥の頭に昨日の「今日」の記憶が蘇る。交差点で車にはねられ、冷たいアスファルトの上で息を引き取った。その痛みと恐怖が、まるで体に刻み込まれたかのように残っている。
遥は震える手で制服のスカートをなでつける。もう一度死ぬのか。今日はどんな死に方をするのだろうか。そんな不安が、彼女の心を締め付ける。
「……ねえ、遥。
「……え?」
沙織からの突然の質問に、私は呆けた声を出してしまった。
「ほら、昔ふたりでよく遊んだじゃない?
「……うん、神社のことは知っているけれど。それがどうしたの」
家の近くにある神社だ。それは勿論知ってはいるのだが、……正直あまり記憶にない。
「あの神社ね。知り合いに聞いたんだけど、ちょっと変わってるんだって」
「変わってるって?」
「ほら、あそこって神主が居なくて無人なんだけれど。鳥居の側に鷺のとまる木が生えてるらしいのよ。それも一本じゃなく、何本もね。でも誰もその木のことを気にしてない。それどころか神社に訪れる人は、まるで見えていないかのように誰も見向きもしない……」
「……つまり?」
「その木が、願いを叶えるらしいのよ」
「願いを?」
「そう。その木はね、人の願いを一つだけ叶えられるんだって」
そんな馬鹿な。そんな都合のいい話があるわけないだろう。でも……もし本当にそうだとしたら……。
「……それで?その話と私になんの関係が?」
「遥、最近なにか悩みがあるんじゃないの?」
沙織の鋭い指摘に、私は思わずドキッとする。確かに私の身の回りで奇妙なことが起こり続けているが。
「いや、別に何も……」
私は慌てて誤魔化そうとするが、沙織は確信を持っているようだった。
「嘘ね。顔に書いてあるわよ」
そう言われてしまうと反論の余地もない。私は諦めて白状することにした。
「……実は最近、同じ夢を繰り返し見るようになって。その夢っていうのが
私がそう答えると、沙織はしばらく考え込んだ後、何かを思いついたかのように手を叩いた。
「それならさ、気分転換も兼ねて午後抜けして一緒に神社行ってみない?」
「え?」
「ほら、どうせ部活も行かないでしょ?私も一緒に行くから」
確かに私は一応文芸部ということになっているが、ほとんど幽霊部員で部室に顔を出すことは滅多にない。それに……。
「いやでも……その木に願いを叶えてもらうなんて、正直ちょっと信じ難いし、そんな簡単な話でもないでしょ」
私は思わず苦笑いを浮かべる。しかし沙織は自信満々といった表情で言った。
「大丈夫だって!ごめんけど正直ダメ元だし。ダメだったらその時は諦めて帰ればいいし、このまま何もしないよりは良いと思わない?」
沙織の話は正直
私は色々と考えた末、肯定の意を込めて小さく頷いた。
「じゃあ決まりね!」
沙織はそう言って笑った。私は小さくため息をついたが、まだ知らない新たなパターンの出現にまったく期待をしないわけではなかった。
「おい、東雲!」
厳しい声に、遥は思わず背筋を伸ばす。担任の高橋先生だ。
「いつまでお喋りするつもりだ。ホームルームが始まるぞ」
「は、はい」
遥は慌てて席につく。時計を見ると既に時刻は8時30分を回っていた。
あと約7時間半。そして彼女はまた死を迎えることになる。
この狂った日常から抜け出す方法はあるのだろうか。遥は遠くの空を見つめ、心の中で呟く。
『……誰か助けてよ』
しかし彼女の嘆きを聞く者はいない。教室に響くのは、いつもと変わらぬホームルームの声だけだった。
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