強面コミュ障のせいで気づいたら悪役令嬢にされていた件~メンタルチワワな公爵令嬢は今日も取り繕う~
鷸ヶ坂ゑる
第1話:見た目はオオカミ、中身はチワワ
その令嬢には赤が良く似合う。
宵闇を流したような艶やかな長い黒髪。
切れ長で冷たい印象があるが、薄青色のどんな宝石よりも美しい瞳。
社交界でも彼女の姿を見て、老若男女問わずに振り向かない者はなし。
それほどまでに整った容姿を持つ彼女は、黒薔薇姫とあだ名されていた。まだ18歳ながらの少女らしさを残しているが、周りの同年代の令嬢たちよりも大人びた姿。
その上、帝国屈指の財力と権力を誇る公爵家の令嬢ということもあり、家柄は皇室に次いでこの上ない程だ。
そんな彼女にも悩みはあった。
「ロサリア様、ロサリア・フォン・エルディアン様。フェリシモ男爵令嬢の噂を聞きまして?」
とある令嬢の屋敷の庭園に設けられたお茶会の会場の中、上座に座るロサリアに噂好きの令嬢が耳打ちした。下座には例のフェリシモ男爵令嬢がオドオドしながらも席に着いている。
栗毛色のくせっ毛の幼さを感じさせる顔立ちの令嬢だ。
クリクリとした丸い緑色の瞳とまるで子犬のような愛らしい顔立ちをしている。三十代以上続くロサリアのエルディアン公爵家と違い、フェリシモ男爵家は目の前にいる令嬢でまだ二代目だ。まだ新しい貴族であることからしても、王国貴族の中ではある意味──もちろん悪い方面で──有名人だった。
そんなフェリシモ男爵令嬢の噂と言えばひとつしかない。
ロサリアの婚約者である皇太子とフェリシモ男爵令嬢が恋仲であるというものだ。
「ロサリア様の婚約者に手を出すだなんて……その上、よくもこの場に──」
「おやめなさい──この場は心静かにお茶を楽しむもよし、友好を深めるもよし。とにかく、友好の場であり誰かを貶めたり噂の真偽を問うばではありませんわよ」
「──っ申し訳ございません」
ロサリア的には軽く諌めたつもりだった。
しかし、名前を思い出せない噂好きの令嬢は萎縮して俯いてしまう。フェリシモ男爵令嬢も青い顔をしてテーブルの下でドレスの膝辺りをぎゅっと握りしめていた。
(またですわ……どうしてわたくしが喋るだけで皆様萎縮してしまいますの!? もう嫌ですわ……わたくし帰りたいですわよぉ!)
「──ロサリア、迎えに来たよ」
お葬式のような空気の中、聞き馴染みのある声にロサリアは神に感謝した。顔を上げると、黒に近いダークブラウンの髪の青年が彼女の肩にそっと触れる。
紅玉のような瞳と、甘い顔立ちはどんな令嬢でも微笑むだけで落とせてしまうだろう。
現にに周りの令嬢はキャーキャーと黄色い声を上げて慌ただしくなった。
「ジャレッドお兄様……」
「さあ、帰ろうか。すまないね、レディたち。ロサリアはこの後予定があるんだ」
ロサリアの兄、ジャレッドが喋るだけでお茶会の場は黄色い歓声が飛び回っている。まるで一言喋るだけでその場を凍りつかせてしまうロサリアとは真逆だ。
と言っても、二人は実の兄妹ではない。
ロサリアは元々エルディアン公爵家の分家の生まれだ。田舎でのほほんと馬の世話をして生きてきたと言うのに、エルディアン公爵家の現当主によって養子に迎えられた。
ロサリア自身も何故養子にされたのかを理解しているつもりだ。
皇室との婚姻。
エルディアン公爵家当主はさらに力を伸ばそうとしているのだろうと予想がついた。
それにしても、である。
ロサリアは元々はただの田舎娘だ。
社交界という伏魔殿に乗り込むには純粋すぎたのだ。
(助かりましたわ、お兄様……!)
今にも泣きそうな顔で──と言っても周りから見たらいつものすまし顔なのだが──ロサリアはジャレッドを見上げる。そして、彼の手を取って席から立ち上がりその場を後にした。
庭園から馬車へと向かう途中、やっと人の目がなくなりジャレッドは心配そうに声をかける。毅然とした態度で背筋を伸ばし歩くロサリアの肩がふるふると小刻みに震えていたからだ。
「大丈夫かい、ロサリア?」
「だ、ダメですわ。わたくし、もうダメですわ! 社交界なんてもう嫌……お茶会なんてまっぴら! ずっとお屋敷に引きこもってた方がいいですわよぉ! もう、お家に返して欲しいよぉ……」
「おやおや、やっといつものロサリアに戻ったね。でも、君の家は──エルディアン公爵家の屋敷だよ」
「ふぇ……」
情けないほどヘナチョコな顔をしたロサリアに、ジャレッドはくすりと笑んだ。
人前では完璧な姿しか見せない公爵家令嬢のロサリア・フォン・エルディアンではあるが、こうして家族や気を許した相手の前では化けの皮が剥がれる。と言っても猫を被るとは違う。
その様相は、ジャレッド曰く──狼の毛皮を被ったチワワ──である。
「全く、いつまでもそんなことを言ってられないよ」
「そんなこと言われましても……わたくしには向いてませんわよぉ」
「毎回こうして僕が助けてあげることも出来ないんだよ?」
「分かってますわ……でもぉ……」
めそめそと人目がないのをいいことに、ロサリアはヘナチョコな泣き顔を晒している。それをジャレッドはヨシヨシと頭を撫でて慰めた。
大勢の目がある場所では、ロサリアは公爵令嬢として誰よりも貴族令嬢らしい振る舞いを見せる。狼のように美しく気高い姿に誰もが羨望の眼差しを向けた。
だが、今まさにジャレッドの目の前にいるロサリアは飼い主に宥められる子犬のようだ。
彼女が公爵家の養子になったのはまだ八歳の頃だ。そこからみっちりと英才教育を受け、エルディアン公爵令嬢としてふさわしい教養と立ち振る舞いを身につけた。
今の彼女はその場に合わせて役割を、いわゆる
だが、その反面、田舎では馬だけが友達だった彼女は極度の人見知りであり、メンタルはホイップクリームより柔らかく軽い。
「うぅ……フェリシモ嬢に悪いことをしましたわ」
茶会を抜け出せてロサリアは万々歳ではあるのだが、ひとつ心残りがあるとすればあの場に取り残されたフェリシモ男爵令嬢の事だった。
正直、彼女と深い関わりがある訳ではないし、そもそも直接会話をしたこともない。どんな令嬢なのかも悪い噂のせいではっきりとわかっていなかった。
そんなことをジャレッドに話でもしたら「じゃあ、お茶にでも誘えばいいじゃないか」とロサリアにとっては死刑宣告に勝る言葉が返ってくるのが分かりきっている。けれども、フェリシモ男爵令嬢のことが頭から離れずに考え込んでいるのはジャレッドから見ても明白だった。
実際に、あの場にいたジャレッドも声をかける直前に誰の、なんの話題だったのか聞いている。そして、想い悩んだ妹の顔から推論すると答えはひとつしかない。
「そんなに心配なら、一緒に連れ出して来ようか?」
「へ……なんでですの!?」
「フェリシモ男爵令嬢、心配なんでしょ?」
「うぅ……でも、わたくしではどうにもできませんことよ……」
「とにかく、一度きちんと話をしてみなよ。先に馬車で待ってて」
「あ、待って──ンもぉぉぉぉ! お兄様の馬鹿ああああああああぁぁぁ!」
ジャレッドはロサリアの静止も聞かずに茶会の場へと戻っていってしまう。昔からジャレッドはロサリアに対して過保護なところがある。今回の迎えにしてもそうだ。
今回のお茶会の主催がロサリアの苦手な令嬢ということもあり、ギリギリまで迷っているのをジャレッドは知っている。そして、既に誘いを三回も断ってしまっていることも。
流石に四度目はマズいと思ったロサリアは参加を決めたのだが、参加の返事を書く時のロサリアのめそめそ顔は五本指に入るほどに情けないものだった。
ちなみに一番情けなかっためそ顔は皇太子との婚約話が決まった時だったのだが。
閑話休題、ロサリアがまともに公爵家令嬢として社交界の中心にいられるのはジャレッドの手助けがあっての賜物でもあるが、やはりロサリアからしたらありがた迷惑でもあった。
できるのならば引きこもっていたい。
それがロサリアの願いでもある。
しかし、そんなことも知らず──と言うよりは気にしてもいない──ジャレッドは会場へと戻ってくる。そして、フェリシモ男爵令嬢を探そうとした時、カップが割れる音と令嬢の悲鳴が辺りに響き渡った。
「も、申し訳ございません皇太子殿下……!」
主催の令嬢が慌てる声と皇太子殿下という言葉にジャレッドは騒ぎが起こってる方へ視線を向ける。すると、人だかりが出来ていた。姿は見えないが、ジャレッドは聞き覚えのある友人の弟、皇太子の声に聞き耳を立てる。
「──いい加減にしろ。リリアーナを──こほん、フェリシモ男爵令嬢が何をしたと言うんだ?」
皇太子がフェリシモ男爵令嬢の名を呼び捨てにする声に、ジャレッドは青筋を浮かべていた。ロサリアという婚約者がありながら、あろうことか別の令嬢に手を出しているようだ。いくら皇太子と言え、友人の弟であれど許せるものではない。
他国では一夫多妻制ではあるがこの国では複数の伴侶を持つことは出来ない。
たとえそれが皇族であってもだ。
「おやめ下さい、皇太子殿下。私は大丈夫ですから……」
「何が大丈夫だ……ドレスがびしょびしょじゃないか。リリアーナ……どうして君はいつも我慢しようとするんだ!?」
「それは……私が至らないからですから……」
「何も悪くない君が責められるのは間違っている。行くぞ、リリアーナ」
人だかりを割ってブロンドの青年がリリアーナの手を引いて足早に去っていく。その様子をジャレッドは冷めた目で見送る。皇太子たちはジャレッドの横を通り過ぎるのだが、彼の姿に気づいていない。
「……最悪だ。ロサリアになんて説明すればいんだろう……」
頭を抱えてしゃがみこむとジャレッドはロサリアのようなめそめそ顔をして呟いた。縁戚で実の兄妹ではなくとも、社交界でもそっくりともっぱらの評判の兄妹と言うべきか、情けない顔もそっくりであった。
・
フェリシモ男爵家はまだ新しい家である。
そのせいもあってか、社交界では爪弾きにされないまでも無視は当たり前、嘲笑の対象になっていた。別にフェリシモ男爵家がイリーガルな方法で授爵した訳ではないし、当主が無能というわけではない。
むしろ、有能であると言えるだろう。
海に面するフェリシモ男爵領は元々海賊やら野盗やらなんやらで荒廃した地域だった。そこを一介の文官だった現フェリシモ男爵が平定し、王国に寄与したことからの授爵だ。
だが、それを快く思わない、あるいは嫉妬した者たちによって攻撃されているに過ぎない。自分たちの祖先も平民だった家門もあると言うのに、時が経れば忘れてしまうのだろうか。
さらに悪いことに、フェリシモ男爵令嬢リリアーナは社交界デビューも大幅に遅れていた。通例ならば十五歳か十六歳でデビュタントに参加するのだが、彼女が社交界入りしたのは17歳の頃だ。
ただでさえ彼女の社交界入は一年遅れだった。
それ以前に、普通の貴族令嬢たちは既に幼い頃から子どもたちだけのお茶会や誕生日会、狩猟祭など貴族の集まりで顔見知りになっている。つまり、デビュタントまでにどこかしらのコミュニティ、俗に言う派閥に所属しているものだ。
しかし、リリアーナにはそんな機会はなかった。
そのせいもあって、彼女はどこにも属せずに、茶会の誘いも嘲笑するために呼ばれている。
けれども、憧れの令嬢がいた。
──黒薔薇姫。
その令嬢は社交界の中心人物でそう呼ばれていた。
そして、嫉妬の対象でもあった。
生まれた時から全てを持っているロサリア・フォン・エルディアン公爵令嬢。
気高く、畏れられる存在。
そうなればもうバカにしてくるもの達もいなくなるだろう。
だから、皇太子の気を引くために弱い立場にいる必要がある。
正義感が強く、弱いものに手を差し伸べる純朴な青年が必要だった。
「大丈夫ですか、リリアーナ」
王室の馬車の中、心配そうに彼女の隣に腰掛けるブロンドの青年がリリアーナに声をかけた。
優しげな青い瞳と、優しげな顔立ちからは人の良さが滲み出ている。まさに、リリアーナが求める理想の王子様だ。
ハンカチで涙を拭うふりをすると、リリアーナはにっこりと微笑んだ。
「はい、大丈夫です。ありがとうございました、レオンハルト殿下」
「二人きりの時はレオと呼んで欲しいんだけど、リリィ?」
「でも……」
「大丈夫だよ、リリィ。僕がきっと君を守るから」
そういうとレオンハルトはリリアーナを抱きしめる。彼の腕の中ほくそ笑むリリアーナは勝利を確信していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます