二 猫賢者

 午後四時、中途半端な時刻だ。

 あたしはリビングのソファーテーブルの前で、カーペットに座り、テレビで字幕の映画を見てスマホにテレビ画面を映した。

 ボイスチェンジャーで翻訳した声が響いた。字幕とずいぶんちがう。ボイスチェンジャーの翻訳のほうが画像と合っている。翻訳する日本人が独断と偏見で妙な言葉に置き換えたせいだ。

 それにしても、俳優たちはすごい。ボイスチェンジャーの翻訳には、トラのような、俳優の私的な言葉が一つも無いからふしきだ。俳優の心がすっかり役柄になりきっている。トラとは、ちがうか・・・。


「マア、ソウイウナ。猫ト人ノ違イダ。

 字幕ガ実際トチガウノハ、翻訳家ノオバサンガ、年ヲ食ッタセイダ・・・」

 スマホの画面の隅に、ソファーのトラが映ってる。

「トラ、何か知ってるんか?」

 トラにそう訊いたが、 

「ワシハ、寝ル・・・」

 トラは寝転んだまま、それ以上スマホから言葉は聞えなかった。



 オッサンは寝たし、メシは食ったし、もしかして・・・。

 あたしはソファーテーブルの上で日記帳を開き、英語へ翻訳する機能にボイスチェンジャーをセットし、書いてある文章をスマホに映した。


 やはり、文章が英語に変換されている。

 これで、言葉だけでなく、文章も変換できるのがわかった。ずいぶん便利だ。

 だけど、本来の機能、言葉の変換はどうなんだろう?何かいいサンプルはないか?


 そう思っていたら、川田恵、メグから電話だ。ボイスチェンジャーに副音声機能があるから試してみた。

「ねえ、月にいちどの日になったの。明日、代返しといてね。お願い・・・」

 そう言うメグの声から遅れて副音声で、メグの思いが伝わってきた。

『ほんとはウソだよ。デイトなの~。

 ウーン、ベタベタする~。ア~ン、メグ、燃えちゃうから・・・』


 何だよ、コイツ、バカか!トラと同じじゃねえか・・・。

「わかった。メグの名で コメントもしとくさ。気にしないで、寝てな」

「ありがとう!ゆっくり休むね!」


 何だよ。このテンション。月一の日は、別の月一だろう。ひとつ釘を刺しとこう・・・。

「ひとりで寝ろよ。ベッドで騒ぐなよ。下にいる大家に筒抜けだぞ。

 実家へ苦情が行くぞ!」

「うん、彼が来てるのが、さなえにわかる?」

『うわっ!バレてるんだ!大家にもバレてる!実家にもバレちゃう!

 どうしよう!?』


「あたしゃ、知らないよ!代返しとくさ!」

「じゃあ、お願いします・・・」

『コマッタナ・・・』


「わかった、またね」

 あたしは通話を切った。

 まったく何だよ。トラよりしまつが悪いぞ・・・。

 そう思いながら、トラを映してみる。


「人、日々コレ発情ナリ。人ニモ、イロイロアルサ」

 ソファーでトラが悟ったようなことを言う。トラは猫の賢者か?

「ソウイウコトジャナ・・・。

 ナア、サナエ。ペットヲ監視スルカメラヲ買ッテクレ。

 サスレバ、サナエガ外ニイテモ、ワシト話セルゾ」

 トラが伸びをしながら寝ぼけ声で言い、身体の向きを変えてまた寝転んだ。


「トラがアドバイザーになるんか?それならパソコンで画像通話すればいい。

 スマホでパソコンを操作するから、トラは画像を見てアドバイスできるぞ!」

「ソンナ手ガアッタカ・・・。

 ソウナルト、ワシモ、言葉ニ慣レネバイカンナ・・・」

「そうだね。練習してね」

「わかったぞ。夕飯は、鮭でいいぞ・・・」

 そう言ってトラはゴロゴロ喉を鳴らしている。


「おっ!言葉が流暢になった。慣れるの早いな。

 なあ、トラ。パソコンを操作できるんか?」

 なんてバカな質問をしたんだろう・・・。いくらトラが猫賢者でも、パソコンの操作なんてできるはずがない・・・。

「ああ、すまない。訂正する。パソコンはあたしがスマホで操作するよ」

「サナエがいつもするように、操作すればいいんじゃろ。それくらいはできるぞ・・・」

 そう言ってトラが起きあがった。



 トラはリビングの隅へ行き、作業用の机に跳び乗り、器用にノートパソコンのディスプレイを開けて、

「ここを押せばいいな?」

 スタートボタンを押している。

 そして、ディスプレイの画像通話アプリのアイコンを、爪を引っこめた肉球でタッチしている。なんという気の利かせようではないか!


「いつも、さなえがするのを見て、学習したんじゃ。あのメグとはちがうぞ!」

「たしかに、メグは十年一日じゅうねんいちじつのごとく、同じことをつづけてる。恋は盲目だよな。そのうち身二つになって中退するぞ・・・」

 メグの相手は、メグのことを考えてない気がする。それに、アノ、のっぺりした蛇のような顔が、どうもいけ好かない・・・。あんなヘビオのどこがいいんだろう?

 あたしはメグの身が心配になった。


「メグか身二つにならぬよう、手助けせねばならぬぞ・・・」

 トラの声とともに、トラを映しているスマホの画像が、パソコンを見て画像通話するトラの顔に変った。

 ソファーテーブルの前のカーペットに座ってるあたしは、その画像通話するトラをボイスチェンジャーアプリで見ている。


「トラ。何か考えがあるんか?」

 あたしはスマホに映るトラに言った。画像のトラがあたしを見て考えこんでいる。

「今のところ、何もない・・・」

「なあんだ。ないのか・・・」

 妙なもんだが、トラはやっぱり猫賢者らしい。考える姿が様になってる。あの考えている夏目漱石の写真のようだ。もしかしたら、トラは『我が輩は猫である』の猫か?

 そんなことはないぞ。漱石の家にいた猫は『吾輩は波斯産ペルシャさんの猫のごとく黄を含める淡灰色にうるしのごとき斑入ふいり』とある。トラとはちがう・・・。


「考え中だ。さなえも考えてくれ」

「うん、考えるよ・・・」

 とは言うものの、アイデアなんてすぐに浮ぶもんじゃない。あたしはしばらく考えたが、頭に浮ぶのは、のっぺりした蛇顔のヘビオの顔だ・・・。

 そのうち、遠くで誰かが語っているような睡魔に襲われた・・・。

 鮭茶漬け食って腹がふくれたら、まぶたが弛むぞ・・・。

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